六枚戸(玉名市横島町)
おはようございます。
遠浅の干潟を埋め立てて農地を開拓した人々の暮らしを思い浮かべつつ。
自分の目で見てその場所で何かを感じることが大事。たぶんね。
今日紹介するのは、玉名市横島町の六枚戸です。
横島の土木遺産といえば、ここでしょうね。
明治期にここまで干拓を広げた大規模造成の象徴的な場所です。
2008年に土木学会選奨土木遺産として登録されました。
また、2010年に国指定重要文化財となっています。
横島は、加藤清正の時代からずっと干拓事業を行い農地を守ってきた人々の暮らしがわかる場所です。
辛子蓮根のレンコン畑もたくさんありました。
六枚戸
明治二十八年(一八九五)末広開干拓
潮止と同時に完成した。
他に類のない排水堰である。
国指定重要文化財 旧玉名干拓施設
指定年月日 平成二十二年六月二十九日
玉名市に所在する干拓関係施設の中で、明治二十年代から
四十年代にかけて築造された、末広開潮受堤防、末広開樋門
(東・西三枚戸樋門、二枚戸樋門)、明丑開潮受堤防、明豊開潮受
堤防、大豊開潮受堤防が、旧玉名干拓施設として国の重要
文化財に指定されています。明治時代に起源をもつ干拓関係の
施設が、総延長約五・二kmにわたって良好に残存しているのは、
全国的に稀であり、貴重な遺産です。各部分で石の積み方が
異なる状況から、潮害のたびに改修されながら使用され、
堤防を守り通してきた人々の努力の跡がうかがえます。
末広開樋門は、末広開と明丑開の間に設置され、東西の
三枚戸(通称六枚戸)と二枚戸樋門で構成されます。いずれも
玉名地域では最大級の規模を誇る樋門です。樋門には水流に
よって自動開閉される招戸が設置され、干拓地内に溜まった
水を干潮の時は開いて海に流し、満潮の時は閉じて海水の
浸入を防ぐ貴重な役割を担います。現在の六枚戸は招戸が
失われ、二枚戸樋門は鉄製の招戸に改修されています。
二枚戸樋門の招戸の上部石材には碑文が残っており、「明治
四十一」と刻まれ建設年代が判明します。
平成二十二年八月
玉名市教育委員会