私は、ずっと誰かにとって、いい子であろうと努力してきました。
いい子であることが立派な人間だと思ってきたからです。
早く言えばいい子ぶりっ子、見栄っ張り・・・。
例えば、誰かに用事を頼まれて、
全然余裕ないのに受けてしまった時。
何十年ぶりに同窓会があったのに
仕事があるから、と断った時。
行こう、と言われて、行きたくないのに行った時。
子供の教育方針が違った時。
言い訳を言うことすらできなかった時。
友達と何年も会うことが出来ない事。
行きたいところに自由に行けない事。
いつも受身で、自分から与える事をしてきませんでした。
その上・・・
自分はこれだけ我慢して人に尽くしている、って
思ってしまう自分がいました。
だから、
私の人生は我慢ばかり。
いつかこの我慢の生活から解放されたい!・・・と。
でも、それって、ぜ~んぶ
上から目線の自分がいるんですよね。
私は私のやり方がある。
私は私の人生がある。
私はこれだけ我慢してやっている。
本当はこうしたいんだ、ああしたいんだ・・・。
これってよく考えたら、全然頑張っていることじゃないですよね。
心の中にドロドロしたものがめっちゃくちゃ渦巻いています。
相手は相手で自分が正しいと思っているわけです。
相手には相手のやり方があるわけです。
だから、どうにもならないことを諦めて
我慢してやっている、っていうのは
本当に傲慢です。
そう思っているときに、
真如パイロンさんの認める っていう記事に出会いました。
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あきらめる事ではなく
無理に心を押し込める事でもない
嫌な所も、受け入れられない所も、
全て心で受け止める器を 少しずつ作る作業をすること
【認める】字をよく見てみると……
言う事に刃があっても心が支える
と書いてある
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真如パイロンさんのブログ記事 認める より
そう、心で受け止める器を作ることに努力すること。
それが我慢ではなく、認めるということ。
相手を認め、自分を認め、そしてお互いを許し合い、尊重しあう。
受け入れられないことがあっても、
ちゃんと心が支えてくれる。
いつの日か、きちんとした器が出来上がって
自分が我慢しているなんてことは
これっぽっちも思っていない・・・
そんな風に心を解放できる日がきたらいいなと思います。