将棋教室の日程(3~5月)です。
○場所:中妻公民館(釜石市上中島町2-6-36)  
○時間:13:30~15:30
 3月14日(土)・21日(土)・28日(土)
4月4日(土)・11日(土)・18日(土)・25日(土)
 5月2日(土)・9日(土)・16日(土)・23日(土)
自分で考える姿勢を育み、伝統文化の礼儀作法を学ぶ。
参加費:無料
対象:幼稚園児~高校生
問合せ=090-9037-1096 (土橋)

 

 

第8回釜石市長&小山怜央杯争奪世代間交流将棋大会
1.日 時:令和8年4月19日(日)午前10時~午後4時
2.場 所:釜石市上中島復興住宅Ⅱ期3号棟1階
                    (中妻地区生活応援センター・中妻公民館・

      上中島町2丁目6-36)
3.参加費:無料(昼食600円希望者は4月12日(日)までに申込)
4. 賞:団体戦と個人戦それぞれ賞品あり。
5.対局運営:駒落ハンデ戦(正式段級を基本とするが、

      自己申告及び主催者の見解による)
                         ※駒落ち規定については別紙(当日配布)
6. 3人一組の団体戦(職場、町内会、サークル、友人など)
7.全員4対局予定
8.申込締切日は4月10日(金)(先着16チームまで)
9.  主 催:日本将棋連盟釜石支部
10.連絡先: FAX =0193-23-0059     携帯=090-9037-1096
              または E-mail  dobatan@ksf.biglobe.ne.jp(土橋まで)

 

3月23日(月・祝)に佐渡裕とキッズオーケストラを釜石テットで聴いた。半世紀前、夜のFMクラシックのエンディングに流れていた「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」(レスピーギ)を聴いて昔の記憶が蘇ってきて…。まさに心のビタミン・プロジェクト。元気になったような気がした。演奏会の帰りに大槌のキッズバイオリニスト予備軍(親戚で母がピアノ伴奏者)に会い、会場の近くで記念に1枚。

 


岩手王座戦が終わった。朋哉君は寛太君に敗れ、僕は2回戦まで運よく勝ち上がり、「押し」の毅君に負けた。

期待通り海渡君と毅君(2人が決勝で対戦するのは珍しい)の決勝戦は熱戦となった。最初はどちらかカッコよく勝って欲しいと思っていたのが、観戦しているうちに、まだ終わらないで熱戦が続いてほしいーに変わってきて、結局、昨夏のGC戦と同様、土俵際のうっちゃりで海渡君に軍配が上がった。
大会終了後の夜は冨坂君の激励会で、詰将棋作家(塚田賞・看寿受賞)の佐々木聡と僕の間に冨坂君が座って、普段の勉強法を聞いていたのだが、将棋勉強法の3本柱のうちに詰将棋が入っていて、江戸時代中期、詰将棋ルネサンスの頃に話を振ると、二十歳前だというのに佐々木聡同様、冨坂君も伊藤宗看、看寿の「無双」、「図巧」を全て解いていて(不詰み局を除き)、椅子から滑り落ちそうになるほど驚いた。およそ半世紀前に僕も二十歳過ぎのころ、佐々木聡の勧めで30数題までは自力で解いていて、2題ほど余詰を発見したと思って佐々木聡に話したら、「よく気が付いたな。すでに何題か発見されているんだ」と言われて、新発見ではないことにたいそうがっかりした覚えがある。上には上があると思い、それがきっかけで解かなくなったような覚えがある。当時は米長邦雄九段が「無双」と「図巧」を全て解けば、少なくともプロの四段にはなれる、と言っていた。そんな話をすると冨坂君も「ええ、聞いたことがあります」とにっこり応えるものだから、また盛り上がるのなんの。でも、こういうとき年寄りというのは水を差してしまうものだ。詰将棋のやりすぎには注意しましょう、実戦とは別物であるからと、3人三様に頷きながら、ほどほどのところで収めたのだった。江戸時代の詰将棋に関しては県内で2番目に精通していると思っていたが、3番目だったことがこの日、判明した。冨坂君の4月以降、新年度三段リーグでの活躍がますます楽しみになった。

 

 

将棋教室や市長杯の開催告知をしたかったのだが、パスワードを忘れていて1週間以上に渡ってときどき試していたら、

何故か、何とか、解決。反省。

WBCは日本が敗れて、がっかり。きょうはわりあい外が暖かかったので庭に出て、年に一度のばっけ(フキノトウ)採り。すぐにてんぷら(右側)にして夜ごはんのつまみに。 棋王戦第4局、藤井さんがカド番を堪えていよいよ最終局ですね。

 

  

 

釜石新聞NewS
「第18回鉄の検定 難問突破、成績優秀小中学生13人を表彰 1級認定は3人」

たまたま釜石新聞NewSをみていたら見覚えのある顔が小野市長のすぐそばでニッコリ。土曜日に将棋教室で会い、翌日も紫波グリーンホテル(最強者戦)で会った。将棋は二段、暮れの地区代表決定戦では僕に勝って地区代表だ。はにかみ屋でも将棋は粘り強い。

 

 

嬉しいことに、きょうベストオブクラシック(ときどきラジオで聴く)の公開収録の葉書が届いた。かつてはブーニン、小山実稚恵(盛岡育ち)押しだったが、最近は小井土文哉(釜石出身)。十数年前に子供将棋教室で、弟の小井戸直生君に教えていたことがあり、直生君(当時釜石小5年)は震災の1年前マストこども将棋大会新人王戦で菊池悦郎君(当時厨川小3年・岩手高卒)との決勝戦を島九段、鈴木環那女流三段のコンビ(現在は親子)にマスト1階の中央広場で大盤解説してもらったことがある。大盤を見ての通り、四間飛車が得意戦法だった。

 

 

先週24日(土)の将棋教室には釜石高と大船渡高の顧問の先生と部員が参加してくれて、とても感激でした。テンションが上がったせいか、翌日の最強者戦(海渡君が連覇)では、あろうことかベスト8まで勝ち進み岩手王座決定戦の出場権を手にすることができました。ベストオブクラシックや岩手王座決定戦の出場権といい、朋哉君が「鉄の検定」で全受検者(133人)中、最高の96点をマーク、1級に認定され中学生の部1位など、嬉しいことずくめの1週間でした。

 

 

先週24日(土)将棋教室の帰り、午後4時過ぎに松倉方面に向かって野田ローソンを過ぎたところで、対向車線の100メートル位向こうからパトカーが「危険ですから車は停車して下さい」と拡声器で連呼しながらこちらに近づいてくる。左側によって徐行したあと停車すると、熊(最初は子熊かと思った)ではなく、イノシシ(体重80k位)が走っている。正月に見た箱根駅伝さながらに真っ直ぐ同じペースで走るイノシシの後を、7~8m後からパトカーが追跡し拡声器で連呼して走る。熊と違ってイノシシは国道に沿って真っ直ぐ走る。携帯で証拠写真を撮ろうとしたが、パトカーがすぐ右前方にきたら反射的に携帯電話をポケットに入れてしまっていた。残念なことをした。

 

 

 

 

加藤一二三九段は第40回東北六県将棋大会(1995年青森県浅虫温泉で開催)に審判長として来られた。当時の歴代審判長(A級棋士)は新聞社の悪しき慣習に従い、大会開催中(当時は3日制)は関係者に案内され、地元観光を楽しむのが慣例であったが、加藤先生はそれを断り、畳の大広間で周囲に目配りしながら正座でずっと観戦しておられた。40回大会で監督の僕は副将戦が居飛車党揃いだったので、相居飛車が得意で矢倉に精通した及川直孝君(5戦全勝)を副将に起用。対局中に面白い局面が現れたので、観戦記の材料に格好だなと思い、感想戦の際に折よく加藤先生が手すきだったので声を掛けると嬉しそうに盤側に来てくれて、「ここでの形勢はいかがですか?」と尋ねると「えーとっ、…ほう、ほう、ほう…」とネクタイに触れながら30秒くらい読んだ後「これはですね…」と盤面に視線を注いだまま4~5分、いつもの早口で話し始まり、メモを取れたのは最初の30秒くらい、途中の分岐点からついていけなくなり、止めて聞き質したかったのだが、1秒以上の切れ目がなく4~5分。形勢善し悪しのニュアンスは伝わり、何よりもその熱量と真摯な姿勢に圧倒された思い出がある。

 


半世紀ほど前、高校生のころ持ち歩いた通称「シケ単」森一郎著『試験にでる英単語』(青春出版社)は、山大将棋部の先輩に勧められて加藤一二三「振り飛車破り」へ変わった。「シケ単」とサイズが同じでよく手になじみ、ボロボロになるまで繰り返し見た記憶がある。名著だったと思う。当時の加藤先生は居飛車党(対振り飛車)の教祖のような存在だった。その後も加藤先生の著書は出されるたび欠かさず読んだ。
世間とあまり関りをもたない将棋の専門家らしい先生だと思っていたが、引退後はよくテレビに出て意外な面をみせ将棋ファン層を広げてくれた。心に残る名棋士である。