加藤一二三九段は第40回東北六県将棋大会(1995年青森県浅虫温泉で開催)に審判長として来られた。当時の歴代審判長(A級棋士)は新聞社の悪しき慣習に従い、大会開催中(当時は3日制)は関係者に案内され、地元観光を楽しむのが慣例であったが、加藤先生はそれを断り、畳の大広間で周囲に目配りしながら正座でずっと観戦しておられた。40回大会で監督の僕は副将戦が居飛車党揃いだったので、相居飛車が得意で矢倉に精通した及川直孝君(5戦全勝)を副将に起用。対局中に面白い局面が現れたので、観戦記の材料に格好だなと思い、感想戦の際に折よく加藤先生が手すきだったので声を掛けると嬉しそうに盤側に来てくれて、「ここでの形勢はいかがですか?」と尋ねると「えーとっ、…ほう、ほう、ほう…」とネクタイに触れながら30秒くらい読んだ後「これはですね…」と盤面に視線を注いだまま4~5分、いつもの早口で話し始まり、メモを取れたのは最初の30秒くらい、途中の分岐点からついていけなくなり、止めて聞き質したかったのだが、1秒以上の切れ目がなく4~5分。形勢善し悪しのニュアンスは伝わり、何よりもその熱量と真摯な姿勢に圧倒された思い出がある。

 


半世紀ほど前、高校生のころ持ち歩いた通称「シケ単」森一郎著『試験にでる英単語』(青春出版社)は、山大将棋部の先輩に勧められて加藤一二三「振り飛車破り」へ変わった。「シケ単」とサイズが同じでよく手になじみ、ボロボロになるまで繰り返し見た記憶がある。名著だったと思う。当時の加藤先生は居飛車党(対振り飛車)の教祖のような存在だった。その後も加藤先生の著書は出されるたび欠かさず読んだ。
世間とあまり関りをもたない将棋の専門家らしい先生だと思っていたが、引退後はよくテレビに出て意外な面をみせ将棋ファン層を広げてくれた。心に残る名棋士である。

きょう1月18日(日)は釜石市甲子町大畑町内会(田畑孝会長)主催の新春将棋大会です。午後1時、田畑会長の挨拶で開会。
釜石市長杯(駒落ち団体戦)に毎年のように参加している古強者、四間飛車党の梶原さん、居飛車党の刈谷さんも参加していて、舌戦も飛び交い、半世紀前の懐かしい縁台将棋を思い起こさせる楽しいひと時である。僕が空き番の方と4局指している隣で、賞品用に持っていった小山怜央四段の詰将棋(9手詰)を田畑町内会長が駒を並べ、正座してじっと考えているので、昨年2級の方から半日考えても解けなかったので答えを教えてくださいとメールが来たほどの難易度であり、簡単ではないですと伝えて、最初の3手を教えると、ほどなく正解にたどり着いた。あっぱれー!皆それなりに楽しめるレベルにあって、田畑会長も小山怜央四段の詰将棋(9手詰)に挑戦してウォームアップしたあと、空き番の方と対局していた。和気あいあいのくつろいだ、楽しい日曜午後のひとときであった。

1月4日(日)大槌町のシーサイドタウン・マストに指導対局に来てくれた小山怜央四段が今年最初の対局、昨日のC級2組順位戦で勝ち6勝2敗となった。
後手高橋九段の矢倉模様に腰掛銀から浮き飛車に構えて左美濃に囲い、すぐに仕掛けていった。▲2三歩の垂れ歩が残った状態で駒がぶつかり合い、再度の▲2三歩△同玉に▲4一角で寄せ形を作り、△3二銀▲3六桂で高橋道雄九段が投了。順位戦にしては早い、午後8時前の終局(75手)だった。

 

第30回マストこども将棋大会で「懸賞次の一手」を解説する小山四段



1月~3月末までの将棋教室の日程です。
○場所:中妻公民館(釜石市上中島町2-6-36)  

○時間:13:30~15:30
1月10日(土)・17日(土)・24日(土)
2月21日(土)・28日(土)
3月14日(土)・21日(土)・28日(土)
自分で考える姿勢を育み、伝統文化の礼儀作法を学ぶ。
参加費:無料
対象:幼稚園児~高校生
問合せ=090-9037-1096 (土橋)