政治界隈でよく聞く言葉「説明責任」。
これはとっても便利な言葉で説明責任を尽くしたか
尽くしていないかは全く持って人によりけり。
その方を支持しているなら説明責任を果たし、
支持していないなら説明責任を果たしていないと、こうなる。
結局、果たしたか果たしていないかなんて、
数値化できないわけだからほとんど感情論なんです。
でも、感情的に許せないと言ってもあまり賛同を得ないから
説明責任って言葉を使って多くの賛同者を得ようとするんですね。
ある政党がある人物を擁立した。その人物は過去に様々と世論を騒がし
週刊誌のネタになった。でも何故かその政党はその人物に白羽の矢を当てた。
そこでその政党の支持者は驚いた。なんでまたそんな人物を!
ここで私は不思議に思うのは、元々の原因はその人物を擁立した
政党の執行部、すなわち党首か幹事長に擁立の説明を求めるべきなのに、
当の本人に説明責任を求めた。
ちなみに幹事長は、我が党はこの人を立てた、支持するしないはご自由に。
(あくまでも私が会見を聞いて受けた印象です)
まあ筋が通っていると私は思った。
わからないのは支持者。白羽の矢を射た側でなく白羽の矢が当たった側に
説明責任を求めている。
確かに、その人物のやったことはどう考えても頷けることではない。
しかしだ、問題はその人物を掘り起こして引っ張り出してきたほうじゃないのか?
そんな単純なことがわからないのか未だ、その当事者に説明責任が足りないとか
納得できないとか不毛の感情を沸き立たせている。
これはいった何なのかと考えた時、ああ、これは恋だと思った。
支持する政党に恋している。なるほどそれなら納得できる。
いわゆる理屈じゃないんだ。また理屈では到底理解ができない。
世の中には一風変わった到底信じられないあっちよりの政党が存在する。
はたと不思議な気持ちにもなる。
しかしそんな論理も理屈も飛び越えて「その政党が好きだ」を構えれば、
ああそうですか、どうぞご自由に、となる。
結局、その政党の政策が云々言っていても、
根本が恋だから、政策論争をしても全く価値がない。
正しい答えに辿り着こうとする姿勢ではなく、
私が支持する政党の政策が一番なんだ!がまず第一義であるから。
こんな人相手に対話が成立するわけがありません。
この傾向は私が支持する政党の支援者にも多分に多くみられます。