私が小学生から中学生の時、年代でいうと1984年から87年頃、当時の国鉄高崎駅や倉賀野駅で購入した硬券入場券を久しぶりに眺めてみた。

ICカード全盛の今、硬券を手に取ってみると、懐かしさが込み上げてくる。たかが厚紙に過ぎないが、いろいろと思い出もあるので何十年も大切に保存してきた。

 

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高崎駅の硬券と券売機発行の入場券。

日付は昭和61年(1986年)3月1日。まだ国鉄時代。民営化される1年くらい前。

この当時は高崎駅も近距離きっぷは券売機で買うことになっていたが、窓口ではまだ硬券入場券を売っていた。

 

 

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入場券を買っても実際には入場しなかったが、改札口の駅員に頼んでハサミを入れてもらった。駅ごとにハサミの形状が違い、高崎駅のこの形は今でもよく覚えている。

今は自動改札機をスイカやパスモでタッチするのが主流で、客が通るたびに「ピッ、ピッ」と鳴り響くが、昔はどの駅の改札口でもハサミできっぷを切る「パチパチ」とか「カシャカシャ」とかいう金属質の音が聞こえていた。

 

 

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券面を拡大してみると、「こくてつ」、「JNR」という文字が読み取れる。ちなみに「JNR」から「N」(national)を抜いて、今の「JR」が誕生した。

 

 

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こちらは倉賀野駅の硬券入場券。

上の入場券は子供料金で買ったので、右側が切り落とされている。昭和59年といえば、まだ小学生6年生であった。親からもらえるお小遣いも数百円単位なので、使う時は十円単位まで計算してほしいものを買っていた。

昭和61年は中学生2年。中学生からきっぷはすべて大人料金となる。これが中学生には痛かった。なかには優しい駅員もいて、硬券の入場券を買う時など「子供料金にしようか」と一声かけてくれたことが何度かあった。半額になるのはいいとしても、子供料金では右側が切り落とされるので、無理して大人料金で買うことにしていた。

 

 

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倉賀野駅のハサミの形。これもよく覚えている。

 

 

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こちらは倉賀野-高崎間の往復乗車券(硬券)。日付は、昭和62年(1987年)4月1日。つまり、JRがスタートした日。

列車には乗っていないが、JR初日の記念ということで購入し、ハサミも入れてもらった。

ただ、残念ながら券の真ん中で切れてしまった。往復乗車券は真ん中に切り取れるようにミシン目が入っていた。自分で切った覚えはないので、いつの間にか切れてしまったようだ。

 

 

※ 過去に公開した記事からアクセス数の多かったものを加筆修正して再掲載します。今回の記事は2012年12月の記事。

先日、JRグループでオレンジカードの販売を来年3月末で終了するとの発表があった。
オレンジカードという言葉は今でもは死語になりつつあるが、国鉄時代の1986年、「小銭いらずで切符が買える便利なカード」というキャッチフレーズで発売された。当時、テレフォンカードが出回りだしていたので、国鉄もいよいよカード導入かと中学生の私は興味津々であった。
ICカードで改札機にタッチして、どこで買い物するときもタッチすれば用が済む今からみれば、磁気カードを券売機に入れて切符を買うのがなぜ便利なの? と笑われそうだ。まあ、カードが珍しかった時代のささやかな思い出話である。
 

 

私が国鉄時代に購入したのは1000円のカード5枚だけ。
左から、シュプール号運転記念、上野-金沢間の特急白山、一番最初に買った斉藤由貴のカルピスの広告、お座敷客車やすらぎデビュー、上越新幹線高崎始発運転開始記念。
ちなみにカードの背後にある「日本国有鉄道」の銘板は、当時国鉄に勤めていた親戚の人からもらった。むしろ、カードよりこちらの方が値打ちがあるかもしれない。
 

 

 

当時の国鉄高崎鉄道管理局から、「趣味のオレンジカード」と題したオリジナルファイルも発売された。テレフォンカードを集める人が多かったので、国鉄もオレンジカードブームが起きると見込んでこのような商品を製作したのだろうか。

 

 

 

5枚目までが国鉄時代。
6枚目以降は民営化後のもの。

 

 

 

80年代後半から90年代前半まで、地元群馬はもとより、旅行先でもオレンジカードをしばしば買っていた。そういえば、ローカル線で旅をしていると、車掌が切符の拝見を兼ねて、「オレンジカードはいかがですか?」と聞かれたことがよくあった。
 

オレンジカードが便利かどうかはさておき、こうして久しぶりにカードを眺めてみると、今では廃止された路線や車両がズラリと並び、ささやかながら鉄道の歴史を見ているような気分になる。

 

 


 

 

2016年12月、中国地方のローカル線を旅した時、津山駅に下車した。

 

乗り換え時間に余裕があったので、駅の構内の様子など今をじっくり見ることができた。

 


 

 


 

 


 

 

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津山駅の駅舎

 

素朴な感じの平屋建て

 

駅前から高速バスが発着する

 


 

 


 

 


 

 

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私が訪ねた時は午前10時ごろ

 

人通りはまばらだった

 


 

 


 

 


 

 

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特急も急行も発着しないが、みどりの窓口がある

 

地域を代表する駅として面目を保っているように見える

 

金属製の改札ラッチも今では珍しい

 


 

 


 

 


 

 

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駅舎とホームは地下道でつながっている

 


 

 


 

 


 

 

 
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階段を上がり1番、2番ホームへ

 

1番線は因美線智頭方面

 

2番線は姫新線佐用方面

 

「鳥取」と「姫路」と案内されているが

 

もちろん今は直通する列車はない

 


 

 


 

 


 

 

 
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もう一方の3番、4番ホーム

 

3番線は姫新線新見方面

 

4番線は津山線岡山方面

 

岡山方面がもっとも列車本数が多い

 


 

 


 

 


 

 

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津山駅の構内は広くホームも長い

 

国鉄時代は10両以上の長い急行列車が発着した

 

跨線橋もあるが現在は使用停止されている

 

列車の編成がどれも短いので

 

地下道だけで間に合うようだ

 


 

 


 

 


 

 

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ホーム上の屋根も支柱も古い

 

気動車は変わってもホームは昔のまま

 


 

 


 

 


 

 

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駅の西側には現在の気動車が留置され

 

その奥には蒸機時代の扇形車庫と転車台が残る

 

津山を訪ねたらぜひ見学したいが

 

残念ながら素通りしてしまった

 

 



JR上越線の沼田駅。この駅には30数年前の国鉄時代に一度下車したことがある。以来、上越線には何度も乗っているが、いつも沼田駅を素通りしていた。沼田に着くたび、車中から天狗の面を何度見たことだろう。ある秋晴れの日、上越線に乗って水上まで往復した際、ふと沼田駅に下車してみた。

写真は2016年11月撮影。










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沼田駅の駅舎

建物自体は昔のままのようだが改装された

駅前はバス乗り場などが整備された










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駅前の歩道に天狗の像が建っている

天狗で有名な迦葉山弥勒寺は市の北部にあり駅から遠い










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改札口の横に大きな天狗の面がある

列車の止まる位置によって天狗に睨まれるかも










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改札からちょっと離れた所にも天狗様が睨みを利かせる











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天狗様の真下に座って記念写真をどうぞ










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駅舎内には沼田市内の風景画が展示されている










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跨線橋から水上方面を望む

奥に見える山は谷川岳










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沼田市の地形は河岸段丘として有名

私も中学生の地理の教科書で見た記憶がある

沼田市の中心は一段高い位置にあり

沼田駅は坂下にある









東日本大震災からもうじき6年を迎える。甚大な被害を受けた東北地方の鉄道の一部は復旧し、一部はバス化(BRT)され、一部はまだ復旧途上である。

この6年間、JRの復旧の進み具合や方法にはおかしいと思うことがしばしばあった。それに、震災以外にも台風などの土砂災害で不通になったローカル線が復旧されずに廃止されたケースもあった。




この本は震災から約半年後に刊行され、私はすぐに読んだ。6年前に書かれたことなので、各路線の復旧状況はこの本を読んでもわからない。最新の情報や今後の見通しなどはネットで調べた方が早い。それでもこの本を再読したのは、近年、長期運休のローカル線に対するJRの方針に疑問や不信が募っているからだ。

著者は震災後の三陸鉄道を訪ね、切符を大量に購入したり、メディアに支援を呼びかけたりする。総じて地方の中小私鉄を応援する一方、JRに対して、特に大企業のJR東日本を厳しく批判している。







被災したローカル線の復興が進まないのは、JR東日本という巨大な企業・組織が硬直化しているせいなのかもしれません。自社の利益を最優先に考えれば、赤字のローカル線を復旧させても新たな赤字を垂れ流すだけ。それならいっそのこと、復旧のための努力を諦めて、このまま廃止への道を歩めばいい。鉄道のない生活が長く続けば、住民もいつしかそうした生活に慣れてこざるを得ないだろう――もし万が一、JR上層部がこんな考えを持っているとしたら、由々しきことだと思います。(第2章)







私は鉄道旅行が好きで、飛行機より新幹線、高速バスより特急列車というように、どこへ旅行するにもできるだけJRに乗るようにしてきた。特段にJRを擁護するつもりもないが、長年の親しみもあって、JRの公式発表をそのまま受け入れる習慣が身についてしまっている。被災したローカル線の復旧には莫大な金がかかり、その路線は年々利用客が減っているから復旧は無理です、などとJRが公式発表すると、それもそうだなと思ってしまう。でも、この本をはじめ原武史氏の本を読み、さらにツイッターも見はじめてから考えが変わってきた。

JRが誕生して今年の4月で30年になる。この間、新幹線と大都市の通勤路線に人員と投資が集中し、日本の鉄道はずいぶんいびつな形になってきた。大都市の路線と地方のローカル線に公平なサービスを要求しても、株式会社としての使命を最優先するJRに期待するのは無理なのかもしれない。

新聞やテレビでは新幹線やリニアなど華々しい話題を取り上げ、在来線の第3セクター化やローカル線の廃止は取り上げることがあっても、それはJRへの批判ではない場合が多い。整備新幹線の建設はこれからも進み、リニアもいよいよ着工された。自然災害で不通のローカル線の復旧が遅々としている今、原氏のように巨大企業のJR東日本、東海に辛辣な批判をする人は少ない。








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原武史「震災と鉄道」

(朝日新書)2011年10月初版