(以前、アクセス数が多かった記事を加筆、再構成して掲載します)
2013年2月、引退が迫っている上越新幹線200系に乗車した。
1982年に開業以来、200系には何度も乗ったが、おそらく今回が最後になるだろう。

高崎始発9時20分、「たにがわ476号」東京行き。
ホームは11番線。通常11番線は下りの長野(北陸)新幹線が発着するが、朝の高崎始発の「たにがわ」は11番線から発車する。
高崎始発の始まり
1986年、国鉄時代の末期、上越新幹線で高崎始発の列車が登場した。当時は上野が起点で、朝の高崎始発上野行き1本、夜の上野発高崎行き1本が設定された。それぞれ、「おはようライナー」、「おやすみライナー」と命名された。

その誕生記念に発売されたオレンジカードとともに撮影。
ちなみにオレンジカードという言葉は今では死語になっているだろう。オレンジカードとは、1980年代半ば、当時の国鉄が発売した磁気カードの名称で、券売機で切符が買えるのをセールスポイントにしていた。ICカードやスマホで自動改札機を通る現在からすれば、切符が買えるだけで、残額チャージもできない使い捨てカードは骨董品といえる。とはいえ、当時はテレフォンカードも流行していて、中学生の私にはオレンジカードが宝物のように感じられた。
200系の思い出
1984年8月、小学6年生の時、200系に初めて乗った。言い方を変えると、新幹線に初めて乗ったとも言える。夏休みに家族で新潟県柏崎市へ海水浴に出かけ、その帰りに上越新幹線の長岡-高崎間に乗車した。
北海道から九州まで新幹線が走る現代と違い、当時は新幹線は特別な乗り物という意識が世間的にも大きかったと思う。それに憧れの新幹線に乗れるという子供心も加わり、興奮気味だったことを今でも覚えている。
翌1985年1月には、大宮-高崎間に同級生と一緒に乗車した。この時は、上野駅で特急列車や寝台列車を撮影し、その帰りだった。当時、東北・上越新幹線は大宮始発で、上野-大宮間には「新幹線リレー」号が運転されていた。
大人になってから東北新幹線の200系にも何度も乗ったが、あまりよく覚えていない。何度も乗っているうちに移動手段の一つくらいにしか感じられなくなるのは自然な成り行きだろう。
車内を観察
先頭車両の1号車に乗車。曜日のせいか、思いのほか空いていた。今ではどの新幹線も座席が進行方向に向いているのは当たり前だが、初期の200系は3人掛け座席が回転しなかった。車内の中央を境に、半分が新潟あるいは盛岡方面に固定され、残り半分が大宮方面に固定されていた。もちろん不評だった。

これはリニューアル後の車内。3人掛け座席も回転できるようになった。

先頭車両のデッキから運転室がちょっと見える。今の新幹線にはない構造だ。古い設計ならではの温かみが感じられる。「MOTORMAN」という表記も渋い感じがする。
200系の運転室といえば、思い出話がある。1980年代、友人と一緒に高崎駅で新幹線を見物していた時、偶然、200系の回送列車が入ってきた。長い停車中に運転士がホームに降りてきて、「運転室を見せてあげるよ」と声をかけられ、中に入れてもらったことがある。おおらかな時代だった。
列車は高崎を定刻に出発した。乗り慣れた車両で、特に見るべき風景もなく、感慨深くなるわけでもない。乗れる時に乗っておく。ただ、それだけのことである。

9時54分、大宮に到着。この日、鉄道趣味とは別の用事があるため大宮で下車した。終点・東京まで乗らずに途中で降りるのは名残惜しい。