(過去の記事を加筆、再構成して掲載します)
 

かつて千葉県内のJR各線で運転されていた113系普通列車。

クリーム色と青色のツートンカラーは「スカ色」と呼ばれていた。(スカとは横須賀線が由来と思われる)
今から20年ほど前、内房線と総武線で113系スカ色を撮影した。千葉の風景の中を走る113系スカ色はなかなか絵になっていた。
今回は内房線上総湊駅の近くにある鉄橋で撮影した113系スカ色をまとめた。

写真はすべて2005年8月撮影。

 

 

 

 


東京湾にそそぐ湊川にかかる鉄橋を渡る113系。
この鉄橋は川の河口にかけられ、奥には東京湾を望む。

 

 

 

 

 


青空、青い鉄橋、青い電車、青い水。青い夏の一瞬。

 

 

 

 


朝の港には漁船がたくさん停泊していた。
朝日がまぶしい中、113系が通過する。

 

 

 

 


夕方の港。漁船も113系も夕陽に照らされる。

 

 

 

 


東京湾に日が沈むころ、113系と鉄橋のシルエットが鮮やかに浮かび上がる。
 

 

(過去の記事を加筆、再構成して掲載します)


「湘南電車」の愛称で知られた東海道線の113系。
2006年3月、引退が迫る113系を撮影した。

先頭車両には惜別を込めたステッカーが取り付けられ、引退の花道を飾った。

 

 

 

 


「ありがとう113系」のステッカーを掲げ田町付近を通過する113系。
列車種別表示は昔ながらの回転幕。
「快速アクティー」の文字には電光表示にはない温かみが感じられる。

 

 

 

 

 


小雨が降る中、根府川付近を走る113系。
この時は、東京から113系に乗り根府川で下車。ホームから撮影した。

 

 

 

 

 


東神奈川付近を通過する113系。

後方に見えるのはすれ違いの185系特急「踊り子」。

両者は長い間東海道線の顔だった。

 

 

 

 

 


東京駅で発車を待つ113系。
この日は東京ー熱海間を113系で往復した。
私にとって、これが東海道線113系の見納めとなった。
 

 

2025年12月下旬、JR八高線に投入された新型車両HB-E220系に乗車した。従来のキハ110が引退する前にもう一度乗っておこうと出かけたところ、偶然、新型のHB-E220系がやってきた。旧型に乗りたかったのに、新型に乗ることになったのは幸か不幸かわからないが、ともあれピカピカの新型車両に乗車して思ったことをまとめてみたい。
 

 

 

 

高崎駅3番線に14時56分発児玉行きが入線。

HB-E220系を初めて見て、角ばった顔という印象を受けた。車両側面の窓の配置も不揃いで最初は違和感がある。ドアが3つになったのもキハ110との大きな変更点だ。

 

 

電車orプリウス?


2両のうち、先頭の高麗川方の車両に乗った。乗客は座席がすべて埋まるくらいの人数。車内には新車特有のにおいがする。発車前から気付いたのは、床下からディーゼルエンジンの音が聞こえないことだ。キハ110は停車中もエンジン音が絶え間なく響いていたが、HB-E220系はきわめて静かだ。
列車は定刻に発車。あまりに静かで、滑るように動いていく。キハ110は発車時に「ガクン」と衝撃が伝わった。いかにも動き始めたという体感的な特徴があったが、HB-E220系の発車時は衝撃がなく澄ました感じだ。10秒後くらいに、床下からエンジン音が聞こえる。それもキハ110より控え目な音に聞こえた。ポイントを渡り本線に入るとエンジン音がさらに響き渡り、滑らかに加速する。いかにもハイブリッド車らしい。かつて自分の愛車だったトヨタの「プリウス」に似ていると思った。


変則的な座席配置

HB-E220系の座席はすべてロングシートになった。キハ110の前、国鉄時代のキハ35もロングシートだった。八高線は約30年を経てロングシートに戻ったと言える。もっとも座席の座り心地は昔の車両より格段に良くなっている。

 

 

 

 


HB-E220系の車内で違和感があるのはロングシートを分断する壁である。これはハイブリッド車ゆえに特殊な機器を収納するスペースが必要だからこのような構造なのか。座席が少ないのは欠点だし、窓が少なく、閉塞感がある。

 

 

 

 

 


高崎方の車両には車いす用の広い空間があり、トイレが設置されている。狭くなってしまったのはやむを得ない。

 


外観は見る位置によって違和感あり

15時22分、終点・児玉着。折り返し、高崎行きとなる。発車までのひと時、HB-E220系の外観を観察する。

 

 

 

 


停車中のHB-E220系。停車中といってもエンジン音が響いていないのできわめて静かだ。別の言い方をすれば、エンジン音は八高線の日常風景だったが、それが消えてしまった。ずいぶん大きな変化である。耳を澄ますと、床下から電気系統の音がわずかに聞こえるが、やはり静かである。

 

 

 

 


高崎方の車両側面。トイレと機器室を配置したため窓が少ない。

 

 

 

 


見る角度によっては検測車両のような雰囲気がする。

 

 

 

 


跨線橋からHB-E220系を見下ろす。

 


郷愁より効率優先


児玉発15時34分、高崎行きのHB-E220系は発車。静かに、滑るように、動き出す。

 

 

 

 


丹荘を出て、神流川の鉄橋を渡る。車両は新型になっても、このあたりの風景はあまり変わらない。ただ、ボックス席ではないので、体の向きを変えて外を眺めなくてはならない。空いていればいいが、座席が埋まっている時は遠慮せざるを得ない。


HB-E220系は技術的にはおもしろい車両だが、気楽に旅の気分を味わえた八高線のささやかな魅力は失われた。郷愁を求めて八高線に乗ることはもうないだろう。
 

 

(過去の記事を加筆、再構成して掲載します)
 

「ムーミン」の愛称で親しまれたEF55-1。
2009年1月、JR信越線高崎-横川間のラストランの記録をまとめた。




冬晴れの下、信越線安中-磯部間をゆっくり走るEF55-1。
12系客車6両を牽引。最後部には折り返し用のDD51が連結されている。

 

 

 

 

 


同じ列車を後追いで撮影。
妙義山をバックに走り去る。

 

 

 

 

 


EF55-1の車体側面。高崎駅にて。

 

 

 

 

 


秩父鉄道から蒸気機関車C58がお目見えし、引退の花道を飾った。
EF55-1が発車すると、C58も汽笛を鳴らした。高崎駅にて。

 

 

 

 


最終運転を終え、横川から高崎へ回送されるEF55-1。
これが見納めとなった。
 

 

(以前、アクセス数が多かった記事を加筆、再構成して掲載します)


2013年2月、引退が迫っている上越新幹線200系に乗車した。

1982年に開業以来、200系には何度も乗ったが、おそらく今回が最後になるだろう。

 

 

 

 


高崎始発9時20分、「たにがわ476号」東京行き。
ホームは11番線。通常11番線は下りの長野(北陸)新幹線が発着するが、朝の高崎始発の「たにがわ」は11番線から発車する。



高崎始発の始まり


1986年、国鉄時代の末期、上越新幹線で高崎始発の列車が登場した。当時は上野が起点で、朝の高崎始発上野行き1本、夜の上野発高崎行き1本が設定された。それぞれ、「おはようライナー」、「おやすみライナー」と命名された。

 

 

 

その誕生記念に発売されたオレンジカードとともに撮影。


ちなみにオレンジカードという言葉は今では死語になっているだろう。オレンジカードとは、1980年代半ば、当時の国鉄が発売した磁気カードの名称で、券売機で切符が買えるのをセールスポイントにしていた。ICカードやスマホで自動改札機を通る現在からすれば、切符が買えるだけで、残額チャージもできない使い捨てカードは骨董品といえる。とはいえ、当時はテレフォンカードも流行していて、中学生の私にはオレンジカードが宝物のように感じられた。


200系の思い出
 

1984年8月、小学6年生の時、200系に初めて乗った。言い方を変えると、新幹線に初めて乗ったとも言える。夏休みに家族で新潟県柏崎市へ海水浴に出かけ、その帰りに上越新幹線の長岡-高崎間に乗車した。
北海道から九州まで新幹線が走る現代と違い、当時は新幹線は特別な乗り物という意識が世間的にも大きかったと思う。それに憧れの新幹線に乗れるという子供心も加わり、興奮気味だったことを今でも覚えている。


翌1985年1月には、大宮-高崎間に同級生と一緒に乗車した。この時は、上野駅で特急列車や寝台列車を撮影し、その帰りだった。当時、東北・上越新幹線は大宮始発で、上野-大宮間には「新幹線リレー」号が運転されていた。
大人になってから東北新幹線の200系にも何度も乗ったが、あまりよく覚えていない。何度も乗っているうちに移動手段の一つくらいにしか感じられなくなるのは自然な成り行きだろう。


車内を観察
 

先頭車両の1号車に乗車。曜日のせいか、思いのほか空いていた。今ではどの新幹線も座席が進行方向に向いているのは当たり前だが、初期の200系は3人掛け座席が回転しなかった。車内の中央を境に、半分が新潟あるいは盛岡方面に固定され、残り半分が大宮方面に固定されていた。もちろん不評だった。

 

 

 

 

これはリニューアル後の車内。3人掛け座席も回転できるようになった。

 

 

 

 


先頭車両のデッキから運転室がちょっと見える。今の新幹線にはない構造だ。古い設計ならではの温かみが感じられる。「MOTORMAN」という表記も渋い感じがする。


200系の運転室といえば、思い出話がある。1980年代、友人と一緒に高崎駅で新幹線を見物していた時、偶然、200系の回送列車が入ってきた。長い停車中に運転士がホームに降りてきて、「運転室を見せてあげるよ」と声をかけられ、中に入れてもらったことがある。おおらかな時代だった。

列車は高崎を定刻に出発した。乗り慣れた車両で、特に見るべき風景もなく、感慨深くなるわけでもない。乗れる時に乗っておく。ただ、それだけのことである。

 

 

 

 


9時54分、大宮に到着。この日、鉄道趣味とは別の用事があるため大宮で下車した。終点・東京まで乗らずに途中で降りるのは名残惜しい。