こんにちは。どれみです。
マイホーム計画中アラフォーひとり親の
体験談を書き綴っています。
予定![]()
2023年7月上旬 土地契約・HM契約
2023年8月上旬 間取り確定
2023年11月下旬 建築確認申請許可
2023年12月上旬 土地決済
2023年12月中旬 古家解体
2023年12月下旬 着工
2024年1月下旬 上棟
2024年3月下旬 引き渡し
昨日から、仕事でもプライベートでも
ものすごく上品な言い回しで厳しいことをいうメール
を作ることが続いているどれみ。
心がすさんでおります![]()
そんな時にブロ友のコのりんが
通称・義父三部作を投稿しているのを拝見して
いやぁ、ほんと無理やな。と思うと同時に
つらかった過去がよみがえりました。
無理無理無理無理無理~!!てコメント欄で騒いできた![]()
この機会に、一瞬で過ぎ去った配偶者有時代のことを振り返っておこうと思います。
※ブロ友さんたちが「そういうとこやぞ」って言いやすくなるためだけに捧げる誰が興味あんねん記事です。
諸々トラウマをお持ちの方や、殺伐とした内容が苦手な方は
そっと閉じてください…。
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私は特に狙っているとか、そういうのが好みとかではないのですが
好きになる人が「ブリーダー系」ばかりなんです。
一瞬配偶者となった人もまさにそんな人でした。
優しい男性って、一歩間違うと言いたいこともはっきり言えない(ポイズゥン)人になる可能性ありますよね。
私はそれがちょっと無理で…しっかり引っ張ってくれる人にしかときめかないというか。
それが落とし穴なんだけど!
大学時代に塾講師のバイトをしていて
この元配偶者はそこで出会った5つ上の社員です。
その人が転職して東京に行きたいというので、
大学卒業と同時に結婚を決め、
1年間準備期間を設けてそのまま結婚しました![]()
でも行った先は東京ではなく西日本のど田舎でした~…
その元配偶者がね、とんでもねーモラハラだったんですよ。
一家総出で![]()
もう本当に大日本帝国憲法時代の家父長制度をめっちゃ重んじてる系。
結婚するまでは
「よその大切なお嬢さん」
「うちの子とお付き合いしてくれるありがたいお嬢さん」
みたいな扱いで、すごくよくしてくれるんですよね。
ほんと、今から結婚を考えている人全員に言いたい。
「結婚したら『○○家の嫁』に変わって、奴隷扱いに変貌する可能性があるよ!!」
しっかり引っ張っていってくれる頼りがいのある男性は
「俺や親への口ごたえは許さない」
「お前は○○家の人間になったんだ」
「お前の考えは△△家(私の実家)のやり方だから、そんなものを○○家に持ち込むな」
「すべて○○家の考え方に従え。改革はいらない」
「俺が稼いだ金で生活するんだから、何か買うときは必ずお伺いをたてろ」
「毎日俺の親に電話で近況報告しろ」
的な、絶対王政を敷くモラハラ夫に変貌しました。
↑これ、マジで全部言われましたからね。
大卒2年目のうら若き乙女にこんなこと言うなんて
気がくるってんじゃねぇのかと今なら思います。
しかしながら当時の私は、まだまだ弱い若造でして…
やりこめられては、何とか頑張ろうと気持ちを奮い立たせる
けなげな乙女でした…![]()
こんな状態で、結婚してたったの2ヶ月でご懐妊したんです![]()
そりゃもう悩みました。
おろす勇気もないから、なんなら流れろって思ってました。毎日。
しかもつわりがびっくりするぐらいひどくて毎日ぐったりしていたらモラ男。
「俺出張多いし、面倒みられへんから実家帰ったら?」
↑一緒に頑張ろうという気持ちが一ミリもない![]()
今思えばめっちゃ驚きの発言ですが、当時はうれしかったんです。(アホすぎる私)
「私のことを考えて、実家に帰りなよって言ってくれてる。優しい。」
もうほんと、どんだけめでてぇんだよ私。
ちなみに先にネタバレすると、ここで実家に帰ったまま現在に至ります![]()
それでも頑張ろうと思っていた私が、あーもう無理だなって思ったきっかけは
もちろんたくさんあるんですが。
本当につわりがひどくて寝ても覚めてもトイレに駆け込む私に
毎日毎日電話をかけてきては
(転職して外回りの仕事だったので、運転中に暇つぶしのようにかけてくる)
俺の親に連絡しろだとか、里帰り出産とか勝手に決めんなとか
とにかく
「○○家の人間が△△家にお邪魔しているという前提を忘れず、俺の親にこまめに連絡を取り、最優先で対応しろ」
みたいな趣旨の説法を解いてくるんです。
その説法の途中でもう本当に吐きそうになり
電話を切ってトイレに駆け込んだんですよね。
トイレでめっちゃ苦しい思いをしてベッドに戻ると
また電話がかかってきて
「そうやって逃げればええわ」
って冷たく言い放たれたことがクリティカルですかね。
あと「元配偶者が必要な時に振り込み行くの大変だろうから」というていで
給料口座の一式を義実家に渡すことを強要され
必要な費用は都度私から義実家に申し入れて振り込んでもらうというシステムもつらかった。
それよりも
「お前の仕事は、○○家のやり方を守って子世代に伝えていくことだ」
と言われたことが大きかったかも。
おなかの子供(まだ当時は性別不明)やその配偶者に同じような思いをさせるのは無理。
って強く思いました。
あとはねー。
毎日「元配偶者、死なへんかなー」って思いながら
つわりで死んだように時間が過ぎるのを待っていたので
人の死を願いながら生きていくのが嫌だと思ったのもかなりです。
ブリーダーにいいようにされながらもついていく犬って
気持ちが切れたらもうそっからは速いです。
あー、もうこの人とは無理だなー。
と思ったらすぐ、母
に
「私がおかしいのか、向こうがおかしいのかもうよくわからなくなってるんだけど…」
と、諸々を打ち明けました。泣きながら。
母もびっくりして、部屋は十分にあるから家に戻っておいでと言ってくれました。
(今、その十分にある部屋が埋め尽くされて2号館建設中だけど
)
経済的に難しいと思ったら、もしかしたら踏みとどまっていたかもしれませんが。
その時点で、大学時代遊ぶこともなくせっせとバイトで貯めた貯金が
子供1歳まで働かなくても食べていける程度にありました。
そして、最悪の場合でも塾講師すれば生活費は稼げるなという計算もありました。
なので元配偶者とその一族に三行半をたたきつけてやりました。
まさか私の方から別れを告げてくるなんて夢にも思わなかった元配偶者。
(だって私は犬だったから)
大慌てで追いすがってきたので、
「義実家か私たち親子のどちらかを選べ」
っていうたら、追いすがりながらも義実家を完全に切ることはできないってさ。
この頃にはおなかの子供は男の子だとわかっていました。
家父長制度LOVEの人々なので、
男の子だとわかったら絶対取ろうとしてくる!!
と思い、性別はわからないという状態のまま
生まれる前に速やかに婚姻状態を解消することが重大ミッションとなりました。
(ちなみに元配偶者は長男です。私は介護要員だとはっきり言われました)
日々の電話説法で「もう養育費一括で払うから離婚してくれ」とかほざいてた元配偶者は
1円の養育費も支払うことは有りませんでした。
そればかりか、離婚後の出産だったので子供が生まれてから書類のやり取りが必要だったのですが
その件で元義母が電話してきたよ。
「こういうことは親がきちんとやらないといけないから、どれみさんのお父さんから電話が来るのかと思って待ってた」
とか言いやがった。
いやいやいやいや。
生まれた子の親がやるべきであって、おまえじゃない。
親になって尚、ママに全部やってもらうのかい?元配偶者よ。
再確認だけど、私より5つも年上だよね!?
て思ったら、情けなくて涙が出たよ。
しかもその電話で「あれから精神的にやられて失語症になった」とか
(精神的にやられるのはお前じゃないだろ。ていうか今めっちゃ饒舌やん。)
「相続についてどう考えているのかどれみさんの気持ちを聞いておきたい」とか
もうほんと、すんごかったんですよ。
要約すると、元旦那本人及びその一家は私とその子供のことはなかったことにして
心機一転生きていきたいから相続とかも全部求めないんでほしいんだけど。
っていうような内容でした。
ほんと情けなくて涙出るわ。しかも親に言わせるバカ元配偶者。
ちなみに相続は私が放棄するってその時言うても関係ないけどね。
そんなこともわからないバカ一族。
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こうして、元配偶者一族とは一切の縁をきり
弱くて幼かったどれみは、必要に迫られてどんどん強くなり
得意のパソコンを活かすべく営業事務として入社した今の会社で
気づいたら営業をさせられ
「営業なんて、お客さんと交渉とか無理だから絶対できなーい
」
とか思っていた自分はどこへ行ったのかわからんくらいガンガンいける人になり
今ではとんでもなく強いハートを持った
婚姻制度反対派のアラフォーに育ちました![]()
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・人は必要に迫られると強くなる
・どれみは婚姻制度反対派である
という解説のお話でした。
すんごい長くなったけど、二回に分けるような話でもないので書き切りました。
もっととんでもない名言やエピソードも多数所持しています。
そして重大なこととして
めっちゃ笑えない笑い話として語れるぐらい
今は幸せで元気です![]()
友達も全然いじってくるレベルの回復なのでご安心ください。
あと、今こいつより絶対稼いでる自信ある。
(そういうとこやぞ)

