留年しないための心構え
太宰治『新ハムレット』からの引用です。
ポロ。「何度だっていい。十度くりかえしても不足でない。いいか、まず第一に、学校の成績を気にかけるな。学友が五十人あったら、その中で四十番くらいの成績が最もよろしい。間違っても、一番になろうなどと思うな。ポローニヤスの子供なら、そんなに頭のいい筈がない。自分の力の限度を知り、あきらめて、謙譲に学ぶ事。これが第一。
つぎには、落第せぬ事。カンニングしても、かまわないから、落第だけは、せぬ事。落第は、一生お前の傷になります。としとって、お前が然るべき重職に就いた時、人はお前の昔のカンニングは忘れても、落第の事は忘れず、何かと目まぜ袖引き、うしろ指さして笑います。学校は、もともと落第させないように出来ているものです。それを落第するのは、必ず学生のほうから、無理に好んで志願する結果なのです。感傷だね。教師に対する反抗だね。見栄だね。くだらない正義感だね。かえって落第を名誉のように思って両親を泣かせている学生もあるが、あれは、としとって出世しかけた時に後悔します。
学生の頃は、カンニングは最大の不名誉、落第こそは英雄の仕業と信じているものだが、実社会に出ると、それは逆だった事に気がつきます。カンニングは不名誉に非ず、落第こそは敗北の基と心掛ける事。なあに、学校を出て、後でその頃の学友と思い出話をしてごらん。たいていカンニングしているものだよ。そうしてそれをお互いに告白しても、肩を叩き合って大笑いして、それっきりです。後々の傷にはなりません。
けれども落第は、ちがいますよ。それを告白しても、人はそんなに無邪気に笑って聞きのがしては、くれません。お前は、どこやら、軽蔑されてしまいます。出世のさまたげ、卑屈の基。人生は、学生々活にだけあると思うと、とんだ間違い。よくよく気をつけて、抜け目なくやっておくれ。ポローニヤスの子じゃないか。
つぎに、学友の選びかたに就いて。これもまた重大です。一学年上の学生を、必ずひとり、友人にして置かなければならぬ。試験の要領を聞くためだ。試験官の採点の癖を教えてもらえる。さらに、もうひとり、同学年の秀才と必ず親交を結ばなければならぬ。ノオトを貸してもらい、また試験の時には、お前の座席のすぐ隣りに坐ってもらうためであります。学友は、その二人だけで充分です。不要の交友は、不要の出費。(後略 改行筆者)
大学生活の心構えを書いたものとしては傑作です。
酒の飲み方、女性との付き合い方など続きがありますので、興味のある方は
読んでみてください。
太宰の言うことは本当ですよ。
まず、落第が卑屈のもとであるというのは間違いなく本当です。
私はもともと暗く、卑屈な性格でありましたが、留年を経験してからは
ますます卑屈になってしまいました。
それから、人は落第を無邪気に笑ってくれない、というのも本当です。
太宰は「出世しかけたとき」後悔する、と書いています。
しかし、出世しなくても、もっと言うと、職に就かなくても後悔するのが
留年だと私は思います。
私は、ニートとなり、その後職業訓練を受けた経験があるのですが、
職業訓練校では事あるごとに留年をバカにされました。
訓練生の多くは女性だったので、口汚い言葉で罵られることはありませんでしたが、
私の留年の噂は、ある事ない事が付け加えられ、あっという間に広まったのです。
無職の高卒の女性達から大学の留年をバカにされるのは何だか不思議な感覚でした。
彼女達は私の出身大学や学部の名前は忘れても、『留年』の2文字だけはしっかり
覚えていて、そこをネチネチと攻撃してくるわけです。
それ以来、留年について自分から口にしないと心に決めたのでした。
このブログを読んでいるあなた、留年は避けられるなら避けた方が良いですよ。
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