前回からの続きです
【渋谷健一命】
・「鉄の団結」の第六十四振武隊隊長
「父恋しと思はば空を視よ。」
万世から出撃した特攻隊員のうち、妻帯者は三名で、そのうえ愛児がいたのは渋谷大尉ただ一人でした。
この言葉は、「愛するわが子へ 倫子並生れ来る愛子へ」と題したご遺書の一文です。
渋谷大尉は、昭和20年6月11日隊長として部下8名とともに万世から出撃、散華されました。
当時、直前まで渋谷大尉を見送ったある新聞記者が次の様に記しています。
「第○○振武隊長陸軍大尉渋谷健一 ○○振武隊は自ら国華隊と名乗り渋谷大尉を中心にして美しい家族的結合は傍の見る目も羨ましい程であった。
渋谷大尉ほかの加藤隼戦闘隊出身で勇名を謳われた戦闘機乗りだ、支那戦線に活躍の後内地に帰還し各地に教官をつとめ搭乗時間三千時間という練達の士で部下の隊員には巽少尉、加藤軍曹、稲島軍曹等教え子の猛者を揃えていた。
大尉は三十二歳、一人の子の父親だった。
渋谷隊長 “隊員はみな猛者中の猛者です。急降下衝突、水平衝突平ちゃらですよ、みんなきっとやってくれます”
出撃寸前明るい笑いに弾み切った戦闘指揮所の一部屋で明朗闊達に語った隊長、渋谷大尉。
渋谷隊長以下○○機を主力とする一隊は嘉手納の泊地、巽少尉の指揮する一隊は中城湾泊地の大型輸送船撃沈の命をうけ『一機もって必ずや敵艦船を葬り、以て南海の藻屑と化せしめます』と凛たる一言を残して沖縄へ!沖縄へ!
実に見事な鉄の団結であった。
それから隊長以下全員まるで演習にでも出かけるように綺麗に発信し、而もそこに如何にも特攻隊らしい若々しい情熱と勇み立つ武者ぶりを盛りあげていたのであった。
○時○○分渋谷隊長以下相次いで突入の尊い無線が入る。
何れもほとんどが突入に成功したことはほぼ確実とみられる。
愛児の写真を胸に入れ“子供に不孝のようだが必ずわかって呉れる時があろう”とバンバンと足踏みをし、白靱の短刀を握って矢印へ桜をあしらった(加藤隼戦闘隊の印は矢印だった)尾翼の方からヒラリ愛機に飛び乗った大尉の後姿が眼に残っている。」
渋谷大尉の出撃の様子を偲んでいると、ふと、遺品館の入り口に建てられている、慰霊碑「よろずよに」に刻まれた特攻隊員のレリーフのまなざしが思い起こされました。レリーフの視線の方角の先には沖縄があります。
万世から出撃された201柱の特攻隊員が、今も祖国の防波堤沖縄を護ろうと見守っておられるかのごとく優しくも凛々しいまなざしなのです。
渋谷大尉率いる第六十四振武隊の方々が出撃された六月十一日は、沖縄では、海からは艦砲射撃、陸からは戦車攻撃、空からはナパーム弾が降り注ぐ中、日本軍は日一日と、沖縄本島南部の摩文仁の方へ追いつめられていきました。記者が「沖縄へ!沖縄へ!」と記したのは、日本の命運を特攻隊員である渋谷大尉になんとか託したいという切なる願いが込められている様に感じます。
渋谷大尉は、子供達に次の御遺書を遺されています。
愛するわが子へ 倫子並生れ来る愛子へ
真に今は皇国危急なり、国の運命は只一つ航空の勝敗に決す。翼破るれば本土危うし。三千年の歴史と共に大和民族は永久に地球より消え去るであらう。
先輩の偉業を継いで、将亦愛する子孫の為に断じて守らざるべからず、皇土斯如にして全航空部隊特に空中勤務者全員昭和二十年桜の候と共に必ず可く事に定りたり。
父は選ばれて攻撃隊長と成り、隊員十一名年齢僅か二十歳に足らぬ若桜と共に決戦の先駆と成る。
死せず共戦に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅墓なる思慮にして必ず死すと定まりて、それにて敵に全軍総当たりを行ひて尚且現戦局の勝敗は神のみ知り給ふ。真に国難と謂ふ可なり。
父は死にても死するにあらず、悠久の大義に生るなり。
一、寂しがりやの子に成るべからず、母あるに存らずや。父も又幼少に父母病に亡くなれど決して明さを失はずに成長したり。まして戦に出て壮烈に死せりと聞かば、日の本の子は喜こぶべきものなり。
父恋しと思はば空を視よ。大空に浮かぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎ふ。
二、素直に育て
戦ひ勝ても国難は去るにあらず世界に平和のおとづれ萬民大平の幸を受ける迄懸命の勉強をする事が大切なり。
二人仲良く母と共に父の祖先を祭りて明く暮すは父に対しての最大の孝養なり。
父は飛行将校としての栄の任務を心から喜び神州に真の春を招来する神風たらんとす。
皇恩の有難さを常に感謝し世は変る共忠孝の心は片時も忘るべからず。
三、御身等の母は真に良き母にして父在世中は飛行将校の妻は数多くあれ共、母程日本婦人としての覚悟ある者少し。父は常に感謝しありたり。戦時多忙の身にして真に母を幸福に在らしめる機会少く父の心残りの一つなり。御身等成長せし時には父の分迄母に孝養尽せらるべし。之父の頼なり。
現時敵機爆撃の為大都市等にて家は焼かれ父母を亡ひし少年少女数限りなし。之を思へば父は心痛極りなし。御身等は母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。書置く事は多かれど大きくなつたる時に良く母に聞き、母の苦労を知り、決して我侭せぬ様望む。
自分の翼に日本の命運がかかっている。
しかし全軍総当たりを決行したとしても、この戦に勝つか負けるかは神のみぞ知る、という未曽有の危機に日本は直面している。
しかし物量では圧倒的に勝る敵であろうとも、屈服してしまうことは、単に国土を奪われるのみならず、この日本の国を築いてきた先人たちの理想や思いという民族の魂そのものが、地球から消え去ってしまう、それだけは断じてあってはならない、と切なる胸の内をつづられます。
しかし、渋谷大尉は一時の感情で特攻へ志願されたのではなく、この戦いは、神代より受け継がれて来た日本民族のいのちの連なりを守るためであり、たとえ肉体の死が訪れようとも、渋谷大尉の魂は日本民族の魂とひと連なりになって、永遠に日本と共に生き続けることを、切々と子供たちに述べておられます。
私は特に、「父恋しと思はば空を視よ」の言葉がとても心に刻まれています。当時、後輩が一人、また一人とサークルを去っていく中で、自分の片腕をもぎとられていくいような痛みを心に感じ、とても落ち込んでいました。
アルバイトでゴミだしをしていた時、燃えるような夕日がとても綺麗で、その空に一筋の飛行機雲が伸びていったのです。
私は咄嗟に渋谷大尉を思い出しました。いつも見守っているよ、と仰られたような気がして、独りぼっちになった気がしていた私に、自分は一人で生きているのではない、と気づかせていただいた忘れがたい体験です。
渋谷大尉は、「皇恩の有難さを常に感謝し世は変る共忠孝の心は片時も忘るべからず。」と遺されているように、「忠孝一致」の生き方を継承することを心から望んでおられます。
それは、出撃の直前に出身地山形の学徒、学童に送った手紙の中からもうかがえます。
出身地山形の学徒、学童へ
皆さん、私等は陸軍特別攻撃隊振武隊員です。永い間の希ひがかなつていよいよ出撃することになりました。大君の御為に大日本帝国のためにご奉公出来ることは私等軍人としてこれ以上の名誉はありません。
皆さん、この戦争が長期戦だといふことをよくよくご存知ですね。
そして次の日本を背負つて起つのはあなた達だといふ事もよく分かつていますね。私等の特攻隊として御国のために喜んで散つてゆけるのは後に数多くの皆さんが続いてくれることを堅く信じているからです。今の皆さんであれば必ず出来る。日本歴史を通してあなた達ほど強い少国民はありません。常に健全なる身体を練り立派な日本精神の人となつて下さい。
これまで私等は度々皆さんのお友達の方々から優しい慰問を受けました。その度毎に隊員の全部が嬉し涙にくれて「よしきつとやつつけるぞ…」とますます決意を固くしました。将に皇国の嵐に咲いた私等若桜、莞爾と笑つて南の海に見事散つて見せます。この最後まで私等が強く感ずることは皇恩の有難さと、お父さんお母さんの優しいお顔です。忠孝一致は我が日本だけですものね。皆さんが健全な体で毎日の学業に励み立派な日本人にすくすく成長する事こそ、大君様とご両親に対する忠孝です。
空往かば雲染む屍
大君のへにこそ死なめ
かへりみはせし
大君の御盾と散るのは誠に楽しい。若い隊員を送る母の姿と顔に私はほんとうに日本の強さを見た。
お手紙を拝して、昭和天皇の御製が思われてまいりました。
昭和天皇御製
終戦時(昭和二十年)
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
渋谷大尉が仰られる、護るべき「祖国」の姿は、常に国民の幸せを祈り続けてくださる天皇陛下を戴く日本の国に生んでくださった両親への感謝を忘れることなく、御皇室と国民の絆を固く結ぶ共同体の姿であると強く思われます。
私たちは、御即位二十年にあたり、聖跡調査を通じて具体的な今上陛下の御聖徳を感じてきました。
近畿ブロックでは昨年サイパン慰霊巡拝聖跡調査として遥か南洋のサイパンまで赴かれましたが、リーダーの坂(当時)は次のように述べられています。
「両陛下のサイパン島での慰霊をお偲びする中で感じた、あまたの御霊との絆、いまを生きる人々との絆。歴史の縦のつながりと横のつながりが両陛下の「祈り」によって結ばれていることを感じ、日本人が古来より大切にしてきた「死者と共に歩む」という日本の国柄を感じた。」
(『天皇陛下がわが町に』より)
おわりに
日本人は先人と共なる生を実感することで初めて日本人としての自覚や喜びが生まれると思います。
万世特攻隊員のご遺書にふれ、私は、日本人としてのスイッチをオンにして戴きました。万世特攻隊員の方々は後世の私たち一人一人の日本人の実相を信じて、いのちのバトン、祖国を永遠に守りたいと心から願う「至純の心」を託してくださいました。
バトンを受け継ぐ者として、国難に際し、国に殉ずる生き方を貫いた方々の尊いいのちの積み重ねの上に今の私達のいのちが生かされていることに感謝を捧げ、同じ日本人としての血が流れていることを誇りを胸に、国難打開への叫びと運動、そして英霊への信に応えんとする誓いを常に顧みること。
そして大東亜戦争は如何なる戦いであったかを一心に学び、英霊が如何なる国際情勢の中で自らの生を定めていったのか、思いを致していくことを日々積み重ねていきたいと思います。



