梅雨に束の間の涼の宵、いかがお過ごしでしょうか?

こんばんは。


唐突ですが、皆さんは今の自分に満足していますか?

私は、満足がどういう状況なら、満足といえるのか?

そんな想像力さえ、失いかけて…。否、失って、

漫然と日々に埋没しています。

今の自分が、不満というほど強烈な不満も感じては

いませんが、やはり、乏しい想像力を駆使しても、

テレビを点けただけで、嫌になるところを自分なりに

観察すると、今の自分に満足していないのは、

明らかです。


では、「どうなれば、自分に満足できるのか?」と、

チラッと自分に問うてみると、ちっぽけな願望が、幾つか

浮かんできます。

そして、それらの状況は、今回の一生で満たせるものか?

満たせないものについては、端から求めることさえ止めました。


多感な20代から30代前半には、大それた希望でもなにしろ、、

人並みのと思えるような希望もありましたが、

ようやく40代を間近に控えて、人並みの幸せさえ、

諦めかけている自分を受け容れるようにもなれました。


腐ってるとか、鬱のような話がしたいのではないのです。

世間知らずで夢見ていた頃も過ぎて、現実の占める

ウェイトが、理想の占めるウェイトよりも、随分と固まって

きているのであり、それは、誰のせいでもない、

私の人生の責任は、私以外にはないとも思っていますから。


さて、鬱陶しい前置きはここまでで、今回のテーマである

『自意識をめぐる「二度生まれ型」と一度生まれ型」』ですが、

「二度生まれ型」っていうのは、今回の一生、或いは現在に

何らかの不満なり、不条理、理不尽さを感じて、来世に希望を

託す考えの持ち主であるようです。

対して、「一度生まれ型」は現世に満足して生涯を終える人

のようです。


私が、前者であるのは言うに及びませんが、「二度」と「一度」の

納得の仕方には、自意識が大いに影響しています。

エゴ(自我)とも置き換えられるでしょうか?


エゴが強かった若かりし頃に比べれば、今は感謝することも

多少は身に染みて感じられるようにもなりました。

昔から、「隣の芝生は青い」などとも言いますが、

私は、隣の芝生が青かろうが、剥げていようが、もう気にしなく

なりました。


ただ、「堂々と生きていくための努力」を惜しまず生きていこうとは

思っています。

昔、ある女性に言われたことを、今でも昨日のことのように覚えて

います。


「人生の言い訳すんな!」


と、その女性は私に言い残して去りました。


私の言う、、「堂々と生きていくための努力」とは、他人との比較の

ためにする事ではありません。

アイデンティティを持って、平たく言えば、「自分らしく」生きるために、

自分から逃げずに、自分に立ち向かう姿勢を身に着けて生きていく

ためにする努力のことです。


私は自分のことを「二度生まれ型」だと言いましたが、

私は、来世に希望を託すという意味ではなく、

今回の一生のうちに、一度生まれて、青春に挫折して、ある意味

「死に」、中年から生まれ変わって、もう一度生きなおしたい。

つまり、一生のうちに、「生まれて死んで、生きていく」という、

「再生」というテーマを懸けて、生きていきたいと思っています。


飽く迄も、自分の人生の主人公は自分です。

自分で舵を執り、自分のペースで人生を切り開いて行きたいと

思っています。


大事なのは、自分のペース。自分の主導権は自分が握る事では

ないでしょうか?

私は、そう思っています。