年賀状に目を通しながら…!? | 大阪市淀川区のカウンセラー|不登校・ひきこもりの対策など心の問題なら「ますだせいじ心のサポーター事務所」

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「心づくり」という新しいジャンルを開発しています。そのような視点から、日頃の何気ない生活の一コマが人生のターニングポイントになっていることを思い、心づくりの大切さや人生について、「心づくり」のインストラクターとしての立場で書いています。

皆さんもそうでしょうが、お正月に楽しいことの一つは、年賀状に目を通すことです。


懐かしい人たちからのものも多く、その人のお顔を思い出しながら、その頃のことや出来事を思い出したりしています。


そんなはがきに「先生と出会えてよかった!!」とか「先生と出会えて、PLの信仰を知りました。そのおかげで今があります…」などというものもあります。人が人と出会うということは、大きなターニングポイントになっているんだなぁと、改めて思う瞬間でもあります。


そういえば、私だって、今まで、いろいろな人との出会いがありました。「この方と出会えていなかったら、今の私はないだろうなぁ」と思える人が何人もおられます。


どんな人に出会えたかで、人生の方向が変わってしまうことだってあると思います。


私がPLに惹かれたきっかけは、大学受験のときでした。


その先生は、何もおっしゃいませんでしたが、私が大学入試を受けているとき、そっと、祈ってくれていました。私は、そのことをだいぶ経ってから別の人から聞かされて、世の中には、そんなに人のことを親身に思ってくれる人がいるのかとびっくりもしましたし、共感もいたしました。


恩着せがましくなかったのが、好感度につながったのかもしれません。


今思うと、これが、一つの出会いでした。


私が23歳のときに出会った上司の先生、まだ、右も左もわからない私に、大きな教会を躊躇なく任せてくださいました。そのお気持ちの真意はわかりませんが、「リスクを負ってでも若い教師が育ってほしい」という気持ちは、伝わってきました。「どうなっているのか?」と疑われたこともありませんでした。その気持ちに報いたいと思って頑張っていました。しかし、一度だけ、手を出してこられたことがありました。それは、私が不始末をして、会員さんとトラブルが起こったときです。何も言わずに、その中に入られて、相手の方に詫びてくれました。私の非には、一言も触れずに。


「この先生のためなら…」と思いました。


私が27歳のときに出会った上司の先生。人を導くということの本当を意味を教えてくれました。「人の尻を決して叩いてはいけない。」「煽ってもいけない」「その人が自分で気づくのを待つ勇気を持つこと」そんなことを繰りかえり教えてくれました。そして、そのような中で、教師として何ができるのか、何をすべきなのかを考えるように言われました。一度、我慢し切れなくて、言ってしまいたくなり、その思いを話したとき、その先生は、「君は、人の尻を叩いて、その人が動き始めたらそれで、すっとするかもしれない。でも、その後、どんな指導をするのですか? 次も、尻を叩くしかなくなるんじゃないですか? そんなふうにされてきた人が、どんな人に育つのか。尻を叩かないと動けない人にしかならないんじゃないのですか? そんな人を育てたいのですか? 」


このお言葉には、こたえました。衝撃を受けました。


しかし、私の指導者としてのスタンスは、このとき決まったと言っても過言ではないと思います。(失敗することは、ありますけど…)


私が28歳のときの上司の先生は、何事も常識はずれ。最初に挨拶に行ったとき、「おーい、時間あるか? 」と聞かれて、「あります」と答えましたら、「運転してくれ~」。どこに行かれるのかと、運転すると、競馬場。会員さんが、競馬場の窓口で働いておられるということで、ご挨拶とのこと。一言挨拶されたら、馬券を買って、「君はどうする? 」お断りすると、「そうか!!」と一言。そして、レースを見に行きました。「は~。こんなPLの先生もいるのか!?」と驚き。


いろいろ常識はずれのことをするのです。普通の教師が同じことをしていたら、会員さんたちから顰蹙を買うというようなことでも、違うのです。会員さんに聞いてみると「どうです。うちの教会長は、ものが違うでしょ!!」


「徳」という言葉は、知っていたけど、これが、徳というものなのかと感銘を受けたものでした。


その後、得体の知れない徳というものの中身を知りたいと、この先生の元に通いました。夜を徹して語ってもらったり、マージャンをしたり。


そんな中で、気づいたのは、発想が常に相手中心になっていること、決して、人を悪く思われないこと…。


こんな心境で暮らしていくことが「徳」につながるんだと思ったことでした。


人生をどんな思いで生きるのかが、その人の心境ということになります。PLには、「心境向上」という言葉もあり、心境を得ることが信仰の目的と言っても過言ではありません。


財産は、失うことがありますが、心境は、失うものではありません。


心境があれば、そこから言動が生まれ、その言動によって、展開が生まれます。それが、その人の人生になってきます。


そんなことを学ばせていただけました。


私が29歳のときに巡り会った上司の先生は、数字に強い先生でした。


目標に対しての信仰があり、「思ったことは、必ずできる道がある!!」と信念されておられました。


この先生の元で、11年間お世話になりました。


この11年間に得たものは、「経験」「真理」「責任」…というものでした。とにかく、いろいろなことを頼んでくれました。「使っていただいた」という言い方もできるでしょう。人間、場数を踏み、その中で学ぶということは、貴重な成長につながります。私が、そのとき、思っていたことは、「絶対に頼まれたことをできないと言わないこと」「手を抜かないこと」でした。


そんな中で、不思議な経験を何度もしました。


その時代は、一日に、個人相談が、7、8時間、会議がいくつかあり、それが、終わると、大体午前様。それから、次の日の準備や上司の先生から頼まれてことをするという生活でした。ですから、平均睡眠時間は、3時間あるかないかでした。


個人相談は、一ヶ月以上の待ち時間にもなっていました。


そんな中で、先生からの依頼は、待ったなしで、入ってきます。


「これ、夕方までにしてくれないかなぁ」


「はい、わかりました!!」


とは、言っているのですが、その日のスケジュールは、夕方まで、一分もあいていないのです。


しかし、しばらくすると経験の中で、あることに気づきました。


本当にこの仕事が必要な仕事なら、時間は、空くということです。


案の定、個人相談の予定の入っていた人が、風邪を引いてどうしても来られなくなったということで、一時間がすぽっと空きました。


目の前に現れてくる神業を全部受け入れて行こうと決意していたら、神様の方で水先案内をしてくださって、必要なものだけが残っていくということになるのだということを。


ですから、必要のないスケジュールは、消えて行きます。


上司の先生からも、「夕方までと言ったけど、明日でもいいよ」と訂正の電話があったこともありました。


「なるほど。こんなふうになっているのか!!」


この先生と巡り会えて、いろいろなことに使っていただいて、このような究極の10数年間を経験してなかったら、人を導く方向を知らないままに今を過ごしていたかもしれません。(今も、修行中で、指導者としては、成長途中ですが…)


また、教会の幹部さんでしたが、全盲の方がおられました。この方とは、お亡くなりになられるまでのちょうど10年間をご一緒させていただきました。


この方は、目がご不自由なのに、できないということがありませんでした。


ほとんど、視力を失ったとき、私たちの師匠であります、おしえおや様(その当時の)から「これからは、ゴルフを通して、人としてのマナーを学ぶことにする」と教えていただいたとき、誰よりも真っ先に、ゴルフセットを購入して、練習場に通われ、コースに立ちました。


私が何をお願いしても、「わかりました」と必ずおっしゃられました。


「それはできません」と言われたことはありませんでした。


「これは、できない」と決めているのは、自分の常識であって、本当は、出来ないことなどないのだなぁと教えられました。


そして、この方と過ごしている間に、「失うということは、得ることでもあるのだなぁ」としみじみ思いました。


目がご不自由になられたということは、失ったということも言えますが、この方を見ていますと、それで、得たものの方が大きかったのではないかと思えてきます。


人を包み込む温かい心や自分にとらわれない大きな心。


そういえば、短歌も作られておられ、ある時、お聞きしました。


「どんなふうにして、短歌を作られているのですか? 」


すると、


「家内に風景を見てもらって、伝えてもらっています。それを、若いときに自分の目で見た風景に照らし合わせて、イメージして作っています」


90歳を越えて、なお、歌境を進めておられました。


私の人生を少し振り返っただけでも、あの人、この人と出てきます。


たぶん、皆様もそうではないかと思います。


人は、いろいろな人と巡り会うことがターニングポイントとなって、変化していくものではないかと思います。


皆様方の上に、今年も、素敵な出会いがありますように!!


そして、私の上にもね。