まあ、自慢じゃないが、


僕は育ちが悪い。


母子家庭で3人キョウダイで、極貧という


環境もそうだけど、


そこそこの悪ガキだった。



小学校、中学校などでは


勉強など1秒もしたことはない。


宿題なんぞ、1度たりとも


提出していない。


なもんで、


高校では、全く授業についていけなかった。


当然の結果だろうね。


したがって、


別に引きこもったワケでもなく


水が高きを避けて、低きに赴くように


留年した。体育以外の全ての単位を落とした。



周りでは、学校を辞めるだろうとの


噂が流れていた。


少なくとも僕を知る人は


そう思っていたに違いない。



まあ、天邪鬼なんでしょう。


そういう周りの予想に、


予想通りになるのが、


とても癪にさわった。



で、一念発起、


二度目の高校1年生を始めた。


無論、勉強もやり始めた。


気が付いたら


学年ではそこそこまで行けたが、


結局1番は無かった。


ま~地方の三流高校の学力レベルなんで、


こんなものかと。



で、やはり大学は三流でね。


相当遊んだ。


学費を自分で稼がないといけなかったんで、


かなり忙しかったが、相当遊んだ。


となれば、授業なんぞ出れるワケもなく・・・。



ま~~


そんなこんなで・・・


1人暮らし時代は


四畳半一間、風呂なしトイレ共同で。


絵に描いた貧乏暮らしだった。


今じゃいい思い出で。



うまくまとまらないけど、


今、普通に暮らしているのは


僕からすると


信じがたい僥倖で。



いや~しかし問題もあって。


昔はサバイバルというか、


そういうものに対しての


競争力というか、耐性というか、


そんなエネルギーに満ちていたはずなのだが、


今はメッキリ減退している。



甘えてるなぁ。


これじゃうちの子供に負かされる日も近い。


ヤツとは対決することになるのだから・・・


今のうちに、筋トレしておかねば。


きっと生意気だろうしなぁ・・・


こえ~。



どんな理屈でもやはり、

現実に適合しなければ、

空論となるだろう。




つまり

A=Bで、

B=Cならば、

すなわち

A=Cである、という

そういう論理的な整合性は認めるが、

あんまり現実的ではないと

僕は言いたいのだ。




物理法則的なことならば

相当に安定した結論が得られようが、

人間社会においては

同じ事を同じようにしても、

結果が異なる場合も

十分に考えられるからだ。



と、いうか・・・

同じ状況などと言うものが

そうそう有り得ない。まず、無いと考えて然るべきだろう。



ならば、

求められるのは

状況に応じた臨機応変である。

気合や人海戦術では

到底補完できぬ物理法則的な限界を

まず前提として、

必要な情報を集めるための手法や技術、

集めた情報を取捨できる総合的で的確な判断力、

利害の反する相手にも妥協点を提案できる政治力や交渉力、

未来を見通す先見力など、

いろいろな能力が求められるが、

しかしだ、

こういった力は、計れるものではない。

誰もが必要と解っていても

その力を伸ばせるような、

育てるような、そういう教育機関がない。

もちろん、こういった能力を

習得するには訓練が必要だ。

たまに必要ないっていう人もいるが、

僕は必要だと考えている。



例えば、

囲碁や将棋で考えればわかりやすい。

ゲームのルールをしっかり憶えたところで、

その段階で

その道のプロに勝つ可能性ゼロである。

塵ほどの、一片の紛れなく、

勝つことはない。負け以外の結論は、

この宇宙の中どこ探しても存在しない。


素振りの練習をしたからといって

大リーガーになれるなど、

誰も思っていないのと同じだ。



その訓練をどう積み上げるかは、結論がない。

どうやっても正解で、また間違いでもある、と

僕は思っている。

そして、

訓練をしていたことが仇となったり、

していなかったことが幸いしたり、

そんなこともあるだろう。



ただ、人間社会においては

恒久的な真理より、

圧倒的に、臨機応変を求められる。

あらゆる危機を乗り切るための

思考、思想が、

そういう書物があり、師匠がいる。

必要かどうか、断言はできないが、

無駄にはなるまい。




ただ思うに、

臨機応変の訓練を積むにあたっては、

例えば、

当時の常識や、文化や、正確な解釈、

そんなものによって、

その価値を損ねかねないモノは、

真の臨機応変の師とするべきかどうか。

日本語になろうが、英語になろうが、

子供用の絵本になろうが、

当時の常識を知ろうが知るまいが、

解釈に誤解があろうと無かろうと、

活用できるモノが師として相応しいと思う。


また、

所謂聖人君子のための、

もしくは

聖人君子を目指す凡人のためのモノでなく、

素の凡人を対象としたモノが相応しい。


人間にとって

至高の精神を説くモノでなく、

最低のありふれた現実を説くモノが相応しい。


一字一句暗唱するような勉強でなく、

読んでは忘れ、また繰り返す、

習うではなく、慣れるほうが相応しい。

僕はそう考えている。



まあ、2500年程の昔の、

そういう師匠に出会えたのは、

僕にとっては大きな収穫だった。



当時15歳くらいだったが、

自分の頭で思考するということが

出来ているのか、出来ていないのか、

考えるという行動に、

何が必要な要素で、何が不要な不純物なのか、

そういうヒントを、材料を得られた。



ま~~

実際は大して成長できてないけどね、

悩みっていうのは、だいぶ消えた。


長くなったんで、この辺で。



アメピグ楽しいですねぇ。


沢山のグッピグ頂きまして


本当にありがとうございます。



いろいろな方のブログも


拝見させていただきました。


なんか皆さん


工夫が上手で


すげーなーと感服いたしました。



さりげなくペタの旅に出るのも


楽しみのひとつとなりました。


なるべく失礼のないよう気をつけますが、


なにぶん不束者ゆえ、


ご容赦いただけますよう、


よろしくお願い致します。