子どもの頃
お弁当に入ってる
玉子焼きが好きでした

母の味付けは
玉子焼き
甘いんです

一度母が病気でお弁当が作れなくなった時
小さな頃から出前をお願いしていた食堂の方がお弁当を作ってくれました
本当に有り難かったです

どのおかずも見事に美味しいのですが
玉子焼きだけ出汁の効いた甘くない玉子焼きでした

この玉子焼きの方が世の中的には
美味しいものだと言われているんだろうなぁと思いました
それでハッとしました

僕は甘い玉子焼きが好きなんだなと

東京に出てきて
醤油が甘くないものになりました

多分これが普通の醤油で
九州の醤油の方が普通じゃないんだなと
気づきました

それからしばらくは甘くない醤油を
食べてました
インターネットで通販を日常的にやるようになって地元大分のメーカーの醤油を取り寄せることにしました
甘い醤油です

刺身を食べる時
甘い醤油にわさびを溶かして食べます

これがあまりいいことではないと
漫画や小説で読んでことがあってから
ずっとしてませんでしたが
やはり僕にはそれが一番美味しい食べ方だと思ってしまいました

どちらが正しいとかじゃなくて
僕は自分で食べたいものを
選択します
自分の金で自分の選んだものを
食べるということです

"自由"ってそういうことだと思います

ただこんなこと書いてますけど
はじめていく人気店では
必ずその店の一番人気
スタンダードを頼みます

まずはそれを食べて
自分一人で再店した時
違うのにトライします

人が薦めたものは
たいがい注文もします

そしてたいがい感動します
美味くて

その感動を経て
自分の頼みたいもの
自分が頼まなければいけないものを
決めます

選択とは
そういうものだと
思います

大好きなのは
味の好みより
その食べ物との
個人の物語だったりします

日本中
どこに行っても
美味しいものが
沢山あります

最後の調味料は
人の物語です
どこかの誰かの物語です

関根勤さんがカンコンキンシアター終わり自分へのご褒美として食べるカレーライスや池波正太郎が足繁く通った洋食屋だとか
落語の"お直し"で主人公の遊女にポン引きの男が御馳走する鍋焼きだとか

あとは
地方都市で知り合った人が育ったもの
その物語を最後にふりかけて食べます

マキタスポーツ曰く
背景食いというやつです

それが自分の好みでないとしても
それはそれで楽しく美味しいです

そんなもんなんです

その上で
自分は結局何を食べるのか
その選択をします

若い頃はホテルの朝食バイキング
メニューが多いことが大事でした
沢山あると幸せでした
今は食べるものが決まってるので
さっと見渡して
引き算するところから
はじめます

あれとあれとこれはいらないなって
とこからはじめます

でもこれも
それがスタートで
そう決めてるのに
全く予想してないものに
出会う喜びがあるのです
これはこうと決めつけてる時
それを超えていく出会いが
本当に楽しく嬉しいです

私は食べものにスケベでいたい
食べる度に感動していたい
審査は少なめに
なるだけ感動したい
これ変な感じですよね
なぜなら最初から感動するって
決めてるから
でもそう思って食べたい

美味いまずいの能書きは
なるだけ面白い話にしたい
なぜなら
美味いまずいのジャッジなんて
本当にいい加減なものだなと
思ってるから

ネットで見る
感想サイト
ありゃその時の空腹度も
書いて欲しいなと
思う

そのときどれくらいお腹が空いていたのか
自分の健康状態も書いて欲しい

あんなもので店の価値
決められるなんてあまりに
不条理やなと思う

でもあれがあるから
お店側も提供するものを
努力して
しっかりしたものを
出そうと心がけたりもする

だから必要なのかもしれない
でもそれでお店の評判が
決めるのもどうなんやと

私は
少しオチのあるユーモアを
込めたものにしたい
ここが美味い
ここが不味いは
少し過剰な自分を演じて
少しだけ笑えるものにしたいかな

砂糖が多めに入った
玉子焼きが好きだ
もっと極端なことを言うと
母が作った玉子焼きが好きだ

そしてそんなどうでもいい話を
この駄文をここまで読んでくれた
あなたと同じように
自分の好きなものに耳を傾けてくれた人が
作ってくれる
甘い玉子焼きが好きなんだと思う

それはもう美味しいの

まだ食べてないけど
美味しいの

そういうものなの
自分が思う
美食なんてそんなものなの

ただね
ただ
甘いのなんてあり得ないって人の
話も好きだったりする

少し過剰に否定してくるそいつの
嫌いじゃないんだと思う

えっ
どうして?って聞いてみたくなる

愛ってそういうものだと思う

その人の物語を聞くことだと思う

ニコニコしながら
その日はその人と甘くない玉子焼きを
食べる人生
俺は悪くないなと思う