超能力戦士ドリアンというバンド


けつぷりさんのnoteがとても
面白かったのです








幼い頃から一緒に育った
ぬいぐるみへの真っ直ぐな
愛情になんだか
ほんわかしてしまいました


すごくグッときました

相棒なんですよね
同じ人生を歩いてきた相棒






修理でなく
入院
手術なんですね



聞いたところによると
そういう対応をしてるところ
の方が予約でいっぱいだそうです



面白いですよね
修理と明記するのでなく
手術とか入院とか
HPとかでも
担当の先生も
ぬいぐるみで



手術経過なんて形で
依頼者の方に動画で
お知らせしたりするそうです



依頼者がどんな思いで
ぬいぐるみと月日を重ねてきたか
そこに寄り添うってことですよね




僕が若手芸人だった90年代あたりは
こういう人を特異な人として
面前にさらけ出して
イジると称して笑いものにしてたような
空気もあったような気がします




多分
もうその感じいらないんでしょうね


外野から分かったフリして
近づいてその人の"好き"を
ズタボロにしていく感じ


そこでおきる笑いは
もうなしなのかもしれませんね







前から思ってましたが
好きなものは好きなもので
尊重しあいながら
ユーモアを混ぜていくことなんかなぁと




そうなると過剰な自虐が増えるんですが
それすらも
僕はもう笑えないの
増えたなぁって思ったりします



モデルの方と対峙して
その方の外見を褒めながら
自分を堕としたところで、
それを聞いて
傷つく人もいるやろなって思ってしまう




この持ち上げ全然いらんなぁって
たまに思いますね




そんなことより自分を生きていることが
めちゃくちゃ大事なんじゃないですかね





多様な価値観を寛容的に認め合う
そこからの空気で笑いを作るってのは
可能なのか?



笑いの構造が
相対的な差から起きるもんやからこそ、
その塩梅についてすごく考えます



昔はディズニーランドに行って耳のついた帽子かぶってる人を笑いものにしてたけど、
今はその人の好きなものは好きなんだ
めいいっぱい楽しむんだって
ポジティブな空気が
すごいことなんだよなぁと
思ってます

好きをこじらせるっていいですよね

隙が出て可愛げがあるもの

好きは隙なんですね



それをどうネタの中で
落とし込むか


ネタにするってことが
改めて大事やなと
思っております

謝罪会見より
ネタにできたら
いいなと思います



そうなると
やっぱりダジャレかもなぁと
ぼんやり思ったりして笑

ダジャレをすぐに言う人って
底知れないって思ってたりして
隙だらけじゃないですか

で、
なんもしてないのに
審査ばかりしてる人に
馬鹿にされたりしてる

ただなーんか
あの空気感が
好きなんですよね

緩和ですよ
緩くて和む



スナックのお笑いもそういうのに
似てるかなと


こんなこと言いながら
殺伐としたネタも好きなんですけどね


個を感じるものがね