FM GUNMAで会長が
カレーを振る舞ってくれました
これがめちゃくちゃ美味くて
おかわりしました

家カレーをアレンジして美味くしていく
このちょっとのアレンジで
めちゃくちゃうまくなる

大きな鍋に沢山つくる
これまたなぜか美味しくなる

ありゃなんでしょうな

そもそもカレーのルーってのは

イギリスから日本に渡ってきて
あっそもそもインドからイギリス
それで日本らしいのね

それで日本人はどんどんアレンジして
ハイブリッドにして
今のめちゃくちゃ
美味いカレールーの素ってのを
作ったわけです


このアレンジ力
追究する感じ
日本人の得意技
相当好きです


やる気になったなぁー
御馳走さまでした
ありがとうございます






今年も
8月6日
8月9日
がやってきました


8月6日は
人類に原子爆弾が落とされた最初の日

8月9日は
人類に原子爆弾が落とされた最後の日
です


大分県って
8月6日に学校登校するんです
平和授業ってのをやるんです
そこで広島や長崎のこと
その当時のことを勉強するんです

いろんな人に聞いたら
広島ではあるみたいでしたが
他ではやってないそうです

今はどうかわかりません
僕らのときはそれがありました

もちろん図書館に
『はだしのゲン』があって
普通に読んでました

小学校5年生のときですかね
体育館で映画版も観ました

僕、弟の名前が伸二なんです

ゲンの弟もシンジなんで
教室でからかわれたの覚えてます

ただからかわれながらも
心の中でずっと呆然としてました

こんなことがあっていいわけないのです
戦争の惨たらしさにやり場のない怒りを
感じました


それから
時間があったら
戦争に関する本を読み漁りました





祖父に話を聞いたりもしました

学校の自由研究で提出するので
記者の真似して


祖父は最初饒舌なんです

途中で必ず詰まるんです

祖父はソ連で拘留されてて
そこのことに関すると
黙りこくってしゃべらなくなる

それで静かに泣き始めるのです


僕はいつもそこで
話すのをやめます

つらそうな祖父を見るのがつらくて
戦争の話はやめようってなります

それでも
またしばらくたって
どうしても聞きたくて
違う観点の戦争の話を伺います


それでもいつも
終戦のあたりのとこで
言葉に詰まります


すごくつらい思いをしたんやなと思います





尊敬する
田中泰延さんの
広島についてのこの
素晴らしい文章に圧倒されました





ここにも田中さんの祖父が
言葉が詰まる描写があって
僕は自分の祖父のことを思い出しました




随分あとで
祖母の最初の旦那さんが戦死したこと
その骨を持って帰り
独り身になった祖母と祖父は
再婚したことを
知りました






高校生の頃
はじめて戦争は民間人・非戦闘員を虐殺しては
いけないというルールがあることを知りました


10万人が死んだ東京大空襲や日本中の空襲や
広島や長崎はなんなんだよって憤りました


のちにアメリカ側はパールハーバーがあったからと言ってることも知りました



戦争ってほんとに愚かしい
お互いの正義
お互いの理屈で
暴力を正当化しやがる






戦争は
新聞が煽ったとも聞きます

国民が戦況へと導いたと聞いたこともあります

独裁者や政府や軍部が
暴走しただけでなく
民衆がそれを支持したと聞きます




誤った過剰な情報操作で
人は簡単に洗脳されて
そちら側に傾くってことです


1994年のルワンダ虐殺も
はじまりはラジオ放送でした

そのアジテーションに
最初はみんな笑ってた
言い過ぎだよとか
偏りすぎたよって笑ってた
そのうちだんだんその気に
なってきた
やがて虐殺が正しいって思い込み始める

頭がそれに支配されたら
やっていいんだってなったら
振り切れる

80万人から100万人の人が亡くなってます


1994年にですよ?

最初聞いた時
耳を疑いました

一般人が一般人を虐殺する

なんでだよ
なんでそうなるんだよ

で怖くなりました

もし自分が同じ立場だったら
絶対にやってなかったのか?

ほんとか?


元々暴力的で残酷な人類が
(ホモサピエンスは何種もの原人を虐殺して滅ぼしてます。やる必要ないのにやってる)
そちらに振り切れたとき
沢山の犠牲者がでる



もしかしたら
僕らはそもそもそういう類の
生き物で
知恵や知識で
それを抑えたりできたり
全く違うものに転換できるのではないかと
思ったりしました


信じられない
どうしてこんなことに
考えられない
ではなくて

そもそも自分だって同じ人間で
そんなことに加担する加害者に
なる可能性があると思って生きてます





そして
集団で暴力的になる
なっていい
殺していいとなる


東京大空襲や原爆を落とすとき
自分らは正しいと思っていた
相手がいたってことです

やっと最近になって
原子爆弾を落とす必要はなかったという
意見の方が多くなったそうです

ヒットラーも最後の自決あたり
自分がいかに正しかったか
いかに弱者の味方だったか
正義が敗れることを嘆いていたそうです


マジかよ!?
ってなりましたが
でもそうやろなとも思います
そうでなければ
アウシュビッツのような
ことはできないんでしょう

自分は正しい
ってむごたらしい





この構造がとにかく嫌なんです


だって
全く
笑えない

全く楽しくない







SNSで
全くの他人に
死ね
とか
やめろ
とか
過剰な言葉を
なげかける構造も
一緒やと思います



その
言ってもいい
やってもいい
ってなる感じ


たまらなく嫌なんです









一方で平和的に他者に優しくできる人がいます

至る所で
愛と笑いに溢れた夜があります


過剰なほどの暴力性は
エンターテインメントに昇華して
楽しいに紡ぐ人がいます



スポーツにもそんな側面を感じたりしますね


だから




お笑いが好きです
エンタメが好きです
スポーツが好きです





歌を歌ったり
酒を酌み交わしたり
好きな作品に没頭したり
楽しんで
楽しみまくること


これからもそれを愛することが
戦争反対に繋がると信じてます






戦争反対
セックス賛成
愛し合ってるかい?
でございます







なので
これからも知りたい
勉強したい
そして愛したいです






広島や長崎であったこと
二度とあってはいけないのです



これからも
いろんな角度から
考えて
考えて
その日が来た時
祈ります

祈り続けます






下の世代の人たちにも
教えていかなきゃいけません


この国がどんな国なのか
歴史や文化を知って伝えて
行かなきゃいけません



その上で
絶対に戦争反対の立場で
いたいと思います




好きな時に
カレーが食べれる
ふるまえる
工夫して美味しくしようとする
その労力に
その優しさに
いつでも感謝してやろうと思ってます



戦争反対だよ
今日もカレーが美味い





平和でありますように