私が童貞をなくしたのは21歳のときだ。
全く女性に縁がなかったわけでなく、どうにかこうにかペッティングまではいくのだがそこからが進めない。
とにかく誇大妄想と自意識とプライドの塊で、それを飼いならせずにいた。
東京の明治大学に進学した後もひたすら映画館と御茶ノ水のレンタルCDショップ「ジャニス」と渋谷のストリップ劇場と風俗を行ったり来たりしていた。
このまま一生セックスできないのか、このまま一生女子と付き合えずに死んでいくのか、そんなことが脳みその中の大部分を占めていた。しこたまバイトして帰ってきてから録画していたダウンタウンとビートたけしの番組を観る。浅草キッドや大川興業のお笑いライブに足を運んで散々笑って、それでももやもやしていた。
自分はどうなるんだろう。
自分はこの先どこかで野たれ死ぬだけなのか。
そんなとき、どこかの雑誌でキャシー中島と勝野洋ファミリーが性教育に非常にオープンで、それは北欧のスウェーデンの影響を受けたと読んだ。
スウェーデン、イコール性にオープン、イコールヤリマンばかり。童貞の私はそのとき真剣にスウェーデンへの移住を考えた。まずはスウェーデンがどんな文化か調べなくてはいけない。
「ジャニス」に向かい、片っ端からスウェーデッシュポップスを聴きまくった。スウェーデンっていうと速弾きでおなじみイングウエイマルムスティーンやアバ、あとはB21スペシャルがコントで楽曲を使っていたヨーロッパ(アホな名前だなぁ~(笑))ぐらいしか知らなかったのだが、そこで思わぬ拾い物をした。
高校生から洋楽の有名アルバムをとにかくいろんな大人に借りて聴きまくっていた私は名盤と呼ばれるアルバムはほとんど聴いていたので、ロックに対して少し食傷気味であったのだが、スウェーデンのポップスにはイギリスやアメリカにはないストレートで開放的な魅力の詰まった、ただただ陽性のポップソングが沢山あったのだ。
とくにその当時はXTCや後期ビートルズやトッドラングレンなんかの小難しいポップスを好んで聴いてたので、どちらかというとストレートに楽曲の良さを全面に出るスウエーデンポップスに音楽のダイナミズムを思い返したりもした。
私のお勧めはなんと言っても
ビーグルというバンドだった。
イギリスのギターポップが好きなら絶対ハマる、とにかく曲が秀逸など真ん中なポップバンド。
大好きでした。
XTCやトッドラングレンや背伸びしてポップグループ聴いてたからねー
少しひねくれてたのが好きな自分を意識してたならジェリーフィッシュとかビーグルは本当聴いたのです。
※上手く再生できない時はこちらから
帯のコピーは”Bから始まるバンドはいいバンドばかり”
ビートルズと比較するなんてと笑われそうだが本当に名曲ばかりだった。
あとはスウェーデンだとワナダイズやトランポリンズなんかも好きだった。
カーディガンズがカヒミカリィによって爆発的なブームになるのはそれから間もなくしてだったから、僕は割と早くからブームを先取りしていたのだ。動機が不純だが。
これが童貞の高慢なプライドに火をつけた!高慢なくせにコウマンを決めたい僕はこれをどこかでひけらかしたくなった。
カーディガンズが徐々に人気出始めている今こそ、音楽の話で女を口説いてみるのはどうかと、渋谷のテレクラに向かった。
明らかなサクラを避け、なんとか会えそうな子を探した。「もしもし」快活な声にこれは!と手ごたえを感じた。
渋谷系音楽が好きな22歳の女の子。
趣味は音楽を聴くこと。
すぐに上から目線バリバリでスウェーデンのポップスについて語った。
手ごたえあり。
早速待ち合わせを希望したら即オッケー。
こんなにうまく行っていいのだろうか。興奮した。
しかも待ち合わせ場所に向こうが指定してきたのは、渋谷の道玄坂、百軒店奥。
そうホテル街も近いスポットだ。
こんときは何にも疑問に思わなかった。息をきらせて到着すると下半身が異様に肥り、顔面がトッドラングレンのベスト盤のイラストみたいな女が立っていた。
異様に長い指を伸ばしてきたとき、私は冗談抜きでETのような挨拶をしかけた。
「ねぇホテル行こう!行ごうぉぉぉぉよ!!」
そっからは無我夢中で走って逃げた。
そうビーグル犬のように。
あとで店員さんに聞いたらその女は渋谷の名物女で男のどんな会話にも合わせられてそこで男をハントしているそうだった。狙われたのは私のほうだった。なぜだか東京に来たんだなと改めて痛感した。
帰り道とぼとぼとビーグルを聴きながら渋谷の道玄坂を下った。
ペッティング、つまりBにはいけてもCにはたどり着けない私は、それから一か月、土下座して日本のヤリマンとセックスした。
そしてそのまま芸人になった。