1995年の小沢健二

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1995年1月17日阪神大震災

朝早くテレビをつけたときの衝撃。

この国でおきているんだ、これ。

災害の当たり前さに唖然とした。



1995年3月20日

地下鉄サリン事件はネタ合わせしようと入った

明大前の中華料理屋で点けたテレビで知った。

僕には同棲していた彼女がいた。

彼女がアルバイトしている神谷町を画面は映しつづけた。

万が一のことがあったら。幸い彼女は無事だった。

そんとき思った。

幸いってなんだ!

結局を俺も俺のことしか考えてねぇのかよ。

事件は宗教団体による毒ガス事件だった。

学歴もあり、普通にサブカルチャーを愛していたものの、末路。

世界を変えてやろうと、ロックで世界を変えてやろうと立ち上がった70年代から数えた

20数年。

それがただの夢物語だって知った。

いやそんなことはとっくの昔にみんな知っていた。

渋谷の街ではルーズソックスを履いた少女が売春で金儲けしてた。

数字をもとめ破綻した経済はまたさらに数字に固執した。

音楽もテレビも映画も全て全て全て数字。

ガスを吸い、植物人間に変わり果てたなんの罪もない被害者を見て

ただただ僕らにできることは黙ることさ。そう僕らは言葉を失った。

喋っても、語っても、理想は破綻した。

ロックや映画や漫画や文学、カルチャーに何ができるんだろう。

何かができると思った信者の顔がまた浮かんだ。

過度にその教義に心酔し(いやもしかしたら彼らが心酔したのはロマンかもしれない)、

暴力と虐殺を正当化できた歪んだ正義をふりかざす集団が

もっとも影響をうけたものが、僕らの大好きなサブカルチャーだった。



小沢健二は頭の悪そうなラブソングを必死で歌った。

なよなよとしたダンスを踊りながら。

僕は今もそれを観て泣きそうになる。

もう一度恋すること。

わくわくしてドキドキすること。

ポケットに音楽を詰め込んで恋人と一緒に冬を過ごすこと、

遠くに旅立つ君に溢れる幸せを祈ること、

そしてほんの少しだけ祈ってみるってこと。

祈ってみるときだけ神様はいるってこと。

空中に浮くことができたやつがいるから神様がいるんじゃない。

人は祈ることができたそのときこそ、思いを馳せ、願いを込めるときにだけ

神様は存在するんだってこと。

そうだ、僕らが一番しんどいときに

小沢健二はその細い身体で全部引き受けた。

君のLIFEにLOVEとMUSIC、そして希望を。

一説によるとサニーデイサービスの「青春狂走曲」のサビは小沢健二への手紙だと聞いたことがある。(これについては作者の方が私のブログの愛読者なのですぐに真実が分かりますが)

”そっちはどうだい うまくやってるか?

こっちはこうさ どうにならんよ

いまんとこは まぁ そんな感じなんだ”

小沢健二はやがて日本の音楽シーンから姿を消し、

ドラムを叩いていた東京スカパラダイスオーケストラの青木達也さんは自殺した。

僕らはミッシェルガンエレファントとサンボマスターと銀杏BOYZの登場で

またサブカルチャーを少しだけ奪還できたような気がする。

いや分からないな、本当はさ。

パンクロックは孤独な反抗の歌でなく、グリーンデイという聡明なバンドにより共有と共感と連帯をもたらした

(そんなグリーンデイが今や旧態のパンクロックのスタイルのように国家に反抗するのはとても面白いことだけど)

汚い普段着を着たシアトルの若者が、着飾ったマイケルジャクソンを蹴りおとし、

世界の街中がジャックパーセル型のコンヴァースのスニーカーだらけになった。

でも若者は最後の最後、口に拳銃をぶち込んだ。

そいつは引き受けるのが嫌だと遺書に書いた。

ロックスターってタフな仕事なんだろう。

僕らは絶望と失望と諦観の中、レディオヘッドのゆるやかな悲しい歌を

耳にしながら毎日をやりすごした。

俺たちだってタフにいつかはならなきゃな。

でも、でも、やっぱり。

僕は笑うことにした。

へたくそな歌を唄って、へたくそな踊りを踊ってみようと思った。

そしてやっぱり笑ってやろうと思った。

それはあのどん底のときに

「強い気持ち強い愛」と真正面から歌った君がいたからかもしれないんだぜ。

僕のヘッドホンから「愛し愛されて生きるのさ」が流れた。

僕は鏡の前で小沢健二のようにクネクネと踊ってみせた。

そうだ、

”LIFE  IS COMIN BACK”



漫画の世界や映画の世界、文学、活字、テレビ。

僕の全てを興奮させるエンターテイメントたち。

少しだけ背筋を伸ばして生きなければ。

その後、ビルに飛行機がつっこんで90年代が終わった。

チャンチャン。

そっちはどうだ?うまくやってるのか?

こっちはまだまだどうにもならないよ。

でもやるしかないね。やるしかないんだよ。

僕は少しだけ祈った。

特定の神様でなく、絶対的な僕だけの神様に祈った。

友達や家族や僕の周りにいる人たちのこと。

そして僕が触れない他人のこと。

死んでいった人のこと。

僕はもう一度ヘッドホンで大音量で小沢健二の「LIFE」を聴きながら

鏡の前でクネクネと踊った。

まぎれもない僕の気持ちの悪いダンス。

僕は笑った。

そして鍵を握りしめドアをあけ扉を開いて外へ出た。

僕はただただ笑っていた。

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大谷ノブ彦へのメール

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