運命のような連続だった。
移動日の多い仕事が続いたのでたくさん本をバックに詰め込んで出発した。
こういうとき僕はバックに本をたっぷり詰め込む。
分厚い文学本から割りとあっさり読めるコラム、雑誌の類まで含めると10冊くらい、大げさじゃなく僕は活字があれば何日でも人と会わなくても時間を潰せる。
そんな中にあったのが山崎ナオコーラさんの「人のセックスを笑うな」だ。夫がいながらも自由奔放な美術学校の女教師と生徒とのラブストーリー、そんな風に簡単に言い切ってしまっていいのだろうか?
この物語はひどく繊細で切なく、そして非常にセンスがいい、なんだか触れると壊れてしまいそうなセンチメンタルな風景の連続だったからだ。
だいたいなんなんだこの短さ。
この煌き感をこの短さであらわす、無駄の無さ。
そして最近では、佐藤亜紀さん(「ミノタウルス」)や桜庭一樹さん(「私の男」「赤朽葉家の伝説」)のような、
男の獰猛さ単純さなど最初から分かっておるのだと言わんばかりのスペクタルで読み応えのある傑作小説を書く人は皆女性だが、このナオコーラという人を食った名前の作者ももちろん女性だ。
僕はこの短い小説に一気に恋をした。
そしてこのとらえどころのない女教師ユリに多感な思春期に描いてた女性像、そして永久に続くであろう理解できない生き物として優秀すぎる「女」を見た。
読み終えたその日、ネットを開くとこの物語が実写版化するニュースがながれた。青年は松山ケンイチ君が演じ、女教師を永作博美さんが演じると書いてあった。
なんたる偶然、僕がこの小説を一気に読み終えた瞬間、頭に描いた姿がこの二人だったのだ。
そしてつい先日サンプルの映像とこの映画に対するコメントの依頼がきた。
観てから返事しますと言いながら、久々にドキドキして再生ボタンを押した。
それは「恋」だった。
切なく、だがどこか俯瞰で眺めていると滑稽で笑ってしまう、そんな一生懸命さが胸を締め付ける「恋」の映画。
そう、この映画を監督した井口監督もどうしようもなく「女」だ。
パンティストッキングの上からでも分かる怠惰なシルエットの永作博美さんの「女」に打ちのめされた。
咥えタバコの姿は「グロリア」のジーナローランズのような強さと色気を兼ね備えている。
その姿はあんたはそのままでいいんだよっていってくれている母性のようにも感じれる。
優しい女で「女優」。女優がそこにいる。
いや、女はいつだって優しいのだろう。
こんな愚直な戯言をただただ書き述べるだけの単純な生き物「男」の馬鹿さを包み込んでくれつづけているのだから。
えっ?笑うなよ!俺の「男の子」を笑うな。
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