肥後の名僧「皇円」「寒巌義尹」「大智」 | 自転車とか歴史とか

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熊本在住

文章力皆無なので備忘録的意味合いが強い。
地元の図書館とwikiや野良サイトで調べてるだけなので間違いが多いと思われる。
想像・妄想で書いてることも多いので話半分程度に読んでほしい。

腕骨折して入院してました^^;

 

 

 

 

宗教とはなにか

仏教とはなにか

 

正直、未だによく理解できていない

ただ歴史を調べる上で生き方や軍事面など様々な面で宗教が影響してくるので

分からないながら虫食いで少しずつ勉強したりしている

 

 

まずは地元の肥後の仏教史を調べてみた

 

 

肥後の仏教史を語る上でおそらく下の3人が重要となると思われる(私感)

・皇円(こうえん)

・寒巌義尹(かんがんぎいん)

・大智(だいち)

 

 

 

ざっくり経歴

 

・皇円

 平安時代後期の玉名出身の僧で、比叡山で修行をし広い学徳により肥後阿闍梨(あじゃり)と呼ばれた。

 総合的な日本仏教文化史である扶桑略記を編纂したことでも知られる。

 短い間ではあるが浄土宗の開祖である法然の師でもあった。

 玉名には鎌倉時代に高原山蓮華院浄光寺が建立されたが戦国時代に焼けて荒廃。

 数百年後の1929年に蓮華院誕生寺として再興された(ほぼ別物と思われる)。

 

 

 

・寒巌義尹

 鎌倉時代中期の僧で、父に後鳥羽天皇(順徳天皇とも)を持ち法皇長老とも呼ばれかなり力を持っていたようだ。

 始めは比叡山で天台宗を学んだが日本曹洞宗開祖の道元に参禅しており曹洞宗の僧となっている。

 宋へ二度渡り修行を行い肥後に本拠地を移す。

 1276年、当時九州第一の難所とされていた緑川の大渡に架橋計画を立て2年掛けて橋を完成させた。

 これは元寇(1回目1274年 2回目1281年)の間のことで九州南部からの交通路確保の目的もあったとされる。

 その後、南区に大慈寺を建立し、曹洞宗の九州総本山となった。

 肥後には寒巌派の仏像や曹洞宗の寺院が多く残る。

 大智を弟子に迎え大慈寺で修業させた。

 宇土市の如来寺にて入寂。

 

 宇土市三角の中神島につりがね島の伝承も残る

 

 

 

 

 

・大智

 鎌倉時代後期から南北朝時代の不知火出身の曹洞宗の僧で、7歳の時に大慈寺の寒巌義尹の下に出家した。

 大智の法名は寒巌義尹がつけたとされる。

 寒巌義尹入寂の後は日本各地や元で修業。

 中国嵩山少林寺での修行を広め「不動禅少林寺流拳法」となる(現在の少林寺拳法とは別物)

 菊池武重の招きにより肥後に戻り、鳳儀山聖護寺を開創。菊池一族の精神的拠り所となったとされる。

 時代は南北朝時代に突入したばかりの不安定な時期であった。

 玉名に紫陽山廣福寺を興し、菊池氏代々の菩提寺になったとされる。

 菊池氏と非常に密接な関係であったと思われるが菊池武光の時に懐良親王が合流すると折り合いが付かなくなったのか

 数年後には有馬氏の招きにより大智禅師は島原へ移り、水月山円通寺を興す。

 1366年円通寺にて入寂。

 鳳凰山祇陀寺(石川県)1325年
 鳳儀山聖護寺(菊池)1338年
 伝来寺(中津江村)1338年
 本覚寺(島原神代)1356年
 紫陽山廣福寺(玉名)1357年?
 水月山円通寺(島原口之津)

 

日本昔ばなしにもなっている

 

 

 

 

 

 

ということで肥後の名僧3人の概略の説明終わり

 

特に3人目の大智禅師については各地を自転車で周っているので

その内画像付きでまとめたいなー