日本経済新聞に橋下大阪市長の第九条に対する発言が言及されていた。
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1EBE2EAEAE7E4E2E0E7E2E0E0E2E3E08297EAE2E2E2
正しい正しくないは別の議論に譲るとして、なんともすばらしい問題提起だとおもうわけである。
>2年程度の国民的議論を経た後、国民投票を実施して決めるべきだとの考えを示した。
前回に戦争反対のブログを書いてて、こういうこともなんだけど、「考える時期に来ている」と言う意見には賛成出来る。「平和」を政治的戦略に利用している人間が多いと感じるわけである。
戦争をする事と第九条は別に関係ない。そもそもそんなものが無いと戦争をしないと決められない事もどうかと思うが。
これによると日本国民は平和を強く望まなければならない。平和を望まなければ憲法違反だ。
武力や威嚇を国際問題の解消に使ってはいけない。
武力は一切持たない。
というように記されているわけだが。
なお文中にある日本国民には解釈が個々の国民を指す説と、全体としての日本国民を指す説があるのだが別に詳しくは明記しない。
正直どうでもいい。一部分をとって一カ所こねくり回すよりも、平和に思いを馳せる方が重要だと考えるから。
第9条に関してはかなりの昔からもめていた。
主たる理由は利権の話である様な気がしてならないのだが、武器の放棄は外交を悪化させる、威嚇の道具として必要だ、など。
最近は尖閣諸島沖での件などが国交の不安定さの上下に併せて武力行使を願う国民も増えたり減ったりしているようだ。これは印象だ。
さて語り尽くせないのはこのような背景だけではないのだが、第9条の見直しに関しては橋下大阪市長のこの一言から始まった。
(quote)
世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。
第九条はある意味で腫れ物の様なものだ。慎重に扱う。しかし腫れたらなおさなきゃいかん。ほっときゃ治れば良いが、悪化するなら塩でも塗ってなおさないとね。そういうわけで一石投じる人間が要る。
それにしてもこの意見はツイッターを通して公になったのだが、それに対する返信意見は人任せな者たちばかりだ。
非難をする材料集めしかしてないんじゃないかと思うほど。
さて、なぜがれき処理が憲法第9条に関係してくるかというと、実は正直よくわからない。
先の戦争が核戦争であったが故に、放射能で汚染されたがれきには近づきたくないから
利権が絡んでいるという説
とりあえず言っとけ感
誰かわかる方がいたら是非説明してほしいのだが、現時点ではこの以下に紹介するブログとほぼ同じ意見だ。
(quote)
http://tamm.exblog.jp/17537074/
橋下市長のこのツイート自体は論理性がなく、こじつけに過ぎません。多くの日本人が「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」といっていたのも本心ですし、そのうちの一部の人たちが瓦礫を拒絶するのも本心からです。こういうのを総論賛成各論反対といい、何も今回に限ったことではありません。
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2年後に国民投票をするという事でこれから議論もしていくだろうし、今のところは答えが出ないという事を答えとして善しだと判断。
それにしても、橋下市長の意見の出し方には賛否があるが、非常に革新的な政治家であるという風に思う。
自民党や民主党が自分らの発言を霧中させる事は政治的戦略で自身の責任を軽量化させる非常に有効な手段なのだが国民としては「はっきりさせてちょ」である。
しかし橋下さんはもう一個上を行く言動、行動がある。
いわば問題発起政治家とでもいおうか。
自分のネーミングセンスを地獄の一丁目あたりに置き去りにしていた事に気づきつつ進めるが。
今回の提言に関しては「第9条は改変の必要がある!!」ではなく、「第9条は改変の必要があるとおもうけど、みんな(国民)はどうだろ?」というような言い回しをする。
国民投票をするということだ。つまり、自分の意見が周囲をにぎわす事を認知しつつ、周囲に考える事を勧めている。オレなんてめっちゃ第九条調べたからね。
「政治家なら方向を定めて、何かを打ち出せ!」と非難も出そうだが、そんな政治家はもうお断りだよ。
自由民主党から民主党になって小泉元首相の台詞を借りれば「自由がなくなった」政党が与党なのであるが。
大阪維新の会の動向はおそらく数年間は目が離せない状態になると思う。
最後に橋下市長に対しての私の考え方をまとめておく。後に変更の可能性があるが、現段階においてのものだ。
人間は自分に有利な采配をする人に興味・好意を持つが、今回の橋本市長に対して私はその類のものは持っていない。
現段階において、自分の側の意見を打ち出したとしても次に出す政策などが、私にとって善なのかはわからないから。
さらに言えば、私にとっては悪な改革であっても、全体に対しては善であれば、その法案等々は敢行されるであろう。それが民主主義であるから。
Twitterの意見として、「前まではなんか良いなと思ってたけど、維新八策ぐらいからつきあいきれなくなりました」という意見を言っていた人がいたが、何か勘違いしているのではないかと考えるぐらいだ。
敵味方以前の問題である。
素直に良い意見には賛同し、間違っている意見には理論とともに反対し、自分が間違っていると思えば撤回する。
であるから、私の意見が間違っていると言ってくれる人は賛成意見と同じ価値なのである。
