まさのブログ -4ページ目

まさのブログ

日常を謳った、のんびりブログ。

至極真っ当そうな件名が躍るが、なんて事は無い。第9条に対して考えてみた、が正しい。

日本経済新聞に橋下大阪市長の第九条に対する発言が言及されていた。
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1EBE2EAEAE7E4E2E0E7E2E0E0E2E3E08297EAE2E2E2

正しい正しくないは別の議論に譲るとして、なんともすばらしい問題提起だとおもうわけである。

>2年程度の国民的議論を経た後、国民投票を実施して決めるべきだとの考えを示した。

前回に戦争反対のブログを書いてて、こういうこともなんだけど、「考える時期に来ている」と言う意見には賛成出来る。「平和」を政治的戦略に利用している人間が多いと感じるわけである。
戦争をする事と第九条は別に関係ない。そもそもそんなものが無いと戦争をしないと決められない事もどうかと思うが。

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これによると日本国民は平和を強く望まなければならない。平和を望まなければ憲法違反だ。
武力や威嚇を国際問題の解消に使ってはいけない。
武力は一切持たない。

というように記されているわけだが。

なお文中にある日本国民には解釈が個々の国民を指す説と、全体としての日本国民を指す説があるのだが別に詳しくは明記しない。
正直どうでもいい。一部分をとって一カ所こねくり回すよりも、平和に思いを馳せる方が重要だと考えるから。


第9条に関してはかなりの昔からもめていた。
主たる理由は利権の話である様な気がしてならないのだが、武器の放棄は外交を悪化させる、威嚇の道具として必要だ、など。
最近は尖閣諸島沖での件などが国交の不安定さの上下に併せて武力行使を願う国民も増えたり減ったりしているようだ。これは印象だ。

さて語り尽くせないのはこのような背景だけではないのだが、第9条の見直しに関しては橋下大阪市長のこの一言から始まった。

(quote)
世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。


第九条はある意味で腫れ物の様なものだ。慎重に扱う。しかし腫れたらなおさなきゃいかん。ほっときゃ治れば良いが、悪化するなら塩でも塗ってなおさないとね。そういうわけで一石投じる人間が要る。

それにしてもこの意見はツイッターを通して公になったのだが、それに対する返信意見は人任せな者たちばかりだ。
非難をする材料集めしかしてないんじゃないかと思うほど。


さて、なぜがれき処理が憲法第9条に関係してくるかというと、実は正直よくわからない。

先の戦争が核戦争であったが故に、放射能で汚染されたがれきには近づきたくないから
利権が絡んでいるという説
とりあえず言っとけ感

誰かわかる方がいたら是非説明してほしいのだが、現時点ではこの以下に紹介するブログとほぼ同じ意見だ。

(quote)
http://tamm.exblog.jp/17537074/
 橋下市長のこのツイート自体は論理性がなく、こじつけに過ぎません。多くの日本人が「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」といっていたのも本心ですし、そのうちの一部の人たちが瓦礫を拒絶するのも本心からです。こういうのを総論賛成各論反対といい、何も今回に限ったことではありません。

--

2年後に国民投票をするという事でこれから議論もしていくだろうし、今のところは答えが出ないという事を答えとして善しだと判断。




それにしても、橋下市長の意見の出し方には賛否があるが、非常に革新的な政治家であるという風に思う。

自民党や民主党が自分らの発言を霧中させる事は政治的戦略で自身の責任を軽量化させる非常に有効な手段なのだが国民としては「はっきりさせてちょ」である。

しかし橋下さんはもう一個上を行く言動、行動がある。

いわば問題発起政治家とでもいおうか。

自分のネーミングセンスを地獄の一丁目あたりに置き去りにしていた事に気づきつつ進めるが。


今回の提言に関しては「第9条は改変の必要がある!!」ではなく、「第9条は改変の必要があるとおもうけど、みんな(国民)はどうだろ?」というような言い回しをする。

国民投票をするということだ。つまり、自分の意見が周囲をにぎわす事を認知しつつ、周囲に考える事を勧めている。オレなんてめっちゃ第九条調べたからね。
「政治家なら方向を定めて、何かを打ち出せ!」と非難も出そうだが、そんな政治家はもうお断りだよ。

自由民主党から民主党になって小泉元首相の台詞を借りれば「自由がなくなった」政党が与党なのであるが。
大阪維新の会の動向はおそらく数年間は目が離せない状態になると思う。


最後に橋下市長に対しての私の考え方をまとめておく。後に変更の可能性があるが、現段階においてのものだ。

人間は自分に有利な采配をする人に興味・好意を持つが、今回の橋本市長に対して私はその類のものは持っていない。

現段階において、自分の側の意見を打ち出したとしても次に出す政策などが、私にとって善なのかはわからないから。
さらに言えば、私にとっては悪な改革であっても、全体に対しては善であれば、その法案等々は敢行されるであろう。それが民主主義であるから。


Twitterの意見として、「前まではなんか良いなと思ってたけど、維新八策ぐらいからつきあいきれなくなりました」という意見を言っていた人がいたが、何か勘違いしているのではないかと考えるぐらいだ。


敵味方以前の問題である。

素直に良い意見には賛同し、間違っている意見には理論とともに反対し、自分が間違っていると思えば撤回する。


であるから、私の意見が間違っていると言ってくれる人は賛成意見と同じ価値なのである。


戦争が存在する人間社会は異常事態だ。

YUKIのメランコリニスタのPVを見ていてそういう風に思った。

著作権の関係で動画は載せないが、YUKIは世界平和とか調和とか、を好まれているように感じている。
それにプラスαで人間の弱さとか、寂しさとか素直な気持ちとか表現なされる事がうまい方だ。動画を作ったのは本人じゃないだろうけど。

先に紹介した動画、「メランコリニスタ」はいろんな国の人間が走って踊っている。エルビス・プレズリーも出てくるし(世界史の知識がありませんですいません)ペルーかどっかのテンガローハットの人、中国の拳法の達人的な人、欧州の貴族のような人も出てくる。

その方々が聖火を持って画面の端から端まで、てれてれと走っている。

勝手な解釈で申し訳ないが、てれてれと走っている…シリアスな場面なんて世界には必要ないとでも言わんばかりに。


私たちは争いの絶えない世界に住んでいる。
親しい者同士から始まって、友人、関係人同士、隣人、他人、地域、民族、国家。
相手の意見が気に入らないと言って争っている、他人のゴミの出し方が悪いといい、考え方が間違っているといって他宗教を弾圧し、核兵器を持っていると言って核兵器を持っている国が戦いを仕掛ける。(←ここはまた別の話になりそうだが)


かつては人間も食べ物や領域で争っていたのだろうが、今は違う。ヒトは自身を律した行動を以て自分の価値観を守る為に戦うと行っても過言ではない。脳が発達したからだ。マズローの欲求の話ではないが、食物や縄張りを奪い合って争う段階よりも一ランク上の様な印象を持っている。

日本は先の第二次世界大戦にて大量に殺人をし、無差別に殺戮され、世界中にもう二度と戦争はしないと誓った数少ない国の一つだ。

平和ボケしていると主張する輩もいるが、大いに結構だ、平和ボケに注意を促す人間も大事だからね。



それらを含んだ上でも大事なことだ。

平常時が平和で平和はデフォルトだ。

今までがどうであれこれからはそうだ。

戦争が異常。あたりまえである。




人間は動物であり生き物であり、争いはあるものだ、必要なものだと主張する者もいる。
そしてヒト以外の振る舞いを見てみれば縄張り争いなどをして競争を勝ち残っている。自分や個体を守るために争う。これは事実だ。

しかしこれは、動物というフィルターのみを通して垣間見る人間の一部分であるにすぎない。
しかし私たちにはあって他の動物にはおおよそ持ち合わせないものがある。

それは文化だ。

私たち人間が、嫌な事に対して「そらしょうがないよね~」と歯切れのいいあきらめの言葉を吐いたなら、ヒトはここまで進化してこなかったのだろうと考える。ご先祖さま感謝。

あきらめないから、進化してきたわけだね。

ヒトは自律的な生き物だ。
自分自身で問題に対して対処していく。知識をつかい、知恵をつかい、また知識を蓄える、そういう風に生き残る為に発達した脳みそがある。

では、人間は今までのままに、争っていけば良いのだろうか。誰かの所有物をどうにかして奪う事がしょうがないことであろうか?

すべての人間が戦わん事は無理だろうか。





ここで私はあきらめない事を提案する。諦める者は未熟だ。間違った大人から、間違った知識を受け取ってはいけないぞ。


最近は大人のモラルを取り上げた記事もあるけど、大人が言う大人理論は間違いの可能性があるぞ。


●尊敬するブロガーさんより

どう考えても若者論より「大人論」のほうが必要です-デマこいてんじゃねえ!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120120/1327071261



失敗する事もあるかもしれないし、争う事になるかもしれない。でもそれは諦めていい理由にはならない。

チャレンジしたらチャレンジし直せば良い。誰かに任せてしまっても進展。その人が進めてくれるかもしれないからね。てれてれと。

てれてれとそのうちまたやればいい。

何も頑張る必要などない。

なにも焦る必要などない。

人間の歴史は宇宙の歴史からみて一年で言うところのまだ数秒だ。


全然大丈夫だ。





そんな事を、 YUKIの
「世界はただ輝いて」
を聴きながらも思ってみた。


あえて載せないけど、ワードは言ってる状態でリンクしたからGoogle とかから探してみてくださいね。






うーん、てれてれってなんだろ?
最近、というか2011年からWikipediaが寄付を募っていたことを知っている方は少なくないと思いますが、寄付期間が一応終わりました。
http://ja.wikipedia.org/井戸端
日本人のお金に関する意識は「低い」ものであるという意見をちらほら耳にします。
日本の一般の学校教育(普通科)では、貸借対照表の読み方や帳簿の書き方には触れないことが多いようです。
しかし、日本において会社活動などBL・PLシートはなくてはならないものであり、知っていて損なことは一つもない。
むしろ勤めている会社のホームページなどに張り出されたCSRなどは会社の資産・負債の面での状況が詳しくわかり、それでなくても毎年または更新があるたびに公開される財務省の日本の貸出額・借入額の表は日本の現在の状況を事細かに説明してくれる。


増税の必要性や、あるいはそれが必要無いというあまたの意見に左右される必要は一切なくなる。

そして増税はやめてくれ。

実際のところ、「お金を稼ぐこと」は卑しいことで、お金の為に働かないことはすばらしいこと、ボランティアや慈善活動など、お金を目的としない労働は「すばらしい」と強調するほど、逆にじゃあお金を稼ぐ人たちは何だ!という声も聞こえてきます。

「お金が汚い」というイメージは政治家の贈収賄や、マネロン、インサイダーなど多岐にわたり、じゃあ寄付をするかという話になると、「寄付をするくらいなら、体一つで言った方が良い」と言う人まで現れる始末。実際、被災地に行って復興の手助けをすることも、寄付をすることもそれぞれ利点も欠点もありますので何とも言えません。

また、海外の資産家や有名人は寄付をしたら実名を公表します。
これは、寄付をすることは賞賛の事由であるからです。
しかしながら日本の有名人はこの度の地震・津波を受け、多大な募金を「匿名で」したものとされています。

この背景には

海外:寄付=すばらしい人助け
日本:寄付=金持ちがやること→もっとやれ(額が少ない・対応が遅い等々)→売名行為だ

ソフトバンクの孫正義さんは、地震後頃合いを見て、3~4ヶ月ほど経って適切だと判断した募金団体に寄付をしました。そのことをホームページで公表しました。

そしたらTwitterが荒れていたことを記憶しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/成年後のエピソードー東日本大震災の欄参照


発表したのが4月で、支払いが7月くらいだったと思います。

そしたら、一部の人が、発表後まったく払ってないだ、やれ売名だ、うそつきだ、まだ一円も払ってない証拠などをつらつらとブログで書き記す人もいました。(まだ残ってますんで、検索とかで引っかかると思います)

寄付は強制ではありません。
個人の自由であると思いますので特段取り上げることではないと思いますが、要は日本で名前を出して寄付をすることは、かなりのリスクが伴うということを物語っています。
そして、やはり寄付をしてくれた人には感謝の気持ちで臨みたいところです。

そんなことを考えながら日本人の寄付に対するモラルを考えていたらこんな記事を見つけました。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1209&f=it_1209_004.shtml
ウィキペディア:寄付金合計、寄付者数、平均寄付金額など細かく調べてみた!

  まず合計からご説明すると、12月7日の寄付者数は3,739人、合計金額は8,442,865円でした。1人あたりの平均寄付金額は1,874円。

中略

なお、「Wikipedia:全言語版の統計」というページにはどの言語が一番多いかが表でわかるようになっています。

1位英語
2位ドイツ語
3位フランス語
4位ポーランド語
5位日本語
6位イタリア語
7位オランダ語
8位スペイン語
9位ポルトガル語
10位ロシア語
11位スウェーデン語
12位中国語
13位ノルウェー語
14位フィンランド語
15位カタルーニャ語
16位ウクライナ語
17位ハンガリー語
18位チェコ語
19位トルコ語
20位ルーマニア語

$まさのブログ-あ




というわけで日本5位でした!



日本の皆様大変申し訳ございませんでした。
◆ ころころ変わる日本のトップ


日本の首相は実質的には日本のトップです。

その日本のリーダーとも言われる内閣総理大臣が毎年祭事のように(「まつり」といえばマツリですが)交代して、アメリカをはじめとした各国に笑い話として記憶されていることも事実(ニューヨークタイムズ紙には前回の内閣総理大臣が決定した後、「すぐ変わるだろう」と皮肉を書かれていた)

それも無理のない話で、小泉さんが3年ほどやったあとは、阿部さん→福田さん→麻生さん→鳩山さん→管さん→野田さんとどれの一年前後の職務期間です。

これじゃいけないと、考えては見たもののどうかえれば良いのかわからない。ころころ変わることって、一本化というかそもそもぐらぐらふらついて、まともな政治をしてないようにみえるじゃないか。
ではどうしたら良いのか。

見本にしてみようじゃないか。大統領でも首相でもどこか任期を全うする国はないか。
こんな問答はいらないくらい簡単に思いつきますね。


◆ 死なない限り辞めない アメリカ大統領の底力


というわけでアメリカです。

アメリカは大統領になってから辞めることはほぼありません。
アメリカは大統領の任期を4年としながらも、暗殺によって辞せざる終えなくなった事例以外、辞任によって途中で大統領職を降りた人は一人だけのようです。
リチャード・ニクソン大統領のみ(知っている限りー調べたし多分間違いない)

ちなみに暗殺されたアメリカの大統領は4人もいるそうです。その方々を含み任期中になくなった方が8名。歴史におけるアメリカの治安が悪かったことを物語っています。
しかし日本も2名です。
内閣総理大臣の職を辞した後に暗殺もしくは病死が4名。記憶に新しい方であれば平成おじさんこと、小渕恵三元総理大臣も病気により退任し、その後亡くなられています。

蛇足ですが、なかには存命であるにもかかわらず、死亡の報道が流れたパターンもあったようです。


◆ 日本の議院内閣制とアメリカの大統領制


そのような内容から大統領と日本の首相の違いを求めてみても何もわからないので、もっと別の角度からの視線で見てみましょう。

日本は議院内閣制という制度を利用しています。
それに対してアメリカは大統領制を採用しています。
名前からして制度が違うことが伺えますが、要は日本の首相は議会に責任を負うのに対して、アメリカの大統領は負いません。つまりアメリカの大統領は日本のように政策を決定し履行することに多少の責任を負うことはしても、そんなに重くはないということを意味します。
それに対して、日本の内閣総理大臣の責任の大きさはかなりのものです。議会の全責任を負っていると言っても過言ではありません。であるからして、内閣総理大臣から任命された大臣などが不祥事や失言などをすれば、内閣総理大臣まで 任命責任よろしく引っ張られるカタチとなります。

議会に入らないアメリカ大統領は議会側から大統領を辞めさせるということは出来ない仕組みになっています。
逆に議会が大統領を不信任してやめさせるというのは立法府の行政府への干渉になります。だから認められていません。

そのような責任の違いから、日本とアメリカの任期の違いが生まれる訳です。この制度の違いは任期の長さに多分に影響してきます。
誤解を恐れずにいえば、日本の内閣総理大臣は爆弾を幾つも抱えて内閣総理大臣になる、とも言えます。


◆ 「身代わりの術」日本の議院


アメリカの大統領を取り巻く一行が辞めるとなった場合、副大統領はもちろん、役員から官僚まで総取っ替えをすることになります。
アメリカの大統領決定後の最初の仕事と言っても良いその任命の総ポジション数は3,500程度だと言われています。

そういう国から見ると、日本のリーダーがころころ変化する様は、非常に不安定に感じるでしょう。というか日本人だってそう感じているんだから。

でも大丈夫!(?)日本は内閣総理大臣が変わっても、党(現在は民主党)は変わらないのです。
党が同じだと言うことは、それぞれが掲げた(一時期流行った)マニフェストが政権を動かしているということになります。

そういう事例から考察することが出来るのは、日本における内閣総理大臣の第一の職は「辞めること」といっても過言ではありません。

党批判をしている人もいますが、結局は民主党の風よけになっているということが容易に想像できます。

まさに「身代わりの術」。

そう考えると、総理大臣かわいそうになってきた。

次期総選挙で党が変わらない限り根本はこのままだということになります。(民主党以外の党が優れているという主張をしているわけではありません)


◆ 日本は首相を「辞めさせる」システムである


さて、話がそれましたが、ここまで抽象的に日本とアメリカの違いを記述して参りましたが、実際どういう事例で退任するのかをあげてみようと思います。

日本のこれまでにあった退任理由

死去(暗殺・病死)
病気
引責(責任を取って辞めること)
政局(政治の流れが変わって辞めること)
└内閣不信任決議案の可決



アメリカ
暗殺
弾劾・罷免*
病気
*下院が訴追し上院の出席議員の3分の2以上(大統領自身が法律違反をした場合のみ)


Wikipediaなどにはのっていますが、政局による交代が数多くいます。
それに対してアメリカは、任期を全うするまで辞めません。自分で辞めた総理大臣は前述しましたが、ニクソン大統領のみで、それ以外は亡くなったりするなどのやむを得ない自体をのぞき、辞めた人はいません。自分で辞める以外、誰も辞めさせることができないということです。

弾劾裁判・罷免にしたって歴代大統領のなかでその裁判によって罷免された大統領は一人もいません。

このように、そもそも制度自体が、「辞めずにしっかりと」派と「なんかあったら責任を」派にわかれています。


◆ 誰が悪い?と考えること


合理的至高が織りなす場合にのみ「原因がどこにあって何を改善すれば良いのか」を考えることは改善を生み、そうやって人間は進歩してきた訳なのですが、日本の総理大臣においては、それを良いように…いやまぁ悪いということなのですが、使われているなぁという気がしてならないのが私情です。

よく「日本は責任の所在を曖昧にする」なんて言われていますが、そのような強固な責任の押しつけをうまい具合に霧散させた例にほかなりません。
日本の内閣総理大臣は選ばれれば始めから、責任を取って辞することが仕事に含まれています(と感じます)
それは日本国内では通用しますが、海外では通用しません。この度の原発の際にはIAEAからは強く批判されていましたが、改革が必要だと言うことなのかもしれません。

「辞めることだけが責任の取り方じゃない」ということは最近はよく言われていますがそろそろ日本も学ぶ時ではないでしょうか。

これは政治家の問題ではなく、私たち国民一人一人の問題です。

最近山岡さんがまた失言で叩かれてますが…
「ユーロは破綻する」「金融・経済の大津波」山岡氏、失言連発
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120105/plc12010517370009-n1.htm

政治家が議会で、マスコミがテレビで、一党員を批判することに私たちがすべてを同調してはいけないのだと思います。

私たちは昔のようにテレビをつけて、ラジオをつけていれば何もしていなくても情報が降ってきた時代とは違い、インターネットという新しい媒体を使用することが認められています。

ツイッター・ホームページ・各種ソーシャルネットワークを駆使し、世に自分の声を広めることが出来ます。

そういう意味では(例ですけど)「テレビで小沢さんが叩かれてた、なんてやつだ!怒」ではなく「テレビで小沢さんが叩かれてた、その他の議員の動きは?どれどれ」など(劣悪w)

悪いのは小沢さんだけではないのかもしれない、ということが世論になりつつあるのかなという風に思ってみたり。

政治家は、マスコミは、と言っているならその時間に、自分も情報発信すれば良いのです。


「政治家+マスコミ:その他」

どっちが多いと思います?


情報発信↓↓↓
人気ブログランキングへ
2011年は日本にとって結構大変でしたね


昨年は念願のスノボに言ってから一年が始まったんですけど、それから2ヶ月くらい経って、311の大地震で。

関東にいたんですけど結構揺れて帰宅難民になりました。

正直笑えませんw

宮城・岩手・福島の方々はこんなもんではないほどのつらい日々を過ごされたのだと思います。。とかきれいなこと言ってますけど、ワレなんぼのもんじゃいって感じですよね。

その大変さなんて、やってみた人しかわかんないんで、「大変でしたね」なんて発生直後はもち、いまもそうそう言えるもんじゃないです。

これって結構話題になりましたよね。


私は今日から仕事始めです。


昨年中は本当にお世話になりました。

今年も何卒よろしくおねがいまします。