ハー(ry
筆者撃沈(精神的ダメージにより)の為、もう一人の自分です。(←都合いいねw)
昨日の内容のように、そのまま間違った項目が、自分の弱いところを鑑みることができるポイントという寸法です。
例えば、「1.意見を批判されると人格まで批判されたように感じる。」は必ずしもそうではないから気にしなくていいよ。ということです。
弱点さんが分かったら、そのポイントをもとに一つずつ修正していけばおkです。
昨日の自分よりも今日の自分よりも明日の自分の方がレベルアップです。
自分の弱点はわかりました。
でも、「いけないいけないばっかりでどうすればいいの」って言う場合はどうすれば良いのか。
それに対しての、面白い記事があります。
本当はこのサイト内を上から順に読んでいけばかなりすっと入る部分があると思いますが、それではこのブログを書いている意味がないので、私なりにまとめます。
議論の種類-iwatamの個人サーバ
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/ar01s02.html これによると、議論には「討論」「議決」「対話」にわかれていて、それぞれがそれぞれのルールと性質・特徴を持っているということです。
討論
参加者は「賛成派」「反対派」「審判」の3つに分かれる。兼任はできない。
賛成派・反対派はお互いを言い負かすために全力をつくす。
審判は両派の言い分を聞いて、どちらが勝ったかを判定する。
審判の判定は絶対である。審判への攻撃は許されない。
審判は公正でなくてはならない。意見の偏りがあってはならない。
議決
参加者は「賛成派」「反対派」「審判」の3つの役を一人でこなす。
参加者は公正でなくてはならない。意見の偏りがあってはならず、判断が自分の考え以外の要素に左右されてはならない。
参加者は問題についての直接の利害があってはならない。
対話
参加者は自分の意見を自由に言い合う。
相手の意見を聞くのが目的であり、何かを決めるのが目的ではない。意見に勝ち負けをつけるのは無意味である。
結論を出すのが目的ではないのだから、結論が出ないような話でもいい。
相手の意見が自分とは違っていたとしても、相手の意見を変えようとしてはいけない。あくまで意見を聞くことが目的である。
自分の意見は変えてもよい。むしろ変えた方がよい。 話し合いをする際には、以上のどれかに当てはめて議論をします。
それができなければ、ただの「言い争い」である と述べています。
そしてもう1ページ押さえて欲しい項目があります。
「正しさ」の問題-iwatamの個人サーバ
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/ar01s05.html 人間おのおのがもつ「正しさ」について書いてあります。
このページによれば、人間は次の三つの主義に分れているそう。すなわち「絶対主義」「虚無主義」「相対主義」です。
その主義別の違いを、「神がいるのか」という難題に観点をおいて、違いを説明しています。
◎絶対主義者は「神はいるのか」に「いる」もしくは「いない」で答える
◎虚無主義者は「神はいるのか」に「答えることはできない」からの「その答えはないのだから議論は無駄だ」と答える
※基本的に虚無主義になるならば議論に加わることをしてはいけないそうです。 一つの「テーマ」に話し合っている中に入って「なんで議論をするか」を問うてしまうからですね。◎相対主義者は「神はいるのか」に「正解は無限に存在する」と答える。
「正解というのはその人の立場やその場の状況に応じて決まるものであり、絶対的に決まるものではない」というふうに。
以上の議論の種類と主義とを踏まえて、議論に望むことがよい、ということです。
そして二度目になりますが、虚無主義に属するならば、議論に参加してはいけません。
議論に望む姿勢が、根本から違っているからです。こういう態度は
通約不可能性 を生み出します。
◆ 最終章
とまぁここまで述べましたものは、いわゆるハードですね。外見、外観・方法。
それと併せて大事な事項がソフトです。中身・内面・心ですね。
話し合う「方法」は、沢山の本が説明されています。いろんな方が、いかようにも説明されています。議論の仕方やディベートの仕方なんていう本はたくさん出ています。
ですが、どの内容の本にも書いてあることなのですが、最も大事な、押さえておかなければならない事というのは、「相手の話を聞くこと」です。
聞くという行為は非常に難しいで
人の意見を聞けることは相手を尊敬することです。
このように申しますのも、話を聞くということは非常に難しいのです。
なぜなら(私は)「ちがうな」とおもうと、「いや、、それは…」とか、「でもね…」とか小憎らしいほど、癖のようにいってしまうからで。
話を聞くということは、あなたの意見は言わなくていいのです。
「ああ、そうか」「わかるよ」とかでいいんです。
相手が意見を求めるまでは言わなくていいのです。たとえこれが間違っていても。
であるからして、私はこの議論にもう一つ、加えたいポイントを紹介します。
議論(討論・議決・対話)は何のためにするのでしょうか?
相手とわかり合うため。そうだと思います。相手を知るためと、そうですね。
話を少し変えますが、あなたが話をしている時は、どういう時が一番楽しいだろうか。
いろは「最近〇〇にはまってねぇ!」
とりな「お!オレもだよ!この前なんか××にってきたよ。」
いろは「あそこはいいね。これなんか楽しいだろう?」
とりな「いいね。取り入れみよう」
A「…でさー、C子ったらさーなんて言ったと思う、、○○だって!」
B「あはは(笑)そんなこと言ったの~」
会話というものは、相手を知る手段として用いられることと書きました。
しかし同時に世の理論では、理論武装や理屈、言い回しのうまさ、相手を言い負かすことを評価する風潮にもあることは、容易に想像できます。
「遠慮のない」という意味で2CHが好きなんですけど、「論破」で喜んでいるユーザの態度とかもそうですね。
すべてに共通することってどんなことだと思いますか。
それは「楽しい」ことだと思います。
みんなが「楽しい」を実現することができれば、その議論・討論・対話は成功だと言えるでしょう。
「楽しい」を共有することができれば、おk。
では、相手が「楽しい」と思える議論とは。
その答えは、あなたは知っているでしょう。
だって、あなたが「そうされると嬉しい」わけですからね。
ガチ長文で読み返したらひいた。www