学会長の先生が有森さんの故お父様の主治医だったらしいです。
私が、この講演で受け取ったのは、
「人間ってこんなに変化できる。死ぬまで変化できる。固定観念ができないようにさせているだけ。機会とチャンスがあれば人間は変化できる」
というメッセージ。
そんな講演内容を紹介します。(メモ取れないぐらい聞き込んでしまったので微妙にちがうかもしれません)
有森さんは岡山の出身。
生まれたときから、いい足を持って、走るのが大好きで。と、思われがちだけれど実は、全くそうではなかった。
生まれたときは、股関節脱臼。
小学2年の時に、足の大怪我もして、ひどいO脚で走れば自分の足につまずいてこける状態。
走るのは大嫌い。
小学校のクラブは手芸部。
何もかもに自信がなく、そんな中、1人の先生が毎日「どないしてん?」と声をかけてくれたそう。
その先生が、毎日毎日、「私は、できんのじゃ(岡山弁)」と言う有森さんにしびれを切らして、小学4年の時に、
「できん、できん言うて、お前は自分のええとこを何もわかっていない。」
と、言い、有森さんは、
はっ。
として、この先生の前で頑張っている自分を見せたいと思って、その先生が、顧問をしていた陸上部に入った。
たまたま。
中学に入り、クラブはバスケ。
運動会で、これまた、たまたまみんなが嫌がった800mに出ることになり、出るからには頑張ろう。と、練習し、見事1位に。
と、思ったら、意地悪な友だちが
「まぐれじゃろ。●●さんが休んだけぇ、優勝できたんじゃ」
と、耳元でささやいた。
悔しい!頑張ろう。
有森さんは、その後、2年も、3年も、800m競争で1位に。
走ることで自分を出せると気づいて、高校は陸上部のある高校へ入ったのだけれど、学校のリレーでしか優勝したことのない有森さんは、顧問から入部を断られる。
1か月後、やっと入部できたが、ひどいO脚だったので足を痛めてしまい、病院を受診することになった。
病院に受診になって、もうこんな足で走るのはやめなさいと言われると思って、診察室に入るなり、どれだけ走りたいかを必死で伝える有森さん。
主治医の先生は
「こりゃあ、立派なO脚ですね。内緒だけれど、いい練習法を教えてあげよう」
と、O脚を治すための方法を教えてくれた。有森さんは、内緒で、夜のベランダで必死でその運動を続けた。
その後、リクルートに入り、小出監督に出会う。小出監督もまた、整形の主治医の様にやる気を出させる言葉がうまかった。
自分の猫背を
「マラソンは前へ行くのだから、自然な前傾姿勢、そのままでいい!」
とか。
言葉ひとつで、人はやる気になったり、やる気を失ったりする。
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png)
この辺りで時間が来てしまい、その後の話はなかったですが、この後は、皆さんが知っている有森裕子さんだと思います。
最後に、有森さんから、
「元気がなくなったら、人を応援しましょう!応援すると元気になれる。」
と。
スポーツ観戦の事を例に出していましたが、どんなかとでも、人を応援することは自分も元気になれますね。確かに。
皆さん、応援してます
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/082.png)