「もう採卵をしないと決めているのは、何か理由があるのですか? 」
とのコメントをいただきました。
なぜ、かたくなに、こんなに心苦しくなりながら、自分自身を「採卵しないぞ」と、追い込んでいるのか。
治療の終わりを意識したのは、移植5回目が終わったときでした。
当時のブログ
「あと5回にしよう」2013.7.20.
あのとき、こう決めたのだから、今の心の迷いは、冷静な自分ではないかもしれない。
ギャンブルで、次こそは勝つ、次こそは勝つ、と、お金をつぎ込んで、朽ち果てていくがごとく。
あの日記を書いたあと、移植予定を途中でやめての採卵。
「全部、胚盤胞にしてください!」と、先生にいったら、
本当に、全部、胚盤胞になった。
もう、妊娠したも同然だと思った。
けれど、全くだめなまま、9回目の移植を終えた今。
それこそ、末期がんの患者さんが奇跡的にがんが消えた。とか、共存してずっと生き続けられている。みたいな、医療者もハテナなミラクルが起きない限り、私は妊娠できないと思う。
そのミラクルのために、この、とんでもなく大金で、体に堪えて仕事にも影響するこの治療を続けるのか?
と、こんなことを書いていますが、採卵をしないと決めている理由の一番は、
世間体。
かもしれません。
けじめ。
か。
もし、採卵したいと言った時の夫の反応、職場の反応が怖いのもあります。
「もう採卵しないと言ったじゃないか!」
そう、嘘つきになりたくないというのか。
そして、私は、冷静なのか?
ギャンブラーになっていないか?
お金はあと1回採卵するぐらいの余裕はありますので、それが一番の理由ではないと思います。
その行動を取る利点と欠点を書き出してみるか。