あまりに違い過ぎて、同じ曲に聞こえない現実(ノ ‾-‾)ゞ
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【付け足し!】
そして、血迷って 先生に連絡してみた。
今やってるドラマで、いちばん楽しみにしてるのが『アンナチュラル』。
脚本もすごくいいのだと思うけど、石原さとみがすごく良くって引き込まれる✧︎*。
こんな顔、できますか?って顔をする。演技が体当たりで心をつかまれる。
石原さとみさん、いつから こんなに凄い女優さんなんだろう…。
気になってホロスコープ見たら(出生時間不明)、大変なことになってた 汗
太陽のステリウム(星がたくさん集まってる)持ちで、射手座山羊座に星が集まってて、土星が参加、やっぱり体当たりに一生懸命という印象。
そのステリウムに、魚座から火星・木星の合がスクエアで刺さってる。厳しい。
魚座の火星・木星と蠍座の金星・冥王星が水のトライン。
これが、人の感情にどわーっと入り込んでくる秘密だと思われる。
蠍座で金星・冥王星合とか 笑
月が強烈にヒリヒリ。乙女座か天秤座か分からないけど、どの時間であってもハードアスペクトばっかり。
ふんわり育ってきたわけではないと思う。この涙の元は、どんな経験だったのだろうかと想像せずにはいられない。
自分の気持ちごと持っていかないと、こんな演技できないよねって涙を流す。
出生時間探してたら、月天秤座説を押してた人が多かったけど、この仕事に厳しい姿勢は乙女座もあり得ると思う。お顔が超絶美人で華やかだけど、伝わってくるオーラに華やかさが感じられない。
全く考えることに時間つかってないから、何とも言えないけど。
ハードアスペクトを結晶に出来た時の輝きは半端ない✧︎*。まさに硬い硬いダイアモンド✴︎
こんな風に、自分の心の引出しを、作品に昇華できるって すばらしいなと思う( ˊᵕˋ* )
『教える』ことは性に合ってる。
そのせいか、20代の早い段階から、社内教育、セミナーや説明会、講習、おけいこなど、教えることを仕事にする機会が多い。
教える内容はさまざま。
子供に教えることも、初めてではなかった。
学生時代にも、数名家庭教師で高校受験の英数国の指導をしていた。
その時に気付かなかった、大人に教えることと子供に教えることの違いがある。
それは、子供が対象である場合、根本的に「本人に教わる気のない」生徒が含まれるということ。親が塾通いを決め、親のお金で通うが本人は気が進まないパターン。
まとまった数の子供たちを教えるに至って初めて、その子たちの中の一部に、さらに あるパターンを呈する子たちがいて、彼らが作り出す困難というものに気づいた。
中学生向けの英語講師をするといった時、ある友人が、「あかりちゃん、友達だったら、嫌いな子は相手にしないでいいけど、子供相手だと、好きな子も嫌いな子も全部相手しないといけないんだよ」と言った。
彼女はいつも、私に対して鋭いところをついてくる。
確かに。私は好き嫌いがマイルドな方ではない。
ちょっと心配になった。
しかしやってみれば それは杞憂で、個人的にはタイプでない子たちも、生徒として接していると 意外と皆かわいいのだという自己発見があった。
けれど、正直言って、嫌いというか正確に言うと「苦手」な子たちが複数いて、それは、前述の「教わる気のない子」たちだ。もっと正確に言うと、「背を向けるだけでは足りず、他も反逆党に染めるべくプロパガンダに励む子」たち。
それぞれの個性をさぐりながら、どうやったら吸収しやすいだろうと試行錯誤しても、どうしても噛み合っていけない。
そういう子たちは、自分が勉強したくないだけでは足らず、周りもそれに巻き込む努力を怠らない。
反抗したり、先導したり、授業とは関係のない笑いの渦を発動したりすべく、虎視眈々と機会をうかがっている。
なぜか そういう子たちが複数存在している学年があって、気付いたら、なんとなくその学年の授業前はテンションが下がっていて、アゲアゲに持っていくのにエネルギーがいる。
人間は、うまくいかないことにフォーカスする傾向があるので、そういう存在には悩まされて クタクタになったりもするけれど、よくよく考えると、向き合う楽しさや喜びの方が大きいという発見もある。
ほとんどの子たちが、自分にとって好ましい存在なのだ。
出だしは苦戦していた子たちが じわじわ頑張って、段々伸びてきたときに こぼれる笑顔に、大きな感動をもらう。涙もろい私は、感動の涙をこらえるのが大変だ。
「すごいね‼」 「よかったね! あなたのこと、誇りに思うよ!」と一緒に喜びを分かち合う。努力の結晶は見逃さず、沢山褒める。
『スラムダンク』を次々読んでいて、バスケに向き合っているどのキャラクターも大好きで捨てがたくなるように、一緒に山や谷やを経験していると、勉強のできる子たちのことも、そうでない子たちのことも、どんな風貌でもどんな性格でも、結局好きになってしまっている。
まぁ、『スラムダンク』はマンガだから、キャラクターの魅力付けのため、背を向けるエピソードがあっても絶対に分かり合うというエピソードを挟む。現実のように、反りあったままという軸では終わらない。
まとまった人数であり、かつ、名前を覚えて人格に触れることができる程度の人数。そんな絶妙な集団を俯瞰する立場にいるからこそ見えることがあって、本当に良い機会をいただいていると感じる。
勉強が得意な子たちも、苦戦している子たちも、やるべきことに向き合っている子たちは、必ず少なからぬ進歩を見せてくれる。
全員 個性が違って、同じパターンなどひとつもない。
全てが貴重な多様性なのだと感じる。
そして、こちらを向いてくれる子は、もれなくかわいい。
(反逆児に漂流児たち 汗 ごめんっ、みみっちぃ私で 汗 嫌い…じゃないと思うけど、疲れるわ 正直 笑)
束の間の「先生」という立場を離れた私は、やはり精進の途で四苦八苦する、彼らと何一つ変わらぬ人間。
現状維持がやっとこさといった時でも、前さえ向いていれば、人は誰でも好ましく受け入れられる存在で、根気よく続けさえすれば、その内ぴょこっと前進するものだということを、私は身を持って教わっている。
みんなありがとう。それぞれの幸せを、どこかで見つけてつかめるといいね。