雨が降りそうな天候の下、昨日の日曜日を利用して、大阪西成区の通称 あいりん地区 を訪問しましたので、リポートしてみようと思います。
ところで、本来でしたら南海高野線の萩之茶屋駅が最寄りになるのですが、一般の方でもわかりやすいように今回は JR新今宮駅 からスタートしましょう!
西出口への階段を上がりますと、南海電車と共用のコンコースに出ますので…
その左端にある階段を出ますと、そこがあいりん地区の北側入口に当たります。
強~~烈です!
まぁ~~、いきなりこのような不法投棄の山に先制パンチを食らいますので、図らずも一般の方はすでにKO寸前で頭がクラクラになってしまうかもしれませんが、これにビビっているようでは先に進めませんので悪しからず!
実は、この建物は あいりん総合センター という名称で、同地区のランドマーク的な存在であるのと、 日雇い労働者へ仕事を斡旋する場所 でもあったのです。
しかし、老朽化の名目で解体されることが決定されたものの、そもそもここが無くなると困るという層との対立があって話しが進まず、今もそれに反対する方々によってこのような状況が続いているのです!
どこかの県と同じように、団結小屋もありますね!
更に南へ進みますと、かつては 泥棒市 と申しまして、ガラクタや盗品、はたまた裏DVDなどを路上で販売する店が多く、かく言う私も30年前頃にはよく通った場所でしたが、今はそれも無くなっていて一見おだやかな街にも見えたりします?
けれど、今でも雑貨屋のような店頭に並んでいる商品には意味不明なモノも多く、どこかで拾ってきたかのような茶碗が50円とか、絶対余分に貰ってきたと思われる湿布薬に100円の値札があったりと、雑多な街である姿は当時とあまり変わっていませんし…
道にはみ出しているお店に…
道路の端っこで堂々と 立ちション するおいちゃんに…
すでに朝から一杯ひっかけて路上で寝る者もまま居ますので、間違っても若い女性同士や家族連れなどで興味本位で訪問しますと面食らうと申しましょうか、これらがごく普通の日常という 独特の異空間 なのが特徴でもあるのです!
さて、 あいりん という名称は、隣人を愛して共に生きて行こうというのが由来だそうですが、地図で申しますと、およそこの辺り(赤枠)になります。
で、次は前述の萩之茶屋駅から東へ延びる商店街を歩いてみましょう!
時刻は日曜日の朝9時半ですが、当地は元々 眠らない街 であったものの、この日は驚くほど人影が少ないと申しましょうか、近年はかつての繁栄を感じさせないほど廃れているというのが現状のようです。
途中には、よくお世話になった立ち食いの「千成屋」さんが今も盛業されていました。
※30年ほど前は、かけ170円+おにぎり2個120円でしたので、300円もあれば満腹になりました。
そして、これまた古くからあったパチンコ屋さんも健在で…
その先には、こんな看板も…
で、この角を右手に折れますと 三角公園 という地域の憩いの場がありまして、よく 炊き出し が行われている場所としても有名ですが、過去には酔っ払いなんかが喧嘩したりと物騒な時期もありましたが、今は比較的おだやかな雰囲気でした。
また、近くには、YouTubeなどで有名になった やまき というお店があって現在は休業中のようですが、元々は労働者の街ゆえに付近には色んな食べもの屋さんが乱立していますし、安価で美味しい店もたくさんあるので、界隈をゆるりと訪問するのも良いかも知れませんね?
さて、「やまき」の上を跨ぐ阪堺線を越えて、更に東に進みますと いまいけ商店街 に入りますが、先の地域と比較しますと、こちらの方がいくぶん穏やかな感じがします。
喫茶店のサンプルも真面です!
ただ、やはり人の姿をあまり見かけず、かつての繁栄はどこへやら?という虚しさのような感情がこみ上げてまいります。
様々な理由のある方々が全国から集まり、それぞれがそれぞれの範囲で生計を立てて営んできた街でしたが、橋元市長時代に あいりん地区浄化作戦 なるものを展開し、外見だけは少しだけマシな感じになったような気がします。
しかし、実際街中を徘徊していますと、あちこちで立ちションをする者が多いせいなのか? どうなのか? やはり、あの独特な異臭が漂ってくるのです!
往時の当地区は、「明日はどこ吹く風」よろしく、 その日暮らし の方々が多くいらっしゃって、クタクタになるまで働いて儲けた銭で、記憶が飛ぶまでたらふく酒を呑んでいましたから、要は他人の力を借りずに各々が自力で逞しく生きていましたし、それから外れた者は容赦なく淘汰される厳しい街でもあったのです!
しかし、後に彼らが高齢化した時に待っていたのは 生活保護 への誘導であって、確かに食うには困らず住むに困らないので路上生活者も減ったものの、その余った彼らの銭は全て近隣の カラオケ居酒屋 へ流れるようになりました。
汗して得た銭で飲み食いしたり、新しい服なんかを買ったりして 地産地消 していたこの街の日常が、今や働かずして生きていける場所へと変化したことから、それまで商店街にあった食堂や雑貨屋は、ことごとく廃業に追い込まれたんです。
そして、その後にやって来た 中華資本 がそれを買いあさり、辺りは無数の中国人経営の「カラオケ居酒屋」で溢れ、それが生活保護の中でわずかな癒しを求める彼らの巣窟となり、余った銭が全て中華系に流れるシステムが出来上がって久しいのです!
加えて、路地を一本入れば 吉本新喜劇のセット に出てくるような下町風情が多く残る当地ですが…
これとて中華資本が大量に投下され、古民家風の民泊に転用された物件も多々ある現状を見ますと、もはや当地区は チャイナタウン と言っても良いのでは無いでしょうか?
高度経済成長を底辺から支えてきた層が引退し、それ以降の者はいわゆる 3Kという職種を極端に敬遠 し、片や弱者に寄り添うという名目で銭をばら撒いてきたのが我が国であって、今の あいりん地区の姿 は、その歪な道を突き進んできた今の世の中を投影しているような気がしました。