小学生の頃は、夏休みに入った7月まではウキウキするんだけれど、お盆を過ぎた終盤戦に入る頃には、何だか憂鬱になっていたのである!

 

さて、今回も 昭和50年代の岸和田 のカテゴリーですので誠に狭義なお話しになりますが、しばしお付き合い頂ければうれしく思います。

 

 

 

 

今はどうなんでしょうね?

当時は夏休みになりますと、そこかしこの公園で 朝のラジオ体操 が行われてしました。

 

      

 

これは、夏休みとなれば朝寝坊をする子供が多くなることを防ぐために行われていたのであって、1回出るとスタンプを捺してくれて、数が貯まると粗品がもらえるという特典もありました。

 

     

 

あと、テレビ番組も早朝から子供向けのアニメなどを頻繁に放映していて、要は社会全体で子供に早起きさせるように工夫がされていました。

 

     

 

 

 

さて、そんな子供時代を過ごした私ですが、昭和47年頃に友人が

「岸和田城で朝に何か運動する会みたいなのが開催されるで!」 と教えてくれだので、興味本位で数人を連れて訪問することにしました。

 

場所は岸和田城の向かいにある 二の丸公園 というところで、時間は朝の7時集合だったでしょうか?

 

     

 

当時は左右に売店があり、少し奥に猿の檻があったのですが、その中間にある広場に赴きますと、老若男女を含めた100人近い市民がすでに集まっていました。

 

     

※イメージ

 

 

 

 

で、簡単なラジオ体操を終えますと、当時の岸和田市長だった 中澤米太郎氏 が壇上に上がりまして、 「歩くことで健康を維持しましょう!」 とか何とかスピーチされていました。

 

まあ、子供が市長を間近に見ることが稀でありましたし、失礼ながら初見は大柄でゴツゴツした 鬼瓦権蔵 のような方という印象でしたが、ニコニコと笑顔が絶えない方でもありました。

 

     

 

 

 

 

さて、正式な名称は 歩け歩け運動の会 というもので、確か週一回の日曜日の朝に皆で岸和田城の内堀を一周歩くのですが、これも同じく1回出る毎にスタンプを捺してもらえて、10個貯まると粗品がもらえました。

 

で、実際の徒歩ルートは…

 

     

 

二の丸公園を出て南進し、岸和田城を見ながら岸和田高校~岸城神社を経て戻るという約1km程度の距離でしたから、ほぼ全員が3~40分程度で走破していましたね!

 

     

※イメージ

 

ところが、昭和48年に行われた市長選で中澤氏が惜しくも原昇氏に敗れた結果、この会が解散したのか継続したのかは不明なのですが、どうやら皆が中澤市長に親しみを抱いていたようで、当時の友人らも会への参加に足が遠のくようになってしまいました。

 

※あとスタンプ2個で粗品がもらえたのに…💦

 

 

 

 

 

そしてもうひとつ!

岸和田市には 牛の口公園 というのがありまして、これまた当時の友人が公園事務所に 日曜体育教室 というポスターを見つけたようで、だったらと同じく数人の友人らと訪問してみました。

 

      

 

さて、こちらは「歩け歩け運動の会」のようなのんびりしたものでは無くて、地域の小学生らを対象とした 本格的な体育の授業 のようなもので、球技なども真剣にやっていました。

 

      

 

ただ、先生となる方は教員免許を持っていたのかどうなのか…?

 

しかし、教え方と申しましょうか、ボールの持ち方や重心の移動の仕方などを理論的に解説されていましたし、赤影役の坂口祐三郎氏に似たさわやかな青年が先生でした。

 

     

 

 

 

さて、すでに半世紀以上の前の出来事ですから、かの「歩け歩け運動の会」も「牛の口公園体育教室」も無くなって久しいはずですが、文明の利器と申しましょうか、先日何気に 中澤市長 を検索してみますと、意外なことが判明したのです!

 

こちらの方ですね…

 

     

 

鬼瓦権蔵に似た強面の方というのは当たっていましたが、実は1928年の アムステルダム五輪 に出場しておりまして、走高跳の選手であった上に日本選手団の旗主までつとめておられました。

 

ですから、市長に就任する以前より スポーツ振興 に尽力されていたようですから、これが市長時代に花開いたのでは?とも読めるのです。

 

 

 

当時は、テレビが一気に普及した時代背景もあって、それまで頻繁に外出していた奥様や老人らも家に籠るようになりましたし…

 

対して私たち子供にとっても一気にマイカーが増えたことによる 交通戦争 が起きたで、通学はもとより遊ぶ場所も一気に消滅した時代でもあったのです!

 

     

 

ですから、彼は 市民を出来るだけ外に連れ出して身体を動かすことが大切 と考えて、これらを発案して行動に移したのかも知れませんね?

 

そう考えますと、こうした彼の功績は時代を先取りしたものであって、今もこうして多くの市民に心の中に生き続けているのでした。