「梅雨が明けたとみられる…」
と、毎年毎年この時期になりますと誠に 中ゅ~途半端 な言い回ししか発表しない気象庁ですが…
こちら大阪では週末には明けそうですから、「明けました!」とハッキリ言わんかいと思うのです。
さて、その梅雨が明けましたらいよいよ本会的な夏が到来するのですが、私よりも少し下の世代からすれば 夏=チューブ というところでしょうか?
ところで、サンサンと照り付ける太陽に、キラキラと輝く青い海原は夏のひとつの情景なのですが、最近はサンサンどころか ギラギラとかジリジリ という表現がピッタリなほど暑く、猛暑を通り越して酷暑と言われて久しいのです。
ですから、それに伴って今や夏の過ごし方も大きく変わってしまいましたが、少し時系列を戻しまして…
かつては当たり前だったけれど、今はあまり見かけなくなった 夏の風物詩 を紹介してまいりましょう!
1.蚊くすべ(読み/かぁ~くすべ)
これは一般で言うところの 蚊取り線香 を意味するのですが、和歌山出自の母は今でもこの言葉を使っていまして、どうやら草などを燻べると蚊が寄ってこないことから由来しているそうです…?
さて、幼少の頃からつい最近まで夏前になると絶対に箱ごと買い込んでいまして、夕方になると火を付けるんですな!
匂いもよろしおますな!
けど、今は冷暖房完備で部屋も事務所も密室になってますさかい、下手にこんなもんを燻してしまえば呼吸困難になってしまい、蚊と一緒にあの世へ逝ってしまいます。
ですから、今の若い子にコレ見せても ??? になりますし、いずれは絶滅するんとちゃいますか?
2.天花粉(読み/てんかふん)
これは今で言うところの ベビーパウダー ですな!
まあ、これは今でも多くの方が使ってらっしゃると思うのですが、当時と今は使う量が違うのです!
昭和時代は部屋に冷房なんかあらしまへんので、夜寝ると汗をビチャビチャにかいて 汗疹(あせも) になってしまうんです。
ですから、特に皮膚の弱い子供が汗疹にならんようにと、風呂上がったらすぐに首から脇から股から 全身に天花粉をコテココテに塗りまくられるんです!
こんな感じで…
ですから、我が家なんかは一週間でゆうに一缶使うておりましたが、今の良い子はそんなに使わないと思います。
3.光化学スモッグと合同体育
私の小学生時代は、いわゆる 高度経済成長期 でしたので、臨海の方で工場からバンバン煙が出ていました。
ですから、特に夏の晴天の午後になると辺りにモヤがかかったようになりまして、目ぇとかがムズムズして息苦しくなるんです。
そこで、岸和田市立朝陽小学校では光化学スモッグ予報の時は緑の旗、注意報の時は黄色の旗が立つんですが…
こんな時に限って、午後からの5~6時限目は 合同体育 とかになっていて、警報出てるのに野外で1000m競争なんかをせるもんですから、みんなゲー吐いていました!
まあ、今でも時々体育で熱中症とか言われていますから、これもいずれ消滅するんとちゃいますかね?
4.風鈴とジャラジャラ
エエ音しますよ風鈴は…
冷房も無かった時代は寝苦しかったんで、せめて子守歌のごとく耳から心地よさを得るために考え出されたんでしょうか?
あと、昭和40年代後半になりますと、一風変わった 貝殻の風鈴 がブームになりまして、我が家にもありましたな!
ただ、今思うと普通の風鈴のように澄んだ音はしていなくて、カラカラと乾いた音が鳴っていたような…?
あと、玄関にも絶対ヂャヂャラがありましたね!
これも暑い屋外から帰宅した時、木製の冷たいジャラジャラが頬に当たって冷たくて心地良いんですわ!
しかし、いずれも音が大きいとか耳障りだという理由で、最近はめっきり見なくなりました。
5.大玉スイカ
スイカは今でも夏になりますとスーパーなんかで手に入りますし、今でもたまに食卓に上がるものの、パックに入った カットスイカ ばかりなのです!
でも、幼少期はスイカと言えば絶対大玉しか店頭になくて、もちろん冷蔵庫も小さかったので入らず、仕方ないのでタライに水張って風呂場で冷やしてました!
家族四人とか五人ね…
今から思うと、腹チャプチャプになるので絶対に全部食えんと思うのですが、あの当時は夕食後とかでも不思議と食えましたね!
前述のように冷蔵庫が小さかったし、そもそも冷凍庫も無かったんで アイスクリーム の買い置きが出来なかったし、ジュースなんかもまず買ってもらえなかった時代でした。
ですから、キンキンに冷えてなくても 甘いものが食べれる唯一の機会 がスイカでしたから、必死のパッチで食べていました。
でも、そんな 昭和アルアル の 夏の風物詩 も、時代を経てだんだん廃れていくのでしょうか…?
寂しい限りですね!