明治34年7月、京都府八木町に一人の男が生まれる…

 

彼の名は 川勝傳(かわかつでん) と言い、後に南海電鉄の社長としてその手腕を振るう人物である。

 

そして、戦後まもない昭和20年代から 親中派 といて活動していた彼と意気投合したのが、後に西武セゾングループを成長に導いた 堤清二(つつみせいじ) という男であった…。

 

     

 

さて、商業施設のノウハウの無かった川勝率いる南海は、拡張された難波駅の階下をスペースをショッピングゾーンとするため、当時蜜月であった 西武の力を全面的に仰ぐ ことになったのである!

 

 

 

今でもみんなが知るファミリーマートをはじめ、無印良品やLOFTなどは堤氏が立ち上げた事業であって、なんばCITYは当時彼の持つ全てのノウハウを注ぎ込んだのはもちろんのこと…

 

堤氏の右腕とも言われる精鋭部隊が中心となり、デザインからテナント選び、はたまたポスターの1枚に至るまで全て 西武主導 で行われたのに加え、

 

特筆すべきは、全店舗のレジをオンラインで直結させる POSシステム を導入した初めてのショッピングゾーンであって、何がどう売れているのか? だったらどんなテナントを誘致すべきか? を選定する下地にもなったのである。

 

     

 

 

 

 

OPEN当初はすごい熱気がありましたよ!

 

それまでは、バタ臭い田舎の南海電車だったのに、いきなり洗礼されたお洒落な空間が難波駅に出来たんですからね!

 

     

 

先行する阪急三番街が、白い壁にまばゆい照明で近未来的な造形だったのに対し、なんばCITYはレンガ壁に照明を落とした ヨーロッパ調 が特徴でね…

 

何か少し大人になった気分になったりして…!

 

     

※イメージ

 

 

 

 

そして、今もある地下連絡通路のガラス面には、当初みさき公園での飼育技術を用いて 巨大水槽に魚を泳がせる計画 でしたが、西武の主張で若い女性をターゲットとしたディスプレイに…

 

     

 

待ち合わせ場所として利用した御同輩も多いであろう ロケット広場 に、月の街、星の街、太陽の街と各々に特徴のあるゾーンに加え…

 

広場には所々にワゴンが出ていて雑貨を売っていたりと、理路整然とした三番街と比較して、どことなくヨーロッパのダウンタウン(下町)を感じさせる雑多な造形に、当時の若者が飛びつくのに時間はかかりませんでした。

 

     

 

 

 

そして、私事ながらはじめて食べた オムそば は、当時のなんばCITYにあったお好み焼き屋さんで、「こんな美味しい食べ物あったんか!」と感動したのを今も覚えていますし…

 

     

 

キタと比較して文化情報面で劣っていたことから、大型書店やホビーゾーンを設けてくれたことが有難く、それまでは曽根崎の旭屋書店まで足しげく通っていた私が、ほぼ難波でこと足りるようにもなったのも、この時からでした。

 

 

 

もちろん、現在からすれば「何やそれ?」と鼻で笑われてしまいそうな事柄ですが、当時はスマホはもちろん携帯電話もネットもコンビニも無かった時代でしたから、この なんばCITY の誕生は、天地がひっくり返るほどの大事件だったのです!

 

 

そして、創業当時のテーマソング「Make up me 」を歌っていた 井上望 さんが、OPEN間もないイベント広場で熱唱していたのは、もう40年以上前のことなのです…。

 

 

おわり