前回の続きである…

 

2022年9月23日。  

お昼前に、北海道 新千歳空港 に降り立ち…

 

 

     

 

 

鉄道好きの子供さんと、札幌近郊のJR列車などを撮影していましたが、大雨の影響もありまして運休が続出したことから、急きょ予定を変更し、近隣の古い車両が置いてある 博物館 へ出向くことにしました。

 

 

 

 

ここ札幌駅からですと2箇所のスポットどちらかを選ぶのですが、まずひとつめは 小樽市総合博物館 というところで、こちらは国鉄時代に活躍した車両なんかが数両展示してある ミニ鉄道博物館 のような感じの施設で、もちろん屋内展示施設もありますから、これなら今日のような雨でも楽しめるでしょう!

 

     

 

あと、小樽までは15分に1本と電車の本数も多く、快速でしたら30分ほどで到着しますので、別行動をとっている奥様と夕方に札幌駅で落ち合う約束をしていますから、万事都合が良いのです。

 

 

 

 

そしてもうひとつは、小樽と反対に位置する 岩見沢 に向かい、そこから路線バスに乗り継いで30分、更に10分ほど歩いた公園に、これまた古い車両が屋外に展示されているスポットがあるのですが…?

 

        

 

小樽と比較しますと、列車の本数は半分の30分に1本しか無く、おまけに路線バスを含めると片道80分ほどかかるのです。

 

ですから、子供さんは当然無難な前者を選ぶと思いきや、どうやら後者に食指が動いたようですので、ある意味仕方なく電車に飛び乗りまして、ほどなくして岩見沢駅に到着しました。

 

 

     

 

 

ただ、ここからが問題でして…

事前に時刻表で調べてみますと、ここから先を繋ぐ路線バスは40分に1本とありましたが、実際は1時間に1本しか走っておらず、仕方なく駅前のバスロータリーで時間を潰すことになってしまいました!

 

       

 

まあ、次のバスはどうあがいても逆立ちしても15時00分発しか無いのであって、それに乗って「三笠公民館」で下車して徒歩で公園まで向かい、30~40分ほど撮影してから再び公民館16時29分に乗車…

 

バスが岩見沢に戻るのが17時07分ですので、タッチの差で05分発の普通列車に乗れませんから、その後の17時30分発の 特急ライラック で札幌に戻るという計画を立てたのでした。

 

 

 

 

さて、駅前のバスロータリーで待つこと15分で、北海道中央交通 幾春別行きバス が到着しましたので乗車ましたが、それでもパラパラと数十人ほどが入れり替わったりして、ほどなく三笠公民館に到着しました。

 

     

 

 

 

 

ここ三笠市は、かつて一帯は 黒いダイヤと言われる石炭=炭鉱の街 として繁栄を極めた街でもありまして…

 

     

 

昭和30年代には人口が6万人を超えた時期もあったのですが、エネルギーが石炭から石油に代わった現在は、8000人程度と斜陽化が著しく、私達がメイン通りを公園まで歩いている途中ですら、誰ともすれ違うことが無かったほど寂れまくっていました。

 

     

 

 

でも、こちらは途中にあった写真屋さんでしょうか?

 

     

 

すでに寂れた感じは否めませんが、よくよく見ますと手書きの張り紙に おばけやしき2F と書いてあって驚きましたが、こんなところで誰が来るのか? はたまたギャグなのかと、思わず突っ込みたくなってしまいました!

 

     

 

 

 

 

さて、土砂降りの中を歩くこと10分、ようやくお目当ての公園に到着したのですが、こちらの正式名称は クロフォード公園 と申しまして、アメリカ人の実在した人物の名前を冠した公園なのです。

 

チャンチャンバラバラをして鎖国をしてた江戸時代を経て、明治維新になって海外に門戸が開かれましたが、たまたまこの地区から良質の石炭が採掘されたことから、これを大量に運ぶための輸送手段として、新たに 鉄道が敷設 されることになり、その技師として ジョセフ・ユリ・クロフォード氏 が招かれ、その指揮に当たったからなのです!

 

     

 

鉄道に少し詳しい方でしらお分かりだと思うのですが、我が国初の鉄道でもある新橋~品川間は、イギリス人技師の指導により敷設されましたが、今お話ししたように北海道ではアメリカ人が指導したことにより、当時の機関車は 弁慶・義経 というものが用いられました。

 

     

 

先端に牛を跳ね飛ばす カウキャッチャー を装備したそれは、いかにもアメリカまるだしの造形であって、映画 バックトゥザフューチャー3 に登場した機関車とまんま同じ形をしてるのですが、明治時代はこれが北の大地を走っていたのです!

 

     

 

 

 

 

それと、こちらの公園に展示されている車両は、公園に無理くり線路を敷いて展示しているのでは無くて、元々は岩見沢から分岐していた 幌内線 の三笠駅構内の線路をそのまま活用しているのです。

 

そして、いよいよお目当ての国鉄型車両とご対面しましたが…?

 

     

 

どっひぇぇぇぇ~~~~~!

 

     

 

 

もうもうもうもう~こんなん

寒イボ(鳥肌)全開! 

心臓バコバコ! 

尿漏れ寸前! でございまして、こちらは北海道で活躍していた国鉄型の特急キハ82といもので、実は小樽には先頭車を含めて2両だけの展示でしたが、こちらはグリーン車に食堂車を含む堂々 6両フル編成 なのでございまですよ…ハイ!

 

     

 

 

もちろん、昭和30年代の古い設計ですので、当時の アメ車のデザイン をモチーフにした 涙滴(るいてき)形 の前照灯をはじめ、まさにクイーンと呼ばれるにふさわしい品格のあるデザインは、今こうして見ていても決して色あせてはいないのです!

 

     

 

 

 

ただ、私が子供の頃は時代が時代だけに、料金の高い特急列車には乗せてくれませんでしたが、大人になってからは同型車にずいぶんお世話になった世代ですし、もちろん食堂車で食事をとったこともままありました。

 

     

 

初めて北海道を訪問した頃も、特急と言えば同型車が大半でしたし、山線周りの「特急北海」はもちろのこと、網走~函館をロングラン走破していた 特急おおとり にも全区間を2度乗車しましたし…

 

同じく「特急まつかぜ」の大阪~博多の全区間、「特急南紀」も全区間を数回に渡って乗車した記憶が、この車両と対面したことで再び蘇ります!

 

 

 

 

こちらは食堂車の外観ですね…

 

     

 

手前のドアーから材料を搬入し、高い窓の位置が調理室で、奥側の低い窓が客席でして、車内はこんな感じでした。

 

 

     

 

 

あと、当時のトイレは線路に垂れ流すシステムでして、楕円形のガラス内側がトイレで、 の流し館を伝って線路に撒き散らしていました。

 

     

 

 

 

 

さて、キンチョールをかけられたハエのごとく、チチクリ回って写真を撮りまくりましたが、冬季は積雪が多い土地柄ゆえブルーシートで覆って保護をしているとはいえ…

 

     

 

一部の心無い鉄道マニアらに部品をモギ捕られている箇所もままありますし、そもそも外観塗装の劣化が著しいく、一部は天井に穴が開いていて車内の劣化も深刻なようですから、このままですと持ってあと2~3年と違いますかね…?

 

     

 

     

 

鉄道の静態や動態保存も含めますと、私が訪問した限りでは岡山県の 片上鉄道 が成功されている例なのですが、それ以外は加悦鉄道、下津井鉄道なども含めて、ことごとく失敗している印象が否めませんね?

 

最初は無知な自治体などが 客寄せパンダ と同じ感覚で古い車両などを展示したりするのですが、実は維持するためには 莫大な費用と熱意と根気が必要 なのです。

 

すなわち、北は北海道から南は鹿児島まで、四国を除く全国で活躍した同型車で6両フル編成で現存しているのは、恐らくこのクロフォード公園だけでしょうから、鉄道好きにとっては正に 聖地のようなスポット なので、全国から資金と有志を集める努力をして、末永く保存して欲しいと切に願うばかりです。

 

 

 

 

さて、鉄道好きの二人が十二分すぎるほど 鉄分を補給 できましたので、今来た道を戻り16時29分発の岩見沢行きのバスに乗車し、本日のお宿である札幌で奥様と合流することにしました…。

 

つづく