夏休みに入ったこともあり、またまた親戚のご家族が来られましたので、久々に1泊旅行に出かけることにしたのですが、今回は 信州方面 を訪問してみることにしました。

 

と言うことで、2022年8月20日…

早朝4時に堺・松原を出発し、まずは360km離れた長野県の岡谷市を目指します!

 

     

 

もちろん、今回も 新型コロナウィルス感染予防 の観点から全て車での移動としましたが、乗員が私を含めて4人であることに加え、現地では狭路に入ることが予想されましたので、軽自動車の スペーシア という車種をお借りしました。

 

 

 

この車ですね!

 

     

 

まあ、軽自動車の部類ではワゴンタイプですので重量があり、かつエンジンもノーマルですので52psしかなく、そこに大人4人も乗せていますからアンダーパワーは否めませんね!

 

ただ、心臓部分の R06Aエンジン は素性がよく、現行のR06Dエンジンと比較してもパワーがありますから、そこは長年の運転技術を生かしつつ、90~100km/hをキープしながらサクサクと走行してまいります。

 

     

 

大阪府から京都府を抜け、滋賀県から岐阜県に入り、途中の 養老サービスエリア にて、ようやく朝食をとりまして…

 

     

 

名神高速から、今度は 中央自動車道 へ入り進みます。

 

 

 

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、中央自動車道はアップダウンが連続する道ですから、まさに軽自動車にとっては心臓破りの勾配が続くので、どうしても桜花を抱いた一式陸攻のようにアップアップになるのですが…

 

     

 

中津川を過ぎ、恵那山トンネル を抜けて飯田の街に入りますと、そこはもう ♪夏まっさかりの~信濃路へ~♪ なのです!

 

     

※歌詞違い…

 

道沿いに点在する リンゴ畑 と山の緑、そして真っ青な空のコントラストは一幅の絵のようでもあり、車窓から見えるアルプスの山々を遠くに見ながらハンドルを握っていますと、「旅してるな~」という興奮にも似た気分の高揚が体感できた瞬間でした!

 

     

 

 

 

さて、大阪から5時間余りを要して到着した 岡谷の街 ですが、ここは以前のブログでも紹介しましたように、かつてはカイコから糸を作る 蚕業(さんぎょう) で栄えた街なのです。

 

     

 

 

 

で…

そのカイコ様が詳しく分かる全国唯一?の博物館を訪ねる訳なのですが、さすがに到着したのが9時過ぎと早かったこともあって、近くにある 諏訪大社 下社春宮 に向かい、この旅の安全を祈願してまいりました。

 

     

 

境内に入りますと、まず空気が大阪と全く違うと申しましょうか、木々に囲まれた本宮の前に立ちますと、得も言われぬ 凛とした空気 が辺りを包み込んだような気がしました…。

 

 

 

 

そして、今回の旅の目的のひとつでもある 岡谷蚕糸博物館 に到着しましたので、しばし館内を見学することにしましょう!

 

     

 

以前のブログにもありますように、親戚の子供さんが今春より 国立 京都工芸繊維大学 に入学したご縁がありまして、元々は高等蚕業学校が発祥という歴史ゆえ、カイコを飼育するカリキュラムがあったんですね…

 

で、子供さんがその蚕のツガイを貰ってきて我が家で育てたことから、要は カイコという生き物に興味 が出始めたために、今回の旅の目的地を信州の岡谷にして遠征してきた訳なのです。

 

 

 

入口には、岡谷の発展に尽力された方でしょうか? 銅像が鎮座しておりまして…

 

     

 

 

 

 

ウニュウニュ動く二眠から三眠の無数の幼虫は、桑の葉を一心不乱にむさぼり食っていましたし…

 

     

 

 

実際に当時使用されていた機械の展示なんかもありました。

 

     

 

また、今はほとんど希少ながらも、実際に繭から糸(シルク)を紡ぐ(つむぐ)工程なんかも実演されていました。

 

     

 

まあ、ぶっちゃけた話しが興味が無ければ「何それ?」という博物館なのですが、しばし眺めていますと、一旦熱湯に浸けた繭を素手で取り出して糸を引くため、今日の女工さんの手も赤く腫れていたので、さぞかし先人達は相当苦労されたのだと思いを馳せました…

 

     

 

 

 

 

さて、一通り見学をさせて頂いたのですが、失礼を前提として申し上げるのなら、各々が展示されているものの通り一遍でしたし、肝心な説明もパネルでしか行われておらず、もちろん当時の機器なんかも展示されていますが、 「見たけりゃ勝手にどうぞ…」 という感じでして、触れたり体験して学んでもらおうというポリシーが全くもって感じられませんでした。

 

加えて、入口のスタッフさんも市役所の方なのかどうなのか?地蔵のように一向に動かずでしたし、順路の途中にも、それらの補足や説明するスタッフさんも皆無でしたので、出来れば昔を知る 語り部さん なんかがいらっしゃれば、もっと魅力がアップするんじゃないかな?

 

     

※イメージ

 

あと、予想以上に建物が貧弱と申しましょうか、ほとんど田舎の分校を改造した感じのチープさゆえに通路も狭いため、例えば観光バスなどで来る団体さんは想定していないのでしょうが、展示品の一部も 子供だまし のようなものも散見されましたので、この内容で入場料金が510円とは、いささか割高感が否めませんでした。

 

 

 

つまるところ、世界に冠たる歴史がある街で、要は ええ玉を持っているのに 、それを世界中に向けて発信する発想が無いと申しましょうか、それと同時に展示方法のレベルを上げることが出来たのなら、もっと魅力的な博物館になると、個人的に思いましたね!

 

     

 

 

 

さて、かつての我が国の基幹産業でもあった 製糸や炭鉱 は、そのエネルギー転換のあおりを請けたため、一瞬にしてゴーストタウンと化してしまいましたが、この街を走っていますと、かつてそれらで繁栄した夕張や九州筑豊、はたまた大牟田の街と似たような香りがしました…

 

すなわち、かつての繁栄はどこえやら?

当時は女工さんらで賑わったであろう当時の面影は全く見て取れず、 兵どもが夢の跡 のように単なるイチ田舎町の風体を目の当たりにしますと、ある意味で哀愁を誘いましたね。

 

     

     

 

と言うことで、本来「信濃路」を楽しむのなら、北上して塩尻を経て松本城なんぞを見学し、安曇野辺りで一泊して「奈良井」を散策というのが定番なのでしょうが…?

 

私達は、これより車窓左手に結構汚れている 諏訪湖 を望みつつ…

 

     

 

国道20号線に入り、次は山梨県こと 甲斐の国 を目指してハンドルを握りました…。

 

つづく