幼少の頃、大阪府岸和田市に住んでたい私は、夏休みに涼をとる手段として プールや海水浴 に良く出掛けていました。
特に、小学校の高学年にもなりますと、数キロ離れた隣町の 二色の浜海水浴場 に、自転車で足しげく通ったことを昨日のように思い返されます…。
ところが、住んでいた地域によって様々なのですが、例えば海が近くに無い京都市に住む同業者の方曰く、もっぱら当時は夏になると 琵琶湖や木津川 に泳ぎに出掛けたそうです。
さて、夏の一時期であったとしても、人々が涼を求めて大勢動くということは、マイカーの無い当時としては鉄道からすると かき入れ時 でもあるのです!
すなわち、例えば昭和30~40年頃に琵琶湖に 湖水浴 へ行く乗客をさばくため、 江若鉄道 ではありったけの車両を総動員して対応していました。
※現在のJR湖西線が走る以前は、江若(こうじゃく)鉄道が浜大津~近江今津を結んでいました。
ところで、余談になるのですが…
海で泳ぐのが = 海水浴
湖で泳ぐのが = 湖水浴
だったら川で泳ぐのは 川水浴?
と思っていましたが、前述の木津川の場合は、 木津川水泳場 という正式名称があったようです。
昭和3年、京都と奈良を結ぶ私鉄として開業した 奈良電気鉄道 は、現在の近鉄京都線になるのですが、大都市を結ぶとはいえ沿線の集落は乏しかったため、営業的にはかなり苦戦を強いられていたようでした。
そこで、思いついたのは…
現在の京田辺市で跨ぐ 木津川橋梁 の脇に、夏場だけ仮設の駅を設け、水泳客を呼び込もうという作戦に出たのです!
戦後まもない頃の航空写真です。
橋梁の下方(奈良側)矢印部分に臨時の駅が設けられまして、徒歩数分で水辺までたどり着けるアクセスの良さに加え、大阪ドームに匹敵する広さと、売店・脱衣所・食堂・遊具なども併設されたため、瞬く間に人気のスポットとなったようです!
おまけに、戦後の経済が安定しだした昭和30年頃には、今で言う ラッピング電車 まで走らせ、ピーク時には17万人が訪れたというのですから、経営の苦しかった奈良電鉄にとっては、正に水泳場は福の神に映ったことでしょう!
※看板屋から言わせてもらいますと、当時はシールラッピナグは無く、全てペイント手書き文字でしたので、シーズンが終わると再び塗り替えられていたと思います。
当時は京都市内からですと、琵琶湖で湖水浴を楽しむのなら、京阪三条まで出て京津線に乗って浜大津へ…
浜大津で、江若鉄道に乗り換えで片道1時間半以上を要していました。
しかし、こちらは国鉄京都駅から乗り換え無しで40分程度でしたから、それは人気スポットとなって当然な訳なのです!
おまけに、河川の形状からして流れは穏やかと見れますし、水辺まで砂浜のような景観でしたから、小さい子供さんらも安心して楽しめたことでしょう?
ただ…
後の河川の汚染が原因なのかは不明ですが、京都市内でもあちこちでプールが開設されたことも相まって、昭和40年に駅が廃止され、ほどなくこの水泳場も閉鎖されたようでした…。
クーラーはおろか、扇風機ですら一家に一台しか無かったあの時代を生きた者からすれば、猛暑の夏を乗り切る術は色々あったのですが、そのひとつとしてこの水泳場があって、それが当時の子供達のオアシスでもあり、楽しい思い出のヒトコマになったことだけは紛れもない事実だったのでしょう!
そして今は、かつての水泳場だった河川敷は埋め立てて整備され、田辺木津川運動公園として、今の子供達に新しい思い出を作りだしているのでした…。