過日、今春に大学受験を終えた親戚の子供さん宛に、一通の書面が送られてきました…。

 

どうやら、受験した 関西学院大学 からのもので、見れば下記のように 「入学を辞退した方々へ…」 と、アンケートが同封されていました。

 

         

 

 

 

今回の子供さんの受験にあたり、色んな大学の特徴と申しましょうか、偏差値や校風なんかも垣間見えたことで、私自身も一種の雑学のようなものが身に着いたのですが…?

 

実のところを申しますと、かの関西(かんせい)学院大学(以下/関学と略す)には…

伝統ある西宮の 上ヶ原キャンパス に加え、学部によっては同じく西宮の聖和キャンパス、もしくは兵庫県三田市の 神戸三田キャンパス に振り分けられるのでした。 

 

        

※西宮上ヶ原キャンパス

 

 

 

 

で、肝心なところを申しますと、子供さんが受験した学部には合格はしたのですが、これがくだんの 「神戸三田キャンパス」 まで通学しなければならないことが判明しました!

 

名称に「神戸」と冠するものの、宝塚から山越えした三田市の端に位置しているため、そうなりますと自宅から片道2時間以上を要しますので、結果として これが原因で関学の入学を辞退したのでした!

 

では、関学はなぜ大阪の中心部か遠くら離れた、兵庫県三田市という所に、新しいキャンパスを設けたのでしょうか…?

 

 

 

 

いわゆる、関西の 関関同立 という有名大学らは、元々都心部などに手狭なキャンパスしか持ち合わせておらず、それはそれで1970年代頃までは、十分機能していたのですが…

 

 

 

 

しかし、戦後のベビーブーム(団塊の世代)が成人して家庭を持ち、その子供(団塊の世代ジュニア)が大学に入学するであろう1980年代になりますと、どの大学もキャンパスが手狭になることが予想されたので、その10年前頃からこぞって郊外に新しいキャンパスを設けよう動き出した歴史があるのです。

 

 

 

 

すなわち、同志社大学が今出川から京田辺へ、立命館大学が琵琶湖へとキャンパスを拡充したのと同時期に、かの関学も本拠地が兵庫県であるがゆえ、同県で新キャンパスを画策するのでした!

 

         

※同志社京田辺

 

 

 

 

実を申しますと、親戚の子供さんは関学と同時に 関西大学 (以下/関大と略す)も受験し、そのどちらも合格を頂いたのですが、本人も含めて身内である私達も全員が、 関学の方が絶対に良い と言う結論が出ていたのです。

 

私達の世代から申しますと、関大と関学と言えばどちらも賢くて名門な大学なのですが、現在の偏差値などは別として、やはり関学の方が頭ひとつ上と申しましょうか、独特の伝統と品格のようなものが感じられる大学という印象があるのです!

 

加えて、本人も学びたい学部は関学の方が合っていると申しておりましたから、子供さんの奥様も含めて 関学への入学を強く希望 していました。

 

 

 

 

 

しかし、実際毎日通学するとなりますとこれまた別で、関大は地下鉄乗り継ぎで本数も多く、片道1時間少々なのに対して…

 

        

 

関学三田キャンパスは、片道2時間を超えていて往復4時間半…

 

        

 

 

 

 

すなわち、大勢が通うであろう大阪~福知山線~新三田駅~路線バスというルートで検証してみましても、コロナ禍のあおりを請けて福知山線が減便され所要時間が長くなり、おまけに末端の路線バスの本数が少ないので、朝夕はギュウギュウ詰めの大混雑になると在校生の声も散見されました。

 

 

        

 

しからばと、大学側も梅田直通60分の高速バス 関学EXP を走らせて時間的な早さを演出しているものの…

 

そもそも致命的にバスの本数が少ないのに加え、バスは高速道路の事故や渋滞で定時性に乏しく、毎日の通学には使えないと思いますね?

 

             

 

        

 

 

 

 

そうなりますと、毎日の通学に大きな負担を伴いますので、しからば下宿をさせてはどうかと考えたのですが…?

 

元々三田市は大阪のベッドタウンであることに加え、土地が安価であるため持ち家比率が高く、ゆえに賃貸物件が異常に少ないだけでなく、あったとしてもファミリー向けが99%ですし、特に学生向けのワンルームや1DKに絞って探してみますと、致命的に物件が少ないことが判明しました。

 

 

 

 

関学はと言いますと、大学の周辺に星の数以上にひしめく賃貸物件があるのにに対して…

 

         

  

 

関学は数軒…ガーンガーンガーン

 

         

 

 

 

 

もうね…

実は子供さんを連れて実際に 神戸三田キャンパス を訪問したんだけれど、はっきり申し上げて…

 

♪信号無え、喫茶も無え、自動車あんまり見たことねえ~♪

 

と、付近には小さなコンビニが1軒あるだけで、大自然の中にキャンパスが建っていましたね…💦

 

        

 

        

 

もちろん、大学としてどこにキャンパスを建てようが勝手は勝手なのですが、肝心な学生が住む場所が周りにほぼ無くて、大学に併設の下宿すら無いばかりか、徒歩圏に飲食店の1軒も見当たらないという事実は、これひとえにザルで水をすくうようなものですから、 仏作って魂入れず だとも思いました。

 

        

 

おまけに、数少ない物件を見てみますと、ほぼ シェアハウス  と言う事実に、安心して子供さんを住まわせようとは、どの親御さんも絶対に思わないでしょう!

 

これが現実なのです!

 

        

 

        

 

これで学生が好んで来ますかね?

 

いや、そもそもこの三田という立地の恩恵を受けれる学生は、宝塚や三田、篠山らに在住している方々でしょうから、だったら学校全体の何%の生徒さんに当たるのでしょうか?

 

小の虫を生かすために大の虫を犠牲にする?

 

もちろん、キャンパスが大自然の中なので空気は綺麗なんですが、休日にバーベキューを楽しむならまだしも、よしんば大阪からでも遠いのに、ましてや遠く他県から来られる学生さんらは、間違っても関学を選ばない根本的な理由がここにあると思うのです…。

 

 

 

 

時の運と申しましょうか、同志社大学の 京田辺キャンパス は、元々近鉄京都線のアクセス1本しか無かったので、京都~奈良の学生さんが主でしたが、後に国鉄片町線が電化され、JRになってから木津まで電化直通運転が実現したことで快速電車が登場したんですね!

 

        

 

そんなこんなで2wayアクセスが確立し、京橋~同志社前が 直通38分 約20分毎 で結ばれましたから、西宮や尼崎からはもちろん大阪南部からでも悠々通学が可能となったことで、更に人気が高まったんです。

 

 

 

 

もちろん、逼迫する生徒の増加を見越して関学としても模索はしたのですが、元々この立地を選んだ理由のひとつとして、福知山線の路線付け替え構想があって、これが関学の背中を推したんじゃないかと推理できるのです…?

 

すなわち、元々単線非電化だった 国鉄福知山線 は、昭和40年代後半に入りますと、複線電化の構想が具体化してきたのです。

 

        

 

そしてそのひとつとして、三田市周辺の路線を大きく付け替え、当時は構想段階だった 神戸三田国際公園都市 の真ん中に福知山線を通してはどうか? という計画もあったようです?

 

 

 

 

 

1975年当時の三田市の航空写真です。

 

        

 

平野部が少ない神戸市は、当時 ポートアイランド に着工していたものの、あくまで人工島なので面積が取れず、しからば山を越えた三田市を新たなベッドタウンとして開発しようと兵庫県が動き出した頃で、写真で見る限り一部で公園都市が着工されていますね!

 

で…

ここに福知山線を通すとなれば、このように線形になったのでしょうか…?

 

        

 

 

 

歴史にイフは無いけれど、もしこの計画が実現されればとの読みもあって、これが実現していて大学前に駅を誘致できたとするならば、 関学-神戸三田キャンパス は大阪都心から直通40分で結ばれるようになったのですが…?

 

 

 

 

実際は、三田駅が大きく移動すれば商売が廃るという地元商店街の反対に加え、先にある篠山市も、線路の付け替えで資金を使えば、篠山口駅までの電化が遅れるとの理由で、猛反発が噴出し頓挫したと言われています…。

 

        

 

 

また、後に完成した公園都市のアクセスでもある  神戸電鉄公園都市線 も、最終的には関学神戸三田キャンパスまで延伸させる計画があったのですが、あまり利用客が見込まれない現状もあって、その計画自体も宙に浮いたままになっているのです!

 

        

 

        

 

 

 

そう考えますと、不運に不運が重なった今がある訳なのですが、入学を辞退した3校の中で、このようなアンケートを送付してきたのは後にも先にも 関学だけ ですので、大学側の熱意と申しましょうか、戦いは終わったのですが、私の中での関学の評価は他校とは一線を画しましたと申しておきましょう!

 

ただ、返す返すもはっきり申し上げて、学部によって 神戸三田キャンパス に通学しなければならないとするならば、これらが理由によって受験自体を敬遠する学生は今後も増えるでしょうし、漁夫の利を得た他校は、これまたほくそ笑むことでしょう…?

 

 

 

 

令和の今になり、再び王子公園一帯を改良してキャンパスを設けようという動き(元々関学は王子公園の場所が発祥の地)があるのは、これすなわち、この失敗を糧としているとしか思えないのです…?

 

        

 

健闘を祈ります…