2021年の夏は、前線の影響などを受けて雨続きだったものの、晩夏 になった今にして、ようやく盛夏らしい日差しが戻ってきましたね!

 

さて、お題にある昭和40年代の子供と言いますと、まさに私と同じ年代を指すのでありまして、だったら当時の子供達は、どのように夏休みを過ごしたかを、断片的に紹介していこうと思います。

 

 

         

 

※この画像に写るお嬢ちゃんらはほぼ私と同年代でして、当時ファンタは30円、アイスは10円~、ジャイアントコーンは30円でした。

 

 

 

どの時代の子供達も同じだと思うのですが、当時の私達も 夏休みの宿題 なんぞはソッチ除けで、もっぱら遊びまくりだったのですが、流石に真夏の炎天下の公園でのボール遊びには骨が折れていました…。

 

         

 

 

だったら、当時の子供たちは室内(インドア)でゲームに高じていたかと問われましても、 テレビゲーム が一般家庭に普及するのはもっと後の時代でしたし、そもそも家には冷房(クーラー)すら無いので暑く、区切られた子供部屋すら無かったので、よしんば家に居ようものなら  「宿題せんかい~ワレ~!」 と、親の雷が落ちるのを避けるため、ほとんど家には居ませんでした。

 

 

         

 

ですから、当時住んでいた 岸和田の子供達 の夏休みの過ごし方は、最大公約数的に言えば 市民プールに行くこと だったと思うのです。

 

 

 

戦後の昭和30年頃までの泉州地域の海岸は、風光明媚な松林を誇る 浜寺海水浴場 をはじめ、岸和田辺りにも砂浜があったのですが…

 

         

 

昭和40年に入りますと埋め立て工事が始まりまして、岸和田以北の海岸は全て 臨海工業地帯 と変貌してしまったのです。

 

がしかし…

当時の子供達に気軽に水泳を覚えてもらおうとする国家プロジェクトを担って、その工場地帯の一角に、俗に言うところの 市民プール が建設されまして、そのひとつが当時の我が家から徒歩10分の距離にありましたから、同級生の悪ガキらとほぼ毎日通っていました。

 

※子供に水泳を! というスローガンは、ある事故が原因で全国にプールが建設されました。 詳しくは→

 

 

 

 

 

 

と言うことで、私が幼稚園~小学生だった昭和40年代の夏休みに、言わば足しげく通った 岸和田朝陽(ちょうよう)プール に、先日40年以上ぶりに訪問してみました!

 

         

 

 

 

全然変わっていませんね!

 

当時のまんまです!

 

         

 

で…、当時は小学生が2時間まで20円、延長すると10円が加算されるシステムでして、この小さな窓口でチケットを買い求めたのです!

 

         

 

OPENは確かお昼の12時でしたか…?

ですから、外に居ても家に居ても暑かった当時ですから、兎にも角にも 涼を求めたい がゆえに、最初の頃はOPEN前から行列して12時には入場していたのですが…?

 

 

 

 

考えることはみんな同じだったようで、そうなると12時~14時がピークの時間帯で超満員になってしまい、まさに 芋の子を洗う 状態でしたので、こうなりますと肩と肩とがぶつかり合って全然楽しく無いのです!

 

         

 

ですから、悪ガキ連中らで知恵を絞って、OPEN直後に入場した客が帰る頃の14時過ぎに入場し、閉鎖されるギリギリいっぱいの17時までプールで過ごす方が空いていて遊べますから、このパターンが夏休みの日課になってしまいました。

 

 

 

 

何秒潜れるか?

息継ぎ無しで何メートル泳げるか?

逆立ちできるか?

 

などと、他愛の無い遊びに終始高じていましたが、当時の小学生には訳の分からない 不文律 がありまして、そのひとつが学校のトイレで大きい方をすることと、もうひとつはプールの更衣室で珍〇を見られてしまうことでした💦

 

 

ですから、図らずもどちらかを仕出かした場合は不登校になるくらいに学校でいびられますから、全員みんなが珍〇を見られないようスボンの下に海パンを履いてプールへ出向き、 帰りは変えのパンツを履く瞬間に珍〇を見られないために、これまた 全員がノーパン でしたね、当時は…(笑)

 

 

 

 

あと、画像では分かりづらいのですが、中央に今もあるのが入場する前のシャワーでして、ここを通るのが嫌でしたし…

 

         

 

今と違って細かなルールなんかも無かった時代ですから、プールの中で小便なんかは日常茶飯事でしたし、中には脱糞するツワモノもそこそこ居ましたから、よくもまあこんな汚い水質で泳いでいたのかと、苦笑してしまいますよね?

 

         

 

 

 

さて、西日が落ち行く頃に楽しい宴の時間も終了ますが、そもそもプールの係員も役所の人?らでしたから、17時にはキッチりと退出しなければなりません…

 

ただ、退出の際には前述の入場チケットを見せなければならず、そこには入場時刻が印字されていましたから、要は延長分(14時~16時で20円+1時間延長)の10円を追加で払わなければなりませんでした。

 

しかし、小学校低学年ですと「お金ありませ~ん」とベソをかけば、「しゃぁないなぁ~」と流してくれましたから、これに味をしめて母からは延長分を含めた30円を貰い、その余った駄賃で帰りに全員で 駄菓子屋 に直行しました!

 

 

         

 

 

当時、全国区のホームランバーが10円でしたが、こちらはクリームですから酷暑の折は敬遠していました。

 

ただ、恐らく当時の岸和田(泉州)界隈だけで流通していた バクダンという10円のアイスキャンディー がありまして、造形が手榴弾に似ているために命名されたのかどうなのか(本当はラクビーボールの形をしていました)、とりあえずこれを全員が求めましたね!

 

コーヒー味、ぶどう味、みかん味なんかがありまして、通常のアイスクリームケースとは別の筒状の容器に入れられていまして、店のオバちゃんに10円渡すと、吸い口を和ハサミで切り落としてくれました。

 

         

 

※補足/バクダンアイスは、今のチュウチュゥアイスの異形版でした。

 

         

 

 

さて、こうして夏休みの一日を過ごしたのですが、流石に小学校の高学年ともなりますと、延長の10円を「お金ない」ではパス出来ず、そのうち常連で顔を覚えられようものなら「僕は何年何組? 名前は?」と問われるようになりましたので、当時の素直な悪ガキ連中も従うようになりましたね!

 

と言うことで、今と違って快適な空間が乏しい時代でしたから、小学生なりに無い知恵を絞って過ごした夏休みの思い出は、今となっては懐かしい限りなのです。

 

※この稿は、カテゴリー欄の「昭和50年頃の岸和田」に分類しました。