今も昔もそうだと思うけれど…

 

例えば 旅に出て たくさん写真を撮ったとしても、それが観光地や宿泊施設であれば場所は特定できるものの、その道中のヒトコマだとすると、案外場所が特定できなかったりする…?

 

まあ、それがどうしたと返されても返答に困るのだけれど、ある方がアップされている写真があって、どう考えても撮影場所が特定できないと言うことなので、老婆心ながら小生が推理させていただこうと思う。

 

 

 

 

で、問題の写真がコチラ↓↓↓

 

 

     

 

そして、補足文にはこう書いています!

 

(略)…

で、本題は懐かしい〜!では無く、実は「ここは一体どこの駅?」という事なのです。


43年前のこの日は中学の同級生と蒸気機関車の写真を撮る旅行の真っ最中で、(略)紀勢本線の 紀伊田辺駅 に近い旅館に宿泊。

 

翌朝に紀伊田辺駅の機関区で撮ってから『御坊臨港鉄道』や『有田鉄道』を撮影し、倉敷に向かう途中という事だけは、ネガの順番で判ってはいるのですが、ここが何駅かがさっぱり判りません…(略)

 

とありました。

 

 

 

 

時代背景としては、お写真をアップされたのが2013年ですので、その43年前と言うことは 大阪万博 が開催された1970年のことです!

 

もちろん、当時の私は小学校1年生でしたけれど…

得意の 鉄道と和歌山 というキーワードが出てきたからには、これを見逃す訳にはまいりませんね(笑)

 

 

 

 

と言うことで、まずは 紀勢本線 の紀伊田辺→和歌山の道中で、当時に 駅弁 立売りがあった駅となると、恐らく急行停車の主要駅ですので…

 

      

 

紀伊田辺、南部、御坊、湯浅、箕島、海南、和歌山ということになりますが、行程上からすると紀伊田辺と和歌山では無いと言うことですね!

 

じゃあ、当日の彼らの行動を推理するため、1972年当時の時刻表を持ち出しまして、これまたあれこれ推理してみましたが、彼らは当時は中学生だったので、移動の大半は普通列車だったかと…?

 

 

      

 

だとすれば、早朝に紀伊田辺機関区で撮影しているので、7時10分発では無くて、その後の7時58分の列車(121レ)で紀伊田辺を発っていると思います。

 

で、次の目的地が 御坊臨港鉄道 (現在の紀州鉄道/以下:臨港と略す)ですから、これに乗ると9時04分に御坊に到着します。

 

ただ、彼らは今で言う「乗り鉄」では無くて 撮り鉄 ですので、その心理からすると単に臨港を往復したのでは無くて、途中の「紀伊御坊」駅で途中下車して、車庫に眠る古い車両を絶対に撮影していますね!

 

と言うことは…

 

      

 

御坊駅9時30分→日高川駅(折り返し)→紀伊御坊駅(途中下車して撮影)→御坊駅10時40分という行程で進んだに違いありません。

 

 

 

次に、少し専門的になるのですが、最初の写真に写っている車両から推理しますと、出入口の上に 南海 の表記があるのがお判りいただけると思います。

 

      

 

これは「南海電鉄」のサハ4801という過去の車両なのですが、当時は紀勢本線に乗り入れていました。

(私も子供の頃に見た記憶があります。)

 

 

まあ、当時の大手私鉄で言うところの小田急、名鉄、南海は国鉄線に乗り入れていた時期がありまして、当時の南海電鉄もこの客車の他にヂーゼルカーも所有して、難波~白浜、新宮などを結んでいました。

 

 

         

 

それと、当時の南海のコーポレートカラーは みどり ですから、この客車も緑一色に塗られていたので、国鉄所有の煤けた車両に混じると、一層目立ったと言われています。(車内も格段に豪華でした。)

 

 

      

 

ただ、1両しか所有していなかったため、逆に言えばその運用がすぐに判明するのですが、当時は…

 

難波→(夜行)→新宮(翌朝折り返し)→難波 

 

の1運用しか無いので、要はお昼の11時過ぎには和歌山方面行きの普通列車(123レ)として御坊駅に入ってきましたので、前述の行程通りに進んだことは、ほぼ間違い無いと考えられます。

 

 

 

 

と言うことは、次はこれに乗って「有田鉄道」が乗り入れる「湯浅」に向かっているので、だとすればこの写真を撮ったのは123レに 乗車直前の御坊 か、はたまた123レから 下車してすぐの湯浅 のどちらかだと推理出来るのですが…?

 

 

 

 

 

でも、どちらかではダメなのです!

 

写真から… 

いや、時代背景から読み解く方法をあれこれ考えましたが?

 

  

      

 

ハイ出ました!

 

写真に証拠が堂々と写っていますね!

 

      

 

サハ4801の窓ガラスにご注目ください!

 

 

 

これは、奇しくも同じホームの反対側に停車していた当時の御坊臨港鉄道の主力車両のキハ40801でして、この車ですね!

 

      

 

加えて、最初の写真と逆方向から撮影したものですが、同一ホームなのに国鉄の陣地(ホーム)がコンクリートで臨港側が砂利だったことも同じですね!

 

 

ちなみに、湯浅に乗り入れる有田鉄道は、中線(2番線)からの発着でしたので、和歌山方面とは別のホームになりますから、このように車両が窓には写らないと言うことなのです。

 

      

 

それと、当時の時刻表から同区間で 駅弁 を販売している駅は、紀伊田辺、御坊、和歌山の3駅しか無かったようですので、これで100% 御坊駅で正解 と言うことなのです!

 

          

      

あと、当時販売されていた駅弁は 清姫一夜寿し

と言って、紀州の名物でもある「鯖の早寿司」ですが、超絶美味だそうです。

 

      

 

それにしても、駅弁のホームでの立売りは、「折尾駅」を除いて絶滅してしまいましたが、写真に写る当時の売り子さんが30歳くらいとすれば、今は90歳近いご高齢になっていると言うことですね!