少し前に訪問した時のお話しになるのだけれど、休日を利用して「鉄道好き」の子供さんが来られたので、滋賀県から福井県にまたがる、 旧国鉄柳ヶ瀬ルート にお連れしました。
まあ、いつもの彼は、貨物列車とか何とかを追い求めているようですが、広く鉄道のことを知りたいのであれば、歴史を紐解くのもありかと思い、しばしのお勉強会としました!
さて、現在は大阪から福井県方面へ鉄道で行く場合、大半は 特急サンダーバード の利用となるんですが…
これですと、東海道本線→湖西線→北陸本線というルートを走るんですね!
でも、昭和30年以前に歴史を戻すとすれば、湖西線は無かったので米原経由だったし、肝心の北陸本線も大半が単線で、蒸気機関車が主役であって、その当時のルートが前述の 柳ヶ瀬ルート と言うことなのです。
詳しく地図で説明しましょう!
当時の北陸本線は、現在の余呉駅手前から左折れせずに直進し、県境の分水嶺を柳ヶ瀬トンネルで越えていたんです!
まあ、ほぼほぼ今の 北陸自動車道 のルートと被るのですが、当時はこのルートが関西と北陸を結ぶ大動脈だったものの、単線の非電化でした。
と言うことで、私達も余呉駅の手前から、かつての線路跡を拡張した 国道365号線 をひたすら北へ進むのですが、単調と申しましょうか、なだらかな上り勾配が続いています…。
がしかし…
車であれば楽勝のゆるい上り勾配であったとしても、実は1000分の25と言う、粘着係数の低い鉄道にとっては地獄の上り坂であって、当時の蒸気機関車であればアップアップの状態だったことは、想像に難しく無いのです!
※上2枚は、ほぼ同じ地点
で、途中の 中之郷駅跡 で小休止した後は、一気に柳ヶ瀬トンネルを目指しました!
数分走ると…
キタァァァァァァァ~~~!
かつての、国鉄柳ヶ瀬トンネルがお目見え!
実は、過去に数回通ったこともあるし、北陸自動車道に乗った時にも数回拝見はしていたんですが、本当のことを言うと、何度訪問しても興奮するスポットなんです!
それと、画像にあるように、トンネル手前に信号機があって、いわゆる 交互通行 になっているんですが、鉄道が単線だったので断面が狭く、後に盛土をしたので更に狭くなっているからでした。
で… 青になったので出発信号進行!
途中で警笛鳴らしたりしてね…(笑)
もう、こんなん尿漏れ必死ですやん!
さて、わずか数分で抜けたトンネルなのですが、当時の蒸気機関車からすれば最大の苦しいポイントでしたので、亀のようなスピードしか出ず、おまけに大量の煤煙を吐き出していました!
なので、車内の乗客らも呼吸困難になることを防ぐため、当時は 隧道番 というのが居たんですね!
すなわち、列車の最後尾がトンネルに入ったと同時に、入口にある 排煙幕 を閉じれば、内部が簡易な真空状態になるので煙が充満しづらいという原理で、当時は人力で幕を開け閉めしてたようです。
で、滋賀県所有の画像を拝借したのですが、この柳ヶ瀬トンネルの米原方にも、トンネル出口上部に小屋のようなものがあるようですので、係員が詰めていたのか、はたまた巨大な排煙装置ではないかと想像されます…?
さて、県境をまたぐ分水嶺を越えましたので、後は敦賀の街まで下り勾配が続くのですが…
今走っているのは、当然ながら旧北陸本線の線路跡であって、少し走ると小さなトンネルが現れました!
実は、全長100mほどの短いトンネルなのですが、これは 小刀根隧道 という名称があって、
明治14年に建設された、我が国最古の現存する隧道だそうです!
で、乗用車より車高が高い軽トラックでしたので、恐る恐るトンネルに入ってみますと…
手掘りと申しましょうか、素掘りのザラザラとした断面が、100年以上の月日を刻みつつ、今日の私たちにその姿を伝えてくれましたので、感動のようなものがこみ上げてきましたね!
まあ、観光地でもなく、普通に走っていれば何も気付かないし感じないルートでしたが、鉄道や歴史も好きな者であれば、 柳ヶ瀬ルート は垂涎のスポットだと断言しておきましょう!
つづく