少し前のお休みは、大阪を離れて 姫路 方面へ散策に出かけました。
ただ、現地へのアクセス(大阪~姫路)は何を使おうかと色々考えましたが、マイカーですと高速代を含めると往復4時間で6000円程度…
JR新快速は、往復2時間で3000円…
そして、阪神・山陽電鉄のフリーキップを使うと往復3時間少々で2000円…
まあ、距離的に遠くなくてそれほど急ぐことも無かったので、三番目のフリーキップをチョイスしました!
さて、大阪難波からなんば線を経て尼崎から「直通特急」に乗車したのですが、ハズレのロングシート車…
加えて、いつも利用する新快速と比較すると、流石に鈍足感は否めなかったんですが、それでもあれこれと車窓を楽しんでいる間に無事に到着しました。
ところで、本日のミッションと申しましょうか、目指すスポットと問われれば、これまた当地を代表する 国宝白鷺城 を含めた観光地では無くて、少し離れた 手柄山遊園 を一路目指しました。
ただ、姫路駅から単に遊園までの移動ならば、一般の人でしたらタクシーがベストチョイスなんですが、他にも見たいスポットが多々あったので、 駅リンくん というJRのレンタサイクルを借りてスタートします。
と言いますか…
落語の「時うどん」に倣って、お題の通り、今は無き 姫路モノレールの廃線跡 を、姫路駅を起点として、ゆるりと自転車で巡りたかったのが本音でした!
かつては、新幹線のり車窓からでもその痕跡を多く見れた時期があったのですが、流石に廃線から40年以上を経ているので老朽化が激しく、その大半は撤去されてしまいましたが…
山陽電鉄姫路駅の傍らにあったモノレール姫路駅のすぐ先にに、その痕跡がどっこい生きていました(汗)
どっひぇぇぇぇぇぇ~~~~!
これまた昭和チックな飲食店街の屋上から突き出た高架橋の脚部分…
これだけ見ると、カタパルトのようですが…?
こんなん、いきなり寒イボ(鳥肌)全快ですし、血圧は200越えるし、尿漏れ寸前ですぜ兄貴~!
もちろん、さほど興味の無い一般の人からすれば目にもとまらない構造物ですし、よしんば何かの残骸だと認知したとしても、???でしょうね。
しかし、実際に「姫路モノレール」に乗ったことが無い私からすると、憧れと申しますか幻のモノレールであって、例えそれが残骸であったとしても、今こうして見ることが出来るだけで、感謝感激雨アラレなのです!
ただ、前述の通り、廃線跡はこの先でプツリと切れてしまいますし、かの有名な 大将軍駅 り更地になっていましたが…
※中国重慶に現存する「大将軍駅」に似た構造の駅
再び山陽新幹線の手前辺りから廃線跡が姿を現しましたが、これぞ黄昏の姫路モノレールな風景ですぜ兄貴!
で、ほとんど全身ピリピリ、脳内モルヒネ出まくりの痙攣状態で手柄山に到着し、今度は園内にある資料館(手柄山交流ステーション)をば訪問してみました!
馬蹄形のトンネルの中に、元々の駅があってそのまま資料館になっているようですが…?
またまた、どっひぇぇぇ~~!
こここれは、反則ですぜ兄貴!
当時の駅はもちろんなのですが、時刻表や備品に至るまで、よくぞ残しておいてくれたと感謝しか言葉が出ませんが、実はこのモノレールの建設を推進したのは、当時の 石見元秀市長 でした。
しかし、詳細は省くとして、路線が短かったことと運賃が高額なこと、そして米国ロッキード社のモノレールを採用したものの、後に同社がその事業から撤退したことでメンテナンスにもこと欠き、元々採算がとれなかったこともあって1979年に廃止になった歴史があるのです!
姫路城を経て更に北進し、他の鉄道網を持たなかった住宅街まで延伸していれば話しもまた変わったのでしょうが、対遊園地のアクセスに特化したことが災いし、通勤客も皆無だったようです。
ただ、不幸中の幸いだったのは、車両などがたまたま屋内で保存されていたから、今に繋がったのは奇跡とでも言いましょうか…
そして、父の偉業と申しましょうか、それを後世に伝えるために資料館の整備に尽力されたのが、これまた因縁でしょうか? 石見元秀市長の三男の 石見利勝 姫路市長の時代ということなのです。
それにしても国宝級と言えば語弊があるかも知れませんが、これほど短命で短区間の路線を紹介する施設としては一級品の出来栄えでして、ジオラマなども実に上手く作られていました。
※大将軍駅を出発するモノレールのジオラマ
※まもなく手柄山遊園に到着するジオラマ
もちろん、鉄道好きということを差し引いたとしても、 産業遺産 などに興味のある方でしたら、是非とも訪問していただきたいスポットだと申し添えておきましょう!
元々の駅ですから小さなスペースしか残っていませんが、私は優に2時間ほど滞在する価値あるスポットでした…。
つづく