かつては大きな勢力があった 関西の遊園地 は、レジャーの多様化と言う「騙し文句」の下に、今日その多くが閉園されてしまった。

 

ただ、その中でも大阪府下ではUSJを除いて、京阪電鉄が経営する「ひらかたパーク」と、南海電鉄の みさき公園 が残ったものの、後者はまもなく閉園の運命にあると言う。

 

      

 

期限は来年(2020年)3月31日…

 

それまでに、引き継ぐ事業者が無ければ閉園と言うことであるが、少し歴史などを振り返りながら、私見を述べさせていただこうと思う。

 

 

 

今の在阪私鉄の路線は、すでに戦前には骨格が出来上がっていて、当時はその経営手腕で注目された 小林一三氏 に倣い、各社がこぞって遊園地の建設を始めたのです!

 

すなわち、

阪急=宝塚に、 阪神=甲子園に、 近鉄=あやめ池に、 京阪=枚方に…

 

そして、大阪と和歌山を結ぶ 南海は淡輪遊園 を、平行する阪和電鉄(今のJR阪和線)は、砂川遊園が開園していくのです…。

 

          

 

 

で、戦後のレジャーブームに乗る形で各園がリニューアルする中、南海は淡輪遊園を放棄し、すぐ南側に更に大きい「みさき公園」をOPENさせたのは、1957年のことでした!

 

 

      

 

加えて、他の遊園地には無いものもあって、例えば山と海に囲まれた自然なロケーションと、本格的な動物園と水族館などが併設されていて、その広大な敷地をフルに活用した遊園地でしたが、これは、当時の南海は体力もあったし金も持っていたからでした。

 

 

 

私も沿線に住んでいましたので、幼少の頃はよく連れて行ってもらいましたよ!

 

駅を降りると沿道には「アイスクリン」の売り子さんが所々に居て、行きは誰も買わないんだけれど、夏だと帰りは飛ぶように売れてましたね…(笑)

 

      

 

当時は、ここを訪れることが家族の一大イベントのようで、たまの日曜日の「すき焼き」より100倍嬉しかったし…

 

後に、学生時代には カップルで行くと別れる という都市伝説もありましたね(笑)

 

 

 

 

ふたつの山と谷に広がる広大な敷地には、その山頂どうしを結ぶロープウエイがあったのですが、少なくとも1990年代頃までは、どの遊園地もそれなりに賑わっていたんじゃないかな?

 

けれど、この辺りから電鉄各社が「経営の効率化」だのと言い出し、不採算部門を一気に切り捨てる方へ舵を切ったので、遊園地はもちろんなのですが、 球団 も大半が売りに出されましたね!

 

 

 

そのあおりで、阪急も近鉄も阪神も遊園地を手放し、かの「ひらかたパーク」ですら閉園の危機にあったのですが、この時の南海は、「さやま遊園」を放棄しました。

 

      

 

傍目には無くしてほしくない施設なんだけれど、日曜日以外の平日は閑散としている現状があって、客が少なくても配置人員は極端に削減できないし、雨が降れば更に客足は鈍るしで、単に数字だけを見ると 儲からない商売 と言っても、間違いはありませんね!

 

加えて、本柱となる鉄道事業も、これからの少子化を展望すると伸びることは無く、だったら火傷しない間に切り捨ててしまえと言うことなのでしょうか?

 

 

 

何か、ギスギスした時代やね!

 

 

 

昭和から平成へ、そして令和へ…

三世代続いた みさき公園 も、次の世代へ受け継がれることなく、風前の灯となるのかどうなのか?

 

次回は、この辺りのことを書こうと思います。

 

つづく