2019年(皇紀2679年)8月15日…

 

今の時代で言うところの 終戦記念日 の日に、本来ならば東京の「靖国神社」へ馳せ参じたいところだけれど、時間と費用の関係もあったので、近くにある 大阪護国神社 を訪問しました。

 

      

 

大阪の住之江公園駅スグの所にあって、仕事柄時々前を通ることはあったのですが、やはり先の大戦で散華され、今の平和の礎(いしずえ)を創られし先人達に哀悼の意を捧げてまいりました。

 

 

 

で、鳥居を潜った左側には、当時の海軍…

 

      

 

右には陸軍の慰霊碑などがあるのですが、軍隊の作戦には兵隊の他に馬や牛、犬や鳩なども同行していたようなので、各々に黙祷を捧げます。

 

※旧日本軍の作戦に同行した「軍犬」

 

        

 

さて、早々と目的が達成されたので、これに隣接する 住之江公園 を少し散策してみました。

 

昭和5年に開園した公園なのですが、元々は古くから近隣あった 住吉公園 の敷地内に、明治以降に南海電車や国道26号線が通って手狭になったことから、その代償として建設され…

 

後の昭和15年になって、敷地の一部を割譲して「護国神社」が建設されたという経緯があるのです。

 

 

 

開園当初の様子です。

 

      

 

※大阪府営公園アーカイブスより

 

 

 

先輩に当たる「浜寺公園」ほどの敷地は無いのですが、それでも野球場やテニスコート、庭園に花壇を配した大きな都市型公園の走りであって、戦前には大勢の来園者があったそうです!

 

      

 

※鉄道ホビタスより

 

で、公園の一番北の端ににある「ひょうたん池」に架かる橋が、開園当時から今もそのままの姿で残っているようなので、さっそく見に行くことに…

 

      

 

 

 

建築の専門家では無いので、気の利いたコメントは書けないのですが、素人目にも独特のアーチと申しましょうか、当時の流行であった流線型? のような優雅な造形が見てとれませんかね?

 

      

 

で、開園当初の絵葉書から…

 

      

 

※ここに写る子供さんが当時10歳としたのなら、今生きていれば99歳ということ…

 

 

 

さて、池の外周を回ったところには、小さいながらも 花壇 があって、四季折々の華やかさを演出していました。

 

      

 

もちろん、今となっては驚くほどの感動が無いスポットなのですが、今よりも娯楽が脆弱で移動手段が少なかった戦前の世相に思いを馳せる時、この公園を訪れることがプチ贅沢だったのかも知れませんね?

 

元々遊具すら無いけれど、非日常を味わえる敷地を散策することが、どれほどの楽しみだったでしょう…

 

 

 

 

で、当時は陸の孤島だった住之江公園へのメインアクセスになったのが、この公園横を南北に結ぶ なにわ筋 (府道29号線)の道路上を走っていた、 新阪堺 という路面電車でした。

 

ただ、当時は住宅も希薄な地域だったので経営難が続いていましたが、この公園が開園することで息を吹き返したのです!

 

       

 

※鉄道ホビタスより

 

 

当時の電停と思われる場所の現在の様子です。

 

      

 

今や片側2~3車線の道路は、臨海部分を縫うように通っていることもあって、大阪の動脈の一部でもあるのですが、戦前は湿地帯が点在しているだけでなく、舗装もままならなかったので、砂埃を巻き上げて走っていたのでしょうか?

 

      

 

近くであっても、億劫(おっくう)がらずに出掛けてみれば、色んな発見があるのだと妙に関心できた散策でした。