前回の続きである。
「早起きは三文の徳…」ということわざがあるように、広島の海田市(かいたいち)というところで一泊し、翌日は朝5時から活動を始めました。
なぜかと言うと、古い国鉄型電車は 絶滅危惧種 に指定されているので本数が少ないため、日中はほとんど走らないんですね!
と言うことは、逆にラッシュ時だと走るということなんですが、だとしてもそれが何時頃に来るのかが不明なんです?
ですから、早朝に広島を出た国鉄型の行先から折り返し時間を分析し、陽が昇る頃に戻ってくるであろう時刻を割り出すことにしました。
で、陽が昇る頃になってから、鉄道写真によく出で来る 向洋駅 (むかいなだえき)のホームで撮影を再開します!
と言っても、私は監視役に徹していましたが、よくよく観察してみますと、ラッシュ時の鉄道需要も旺盛のようで、6~8両の電車でも満員でしたね!
思い返せば私が高校生の頃…
ワイド周遊券で九州まで遠征した時に乗ったのは、確か広島から下関行きの快速でしたが、昭和56年当時は1時間に1本程度しか走っていませんでした。
ただ、当時はまだ民間を圧迫してはいけないという国鉄の呪縛が残っていた頃で、平行するバスや広電に遠慮したかのようなダイヤでした。
しかし、後に全国の主要都市で「待たずに乗れる」ように増発を試み、ここでは ひろしまシティ電車 として大増発したのが昭和57年11月のダイヤ改正だったかと?
そう考えると、JR西日本の地方主要都市でもある広島圏や岡山圏での鉄道利用率は確実で、間違いなく黒字になっているのかと?
さて、ラッシュ時も過ぎたので、一旦広島駅まで出てみました!
親戚の子供さんの目から見る 国鉄型 は新鮮に映るようだけれど、私には見飽きた形と言いますか、かつては全国どこでも同じ電車しか走っていなかった頃を知っているので、正に隔世の感があると言いますか…
それだけ私が歳を食ったという裏返しなんでしょうね?
10時頃に海田市に戻り、ホテルの駐車場に停めてあった軽トラックで、昨日下見した 瀬野~八本松 に戻ります。
季節柄、春を思わせるポカポカ陽気でしたが、途中の道路のあちこちで通行規制や工事が行われていましたが、これは先の 西日本豪雨 の爪あとだったんですね!
おまけに、山間部の当地での被害は甚大だったようで、生々しい痕跡が数多く見られました。
もちろん、私の住む大阪も先の台風の爪あとが今も残っているのですが、そう考えると昭和は人災が、平成は天災の多い年だったと改めて実感しました!
だとしたら…
新しい 令和 という年は、天災も人災も来ないでほしいと願うばかりです。
この稿おわり