前回の続きである。

 

昭和モダン建築を堪能できた 御影公会堂 を後にし、再び阪神電車に乗車して武庫川駅で下車しました。

 

 

ホーム自体が武庫川の上に跨っているという変わった駅なのですが、私達は改札口を出て河川敷を上流へと歩いていきます…。

 

 

 

 

真冬であるものの、あまり風も無い天候が幸いして、ほどなく歩いていると上着を脱ぎたくなんるほどの陽気でしたね!

 

 

さて、ここで少し歴史をさかのぼってみましょうか?

 

鎖国から開放された我が国は、明治時代を迎えると一気に文明が発達するのですが、とは言ってもそれは一部の地域に限定されていました。

 

すなわち、広域に人や物資を大量に輸送する手段を持たなかったことから、その多くは昔とあまり変わり映えしない地産地消の 地域完結型社会 だったんですね!

 

 

もちろん、インフラでもある国営の鉄道は少しずつですが開通していきましたし、東海道線の京都~神戸は明治10年に完成していました。

 

ただ、列車の本数は数時間に1本しかなく、駅の数も今とは比較にならないほど少なかったので、誰もが気軽に乗ることは叶いませんでした。

 

 

そこで、大阪と神戸という2大都市を結ぶ新たな鉄道として、明治38年に 阪神電鉄 が開業するのですが、国営のそれと比較して駅も多く、庶民でも気軽に乗れるようにと10分毎に運行されました。

 

 

まだまだテレビもラジオすら無かった時代でしたが、大衆は娯楽を求めて 電車で移動する という手段を身に着けたのです!

 

 

 

で、話を武庫川に戻します。

 

 

 

元々暴れ川と言う異名を持つほど氾濫を繰り返していたという歴史がある川なのですが、大正時代に入ると大改修が行われました。

 

で、支流の枝川を廃止したことで、河口付近に広大な敷地が生まれるんですのですが、ここに建設されたのが 甲子園球場 でした!

 

 

※廃川の一部を活用していることがわかります。

 

 

 

もちろん、今は誰もが知る歴史ある球場なのですが、実は大正時代に作られたものであって、後にこれを核としてし周辺に様々な施設が建設され、一大レジャーランドとなるのです。

 

すなわち、広域から大量に集客できる鉄道をバックボーンとしたことから、遊園地やゴルフ場に競馬場といった施設が次々と出来たことで、この地は一気に脚光を浴びました!

 

 

 

加えて、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行を先取りした モダンガール モダンボーイ が登場したのもこの時代でした…。

 

ですから、彼らがこぞってこの地を訪れたことは想像に難しくなく、彼らが先頭に立ってレジャーを楽しむという文化が一般化してきたのです。

 

 

 

だったら…

 

レジャーを楽しんだ方々が宿泊できる施設が必要となってくるのですが、当初は甲子園球場に隣接する新しいホテルを建設しようという計画がありました…?

 

 

ただ、当時の庶民がレジャーを楽しんで1泊するほど国民所得が高くなかっため、必然的に富裕層や政府要人などをターゲットする 高級ホテル に特化するしか無かったんです。

 

 

そこで、大正時代後期より西洋建築を取り入れた工法も確立しつつあった時代背景も手伝って、甲子園球場を俯瞰できる少し北寄りの高台に誕生したのが…

 

 

 

今にその姿を伝える 甲子園ホテル だったのです。

 

(現在は武庫川女子大学所有の甲子園会館で、通称名では旧甲子園ホテルと言う)

 

 

つづく