もう~!

 

本当にもう大変なんですから…?

 

 

えっ~!

 

 

真夏の日差しが、年を増すごとに勢いを増し、猛暑から酷暑へ…

 

そして、最近では熱波を伴う 極暑 とまで言われて久しいが、冷房の入った事務所や工場で働くののならまだしも、私共のように 現場作業 が中心の職種となると、すでに我慢の限界を越えていると言っても過言ではない日差しである。

 

 

 

先日もそうだ!

 

仮設足場での作業であったが、鉄製の足場は熱したフライパンのように暑く、もちろん日陰のない状況をして作業を続けなければならない…

 

 

おまけに、「こまめな休憩と水分補給を…」と言うけれど、かなり無理をしてでも間に合わせなければならない現場が大半なので、おちおち休憩なんかしていると、作業自体が終わらないのである。

 

 

まあ? そう考えると、この歳にしてよく体力持つなと自分でも不思議になったりするが、やらねばならない立場にあるので、気合が入っているからかも知れない…?

 

 

 

 

さて、そんな過酷な現場作業が終わると帰宅して、涼しい冷房の風を全身に浴びると、これまた生き返るのであって、喉がカラカラに渇いている時こそビールが美味い様に酷似している!

 

 

 

と言うか、冷房があるので少なくとも夜は熟睡できているので、そう考えると大変有難い文明の利器でもあるが、最近は自動車や電車でも、ほぼ100%冷房が完備されるようになって久しい…。

 

 

 

と、前置きが長くなってしまったが、 通勤電車に冷房 が入ったのは、一般的には昭和40年代辺りであったが、実は戦前に早くも冷房電車が登場していたのをご存知だろうか…?

 

 

 

 

実は、以前の記事でも書かせていただいたと思うのだが…?

 

何を隠そう 日本初の冷房電車 は、 愛が多すぎる南海電車 にお目見えし、登場したのは1936年の昭和11年であった。

 

 

ただ、当時の技術からすると、かなり無理があっただけでなく、かなり高価な買い物だったようだが、それでも「大阪金属工業」という会社に、電車用の冷房装置を発注したのだ!

 

そして、戦前の「大阪金属工業」こそ誰あろう…?

 

 

 

 

後に社名の  と  を取って改名され、今に続く ダイキン なのである!

 

 

 

 

 

ところで例えば東京~横浜なら、JRと京浜急行と東横線…

 

はたまた、名古屋ならJRと名鉄と言うように、古く明治時代に創業した「南海」は大阪と和歌山を結んでいたが、昭和に入ると平行して 阪和電鉄 という私鉄が開業してしまった!

(阪和電鉄は、現在のJR阪和線)

 

 

 

 

おまけに、海沿いの集落をジグザグに結ぶ南海と比較して、それより山手を一直線で結ぶ「阪和電鉄」は線型が良かったため、ことスピードで勝負すると、 南海はボロ負け であった!

 

 

 

 

そう考えると、 日本初の冷房電車 が登場した背景には、同業他社との客の奪い合いが高じた申し子とも見て取れるが、さすがに当時は珍しさもあって「冷房電車」に客が集中し、かえって他の電車よりも蒸し暑かったというエピソードも残っている。

 

ただ、殴られて黙っているほど大人しくなかった「阪和電鉄

」は、さすがに冷房を取り付ける予算が無かったので、仕方なく車内に 氷柱 を置いて、お客に涼をとってもらっていたらしい…?

 

 

当時は、電気で冷える冷蔵庫が皆無に等しく、いわゆる 冷氷庫 が一般的だったので、あながち効果が無かったとも言えなくは無いが、見た目の涼しさもあったのではないだろうか…?

 

実は他界した祖母が当時和歌山市内に住んでいて、大阪への用事の折にはよく「阪和電鉄」を利用していたそうで、過去にこの件を問うてみると、「夏場は、車内に氷柱があったような気がする…」と、答えていた。

 

もちろん、高齢であったがゆえに記憶もあいまいだし、証拠となる写真も存在していないけれど、個人的にはあったのでのではないかと推理する。

 

 

 

 

まあどちらにしても、当時は今ほど暑くなかったろうが、互いの会社が熱く競い合うことによって、結果として乗客たちが涼しくなれたと言う歴史である。