前回の続きである。
他の多くが行動する前の早朝4時半に大阪堺を出発し、途中の渋滞や事故にも遭遇せず、快適な「鳥取自動車道」を走行できたおかげで、鳥取西ICを降りて市内に入ったのは、8時頃であった。
さて、鳥取の一級観光スポットと言えば、誰もが知る 鳥取砂丘 であって、今回は私的なマニアックな旅でも無いので、まずは無難にここを訪れることにした。
ただ、事前の情報では、GW中の砂丘周辺の駐車場は大混雑が予想されると報じていたが、普通の観光客が来るであろう一時間以上前に到着したので、すんなりと駐車することが出来たが、ラッキーなことに、その前が鳥取砂丘の入口であった。
まだ観光客も少ない…
眼前に広がる非日常な光景は、旅情を掻き立てるには十分であって、ただ砂だけが視界の全てを埋め尽くし、他に習って海の方へと歩みを進める。
奥にある丘の下には、雪解け水が流出したたいう オアシス のような湖が出来ていて、これがアクセントになることで、砂漠に来ているような錯覚がしないでもない…?
ところで、50歳過ぎた私の体力を考えると、他の多くに習って なだらかな勾配を選んで登ってみる が、同伴の中学生は、オアシス下から急勾配を一気に駆け上がって行った!
で、砂丘の頂のような場所に立ってみると…?
一面の砂丘から遠く望む海岸線と紺碧の日本海があって、ここへ来て旅の感動のようなものがこみ上げてきた!
そして、まだ他の多くが来ていないことから、見事な 砂紋(さもん) も見ることが出来たのはラッキーだった。
さて、海岸線まで降りる勇気も無かったので、ここから折り返して1時間程度で砂丘の観光を終え、少し早いが家族への土産などを選びながら、少し辺りを散策してみようと思った。
まず、砂丘に最も近い 砂丘会館 という施設の「無料駐車場」に車を停めさせていただいているので、ここで購入するが、まずは名物なのかどうかは知らないけれど、 20世紀梨ソフトクリーム を食す!
まあまあいけると言うか、この日の鳥取は30度を越す暑さだったので、ようやく喉を潤すことが出来た!
ただ、店内は殺風景と言うか、陳列やら何やらが、昭和まるだしだ!
実は、事前の情報から、ここ鳥取砂丘は昭和30~40年頃までは、新婚旅行のメッカのひとつであったらしく、当時はたいそう賑わっていたらしいが、現在はさほど人気のあるスポットでも無いらしい…?
と言うことは、和歌山の白浜温泉と成り立ちが似ていて、だとしたら案外 昭和が色濃く残っているのでは? と勘ぐりながら歩いてみると…?
ありました!
砂丘フレンド という独自の書体もさることながら、昭和40年代の学校のような建物というか造形である!
おまけに、 レストラン・売店 という単純明快な案内が、いかにも昭和的であり、2階は団体専用食堂らしいが、観光バスの姿は無いものの、当時はたいそう賑わっていたに違いない!
そして、さらに歩くと 砂丘センター という宿泊施設もあって…
これとて無骨な昭和的建物であって、稼動している様子も無いのだが、辺りの建物の大半が古いので、昭和の建造物マニアからすれば、パラダイスのようでもある…?
そして、そしてだ…
少し離れた場所に発見したのは、 砂丘パレス という建物であって、すでに廃墟となりつつあった…。
土産物に大食堂、そして 回転展望台 まで完備する建物は、当時としては最大級の施設であったことはもちろん、当地のランドマークであったに違いない!
昭和40年…
当時は国民所得が上がりはじめ、核家族という新しいライフスタイルの後押しもあって、国内観光旅行がブームになりつつある頃であった…。
そして、鳥取県内の二大勢力とも言える 日本交通と日ノ丸自動車の競争 が過熱する状況をして、後者が阪神電鉄と資本提携して出来た産物であって、言わば鳥取県内最大級スポットである 鳥取砂丘に楔(くさび)を打ち込んだ建物という見方も出来るのである。
ただ、当時はたいそう賑わったであろうが、海外旅行がブームになりつつあった30年前に閉館し、その姿を現在に伝えているが、所有者は私が駐車場を拝借した「砂丘会館」だと言う…。
それにしても、まともに海風が当たる立地であるがゆえ老朽化も著しく、それが返って わびしさに拍車をかける のであって、しばし佇みながら建物を眺めていたが…?
同行する中学生が、「いつまでここに居るのか?」と、問うてきた!
あくまで、この旅の添乗員の立ち位置に徹し、ごく普通の人が楽しめる旅にする心算が、ここへ来て早くも私欲まるだしなってしまった…(汗)
我を戒めながら、次に向かった。
つづく











