かつて、自身が 国鉄という組織 に居た頃の体験を、今に書き綴っていくシリーズで、一般にはあまり役に立たない事が多いのは承知だけれど、しばらくお付き合いしていただければ幸いである…。

 

前回の記事→ http://ameblo.jp/dmh17c/entry-12208363849.html

 

 

 

 

さて、前回の記事で見事 車掌試験 に合格して研修が終了し、本当ならば優等列車が多い「大阪車掌区」を希望していたものの、私が実際に配属されたのは 京橋車掌区 というところであった。

 

そして、配属が決まれば おっしょ(御師匠)さん に付いて、いわば1ヶ月の見習い期間があるのだけれど、そこで様々な基本動作を仕込まれるのであった。

 

 

まず、出勤すると自らが乗務する列車を確認し、点呼を受けた後に 時計の整正 という作業をするのだけれど、どうしても時間に正確であることが基本中の基本である職種なので、時計が狂っているようでは、全くお話にならないのであった。

 

 

 

 

そして、自らが乗務する列車が到着すると、いよいよ本番の開始だが、当時の「京橋車掌区」は主に…

大阪環状線

片町線(現在のJR学研都市線)

桜島線(現在のJRゆめ咲き線)

一部の奈良行き快速(現在の大和路快速)が担当であり、私の初仕事は、京橋から乗車した 奈良行き快速 であった。

 

 

 

 

では、当時の基本動作を順に説明していこう!

 

まず、列車の先頭がホームにさしかかる頃を見計らって、乗務員室の窓を開けて列車の状況を確認し、正常であれば 列車状態よし! と、指差喚呼を行う。

 

 

 

次に、実際ホームに到着する直前に、停止位置を確認するのだが、ホームの端にこのような数字が書かれているのをご存知だろうか…?

 

 

これは、8両の電車の先頭がギリギリホームに架かる目標位置で、自らの乗務員室がこれより前に停車してしまった場合、先頭がホームからはみ出してしまうという目標である。

 

なので、もしもこれより前に停車してしまった場合は、絶対ドアーを開けてはならず、運転士に連絡してバックしてもらうのはもちろんだけれど、誤まってドアーを開けてしまうと、乗客が落ちてしまうのである。

 

で、この範囲に停車したのであれば、 停車位置よし! と、指差喚呼し、ここではじめてドアーを開け、それと同時に各車両の車側灯が赤く点灯する…。

 

 

 

 

当時の大阪環状線は、ラッシュ時を除く主要駅で30~50秒で、その他の駅では20秒停車が基本であったが、例えば大阪駅の発車時刻が13時45分30秒であったのなら、ドアーが閉まって列車が カクリと動く瞬間 が、この時刻でなければならないのである。

 

 

 

 

つまり、それを差し引きすると約10秒前には笛を吹き、ドアーを閉める体勢でなければならないのだが、この間に大切な作業があって、それが 信号確認 であった。

 

 

もちろん、運転士も見ているので、例えその時刻が来たとしても、 信号が赤なら発車しない のだけれど、例えばホーム係員が新米さんだとしたら、発車時刻が来ると「ドアーが閉まります」と、放送流すのであって、これにつられて閉めてしまうと失格なのだ!

 

なので、わずか数秒の間に発車時刻と信号の両方を見ながら判断し、運転士と車掌の二重で安全を確保しているのであるが…?

 

難儀なことに、車掌から信号機見えない駅もあって、ひとつが 天王寺駅内回りホームであった。

 

 

 

 

要は、このような構造である。

 

 

 

このように出発信号が確認できないホームには、これまた 出発反応標識 というのが設置されている。

 

 

 

 

これだ!

 

 

これが点灯すれば、この先の信号機は赤ではない(黄または青)なので、発車時刻が来ればドアーを閉めてもOKなのである。

 

 

 

そして、ドアーを閉めると、前述の赤く発光していた 車側灯が全て消灯する けれど、例えばどこかのドアーがひとつでも開いていたのなら、その車両の車側灯は赤く点灯したままで、仮に運転士がアクセル(実際はノッチと言う)を入れても、列車は絶対に動かないのである。

 

 

ただし、これにも例外もある!

 

例えば、人の身体ではなくて柔らかいカバンなどが挟まると、機械は閉めたと判断して消灯するため、列車が発車してしまうのである。

 

私も一度体験したことがあるが、それは当時の片町線の片町発長尾行きの列車に乗務中で、たまたま夕方のラッシュ時のことであった…。

 

 

 

途中の京橋から大量の乗客が乗り込んでくるので車内は満員になり、ドアーを閉めたものの、前から3両目あたりに カバンが飛出していた のであった!

 

 

もちろん、放置していても良いのだけれど、当時の片町線は京橋を過ぎると四条畷まで右のドアーが開かなかった。

 

しかし、車内が混雑しているので前の車両まで行くことが出来なので、3つ目の徳庵を発車してから運転士に連絡してこう告げた…。

 

「前から3両目右ドアーからカバンが出たままになっています…。  次の鴻池新田でDコックを扱うので、1分ほど停車してください。」と、そして車内放送でその旨を告げたが…?

 

 

 

ただし、ホームの無い反対のドアーを全て開けることはできないので、要はそのドアーだけを開けることのできる 非常用ドアーコック 、すなわち「Dコック」を解放することで、そのカバンを取り除こうとしたのである。

 

 

もちろん、鴻池新田に到着するや否や、猛ダッシュで3両目まで行き、ミッションは無事に成功したけれど、そのカバンの持ち主だった若い女性客は、何度も私に頭を下げていたが、職務として当然のこをしているだけであった。

 

 

 

 

さて、話しが反れてしまったが、列車が発車しても窓から顔を出し、「列車状態よし!」と指差喚呼し…

 

ホームを外れると後ろを振り向いて、「後部よし!」と、まあ確認の 指差喚呼の連続連続 が、それすなわち仕事であったが、一瞬も気を抜けないのが現状であった。

 

 

そして、当初は「京橋車掌区」に配属されたことを、失礼ながらはずれクジだと思っていたけれど、今も昔も大阪の大動脈として走り続ける 大阪環状線 を受持つという自負があって、それを皆が誇りに思っている車掌区であった。

 

 

 

もちろん、ラッシュ時には1列車1000人近くの乗客の命を預かっているという尊い職種であることは、今も昔も変わらない事実である。