旅に出やすい夏休みに近いことから、前回を含めて旅の紀行文的なものが連続しているが、今日は内容をガラリと変えて、「軍艦島にご招待」してみようと思う。
ところで、お題の高島と軍艦島という文字を見て、何県にあるのか分かる方は、よほどの旅好きか地理に強い方であろうが、このふたつの島に共通するのが 炭鉱 というキーワードであって、要はエネルギー源の 石炭が採れる島 だったのである。
つまり、石炭から石油へエネルギーが転換される昭和30年代までは繁栄を極めていたが、私が訪れた1991年(平成3年)には、前者は廃墟に近く、後者は完全に廃墟と化している状況だった…。
と言うことで、「私のアルバムから」いくつかの写真を紹介していこうと思う。
当時、どうしても 軍艦島(端島)に上陸したかった が、現在のようにパソコンで検索すらできなかったので、まずはこの島に近い高島へ出向くことにした。
さて、上陸した当時の「高島」は、5年前の昭和61年に炭鉱が閉山していて、活気はもちろんだがほとんど人影は無かったものの、いわゆる 炭住という団地 は全て残っていた。
高台に登ると、かつての繁栄を誇示するかのごとく、おびただしい団地の群れがあったものの、今はその主人を失い朽ちていく運命でしかないので、わびしさののようなものがこみ上げてきた…。
そう! まさに 廃墟になりつつある雰囲気 が充満していたのだ!
そして、明日訪れるであろう端島の様子が、この高台からはっきりと見えた瞬間、はやる気持ちを抑えきれなくなってきた…。
そう、まさに海に浮かぶ軍艦のようである!
さて、その日は事前に問い合せていた「高島勤労会館」に一泊したが、もちろん宿泊客は私ひとりであった。
そして翌日、会館の管理人に聞くと、漁から帰ってきた漁船をチャーターすれば、 任意で軍艦島まで渡してくれる と言うものの、泳げそうな距離にも見えなくもなかったが、さっそくチャータすると、端島まで一人往復5000円であった。
(イメージ)
ほんの数分… エンジンが2~3度身震いしたかと思うと、ほとなく 軍艦島に着岸 した。
ところで、現在は上陸探検ツアーがあるものの、ほんの一部しか見ることはできないらしいが、当時は自己責任でその全てを見学することができ時代で、お迎えの漁船が来る夕方まで 軍艦島を堪能 できたのである。
ご承知のように、世界遺産にも登録された 軍艦島 は、周囲数百メートルしかない小さな島で、その外観が海に浮かぶ軍艦に似ていたためその名称が付いたのだが、この下に眠る石炭が上質だったことから、ここに多くの人達が集まり繁栄を極めたと言う…。
しかし、前述のエネルギー転換を経て無人島になって久しいが、その全てがほとんど当時のままの手付かずで残されていた。
と言うか、朽ちるがままに放置されていたのであって、言わば 究極の廃墟 であったのだ!
ただ、台風などが来るとひとたまりも無い島だったので、後に行政などが護岸工事をしているものの、その建物とその内部は手付かずであった。
大正時代に建てられた 鉄筋コンクリートのアパート の姿である。
まさに自然に還りつつあるものの、その家々の中にはちゃぶ台やテレビなどがそのまま残されているものもあって、ある意味背筋が凍る不気味さが感じられた。
しかし、戦後 緑なき島 という映画にもなり、最盛期はこの島に5200人も住んでいたことから、世界一の人口密度を誇った言われているが、それほど繁栄し最先端を行く島だったのだ!
ただ、昭和30~40年代にかけて、我が国が大きく エネルギー転換 に舵を切ったことで、石炭そのものの需要が大幅に減少したのと足並みを揃えるかのごとく、この島の斜陽化も一気に進み、ついに昭和49年その幕を閉じて無人島となってしまった。
グランドに立ち、学校と病院の建物を眺める…。
建物ばかりが密集し、それに圧倒される空間であったが、まさに 兵どもが夢のあと を地で体験したひと時であった。