先の地震で大きな被害をうけた熊本市内に、かつて 健軍(けんぐん)飛行場 というのがあった。

 

これは、旧陸軍の飛行場で戦後も活用されたものの、プロペラ機用の短い滑走路が災いして、1971年に現在の熊本空港へその機能が移転してしまう。

 

さて、本日2016年5月25日から、71年と1日前の 昭和20年5月24日の夕刻 、この飛行場から沖縄へ向けて、数機の軍用機が離陸していった…。

 

 

これは、かつてのブログで何度か取り上げたことのある 義烈空挺隊 の出撃であり、前途ある20歳代の若者数百人が乗り込んでいたが、当時の沖縄はすでに米軍に上陸されていて、激しい地上戦が繰り広げられていた。

 

なので、その沖縄の飛行場(当時はすでに米軍が占領)へ 飛行機もろとも強行着陸 し、その機能を破壊するという決死の作戦であった。

 

 

 

率いる 奥山道郎隊長 は26歳…

 

 

到達したその全ての命が一瞬で奪われたのである。

 

そして時をほぼ同じくして、陸海軍から 多数の航空機特攻 を含め、戦艦大和までもが 水上特攻 として出撃し、そのほとんど全てが還らぬ命となったのである。

 

 

 

先の大戦は、いわば自存自衛と「大東亜共栄圏」を掲げて挑んだ戦争だったけれど、いかんせん我が国の国力で耐えられる範囲を超えたため、それが破綻するのにそう時間はかからなかった…。

 

もちろん、兵隊さん達は果敢に戦った!

 

しかし、圧倒的な力の差から負け戦が続き、絶対国防圏といわれた サイパン島が陥落 した段階で潔く負けを認めていけば、これほどまでに大きな犠牲を払わずに済んだということに尽きるであろうが、最終的には 国民全てが特攻に参加し、本土決戦 で敵にひと泡ふかせて、有利な条件で講和を図ろうとしていたのである!

 

 

 

しかし、その前哨戦でもある沖縄戦ですら満足な兵器も鉄砲の弾も無い有様で…。

 

竹で編んだオトリの飛行機…

 

 

木製の動かないオトリ戦車…

 

 

丸太をつっ込んだだけのオトリ大砲…

 

 

いったい何をしたいのか…?

 

つまるところ、実際の最前線はこの有様であって、どだいこれで戦えと言うことが無謀であり、例え本土決戦をしたとしても全く勝ち目は無かったのである。

 

なので、先の大戦で犠牲になられた方はさぞかし無念であったと思うし、今頃はあの世でホゾを噛んでいるのかも知れない…?

 

と言うか、前途ある 多くの若人を失った ことが、我が国を再建するためには痛手であったが、それは返す返すも バカな指導者達 の誤まった判断が大きいのだと思う反面、これらの先輩方の 犠牲の上に今日の平和があること に、まずは感謝しなければならないのだ!

 

 

 

それと同じように、事の大小は別として、バカな指導者達がやらかした不祥事が今も頻発していますね!

 

 

 

権力を持つまでは権力に対峙し、その信念を通そうとするけれど、いざその職に就けばやりたい放題!

 

 

最前線の現場を見ることすらせず、机上で燃費を計算して世の中をはぐらかし、結局は頭を下げるはめになったり…。

 

 

東大を出ているエリートがこの様とは、ほんまに情けない!

 

礎(いしずえ)になられた先輩方のツメの垢でも煎じて飲みなさいと言ってやりたい!