今の若者には知る人は少ないだろうけど、私が子供の頃には 佐良直美さん という歌手が居て、バンバンヒット曲を出していた。

 

 

そして、その彼女の持ち歌のひとつに…

 

♪ ギャラン ギャラン ギャラン 憧れ乗せて~ ♪

♪ ギャラン ギャラン ギャラン ギャランは行くよ~ ♪

 

という詞の歌があって、これは三菱自動車の「ギャラン」という車種のみのテーマソングで ギャランソング と言い、当時のラジオでバンバン流れていたので、ご同輩なら知る人も多いと思う。

 

 

 

 

さて、本題に戻るとする。

 

現在、先の不祥事の影響をうけて、日産自動車の傘下に入ることが決定した 三菱自動車 だが、古く戦前からのメーカーであり、私が若い頃にはシェア3位をホンダと競う元気な時期もあったのである。

 

ただ、私的にはほとんど三菱自動車には縁が無かったカーライフだったけれど、追悼の意味も含めて当時を振り返ってみようと思う。

 

 

 

まず、前述の専用テーマソングがあった ギャラン は、勇ましいという意味であり、 GALANT のTを発音しないことからフランス語が語源である。

 

 

さて、初代は他社と比較すると、どことなく 荒削りな印象 と言うか、少し若者向けに振ったデザインだったようだが、私の記憶にはあまり残っていない…?

 

 

 

 

と言うか、私の世代で「ギャラン」と言えば、6代目のコチラである!

 

↓ ↓ ↓

 

 

1980年代の半ばから、いわゆる 軽薄短小 の薄っぺらい時代になったので、大手のトヨタや日産にホンダ、はたまたマツダまでもが ツルンといてペタンコ(背の低い)な車 をバンバン出して、それがまた売れに売れていた時代でもあった。

 

 

しかし、それらが草食系とするならば、その間逆の肉食系を思わせる うねるようなS字のフォルム に、高出力エンジンと4WDを組み合わせたので打って出たのが6代目のギャランであった!

 

ムキムキマッチョなフォルムが目新しく、どことなくドイツの町並みがマッチする無骨さをあえて出し、しかも半端なく早い車だったので業界に与えたそのインパクトは大きく、後に「ランサーエボルーション」の礎を築いた名車なのである。

 

 

 

そして、少し戻って私が免許とりたてだった頃の1983年は、その入門カーとして 軽自動車 に人気が出始めていた…。

 

ただ、どのメーカーのどの車種も20馬力代の低出力だったので、いわゆる 割り切った我慢車 として乗らなければならなかったが、その軽自動車にいち早くターボモデルを設定したのは、他ならぬ 三菱ミニカ であった。

 

 

 

他社がFFの移行を完了した当時、まだFRを死守していた部分は遅れていたけれど、25馬力程度が一気に 39馬力へアップ したため、交通の流れに乗るのも楽勝だったし、後に他社の軽自動車にも続々とターボを出すきっかけにもなった名車である。

 

 

 

 

そして現在、弊社で使用しているのが「日産クリッパー」という車種なのだけれど、これも元々は 三菱ミニキャブのOEM であって、メイド イン 三菱 なのである。

 

 

トヨタやホンダのようにアカ抜けした都会的な雰囲気は無く、どことなく田舎臭くて無骨なイメージがする企業だった…。

 

それは、元々親会社の重工が 零戦 などの航空機を造ったメーカーであり、そういう意味では中島飛行機を起源とするスバルと似たDNAがあって、何よりも 丈夫で長持ち する車づくりが信条だったし、当時は当時なりに社員達も頑張ったのだと思う。

 

 

 

 

しかし、時代はエコへと急旋回で舵を切り、低燃費が良いことという時代になったものの、その技術が追いつかなかったのであろうが、前述のスバルがトヨタの傘下に入って 骨抜き になり、マツダも変な方向へ進んでいる今日、無骨な自動車メーカーが我が国から消滅してしまったと言っても過言ではないだろう…?

 

 

残念である!

 

 

ただ、2004年のリコール問題に対し、その膿を出し切っていたのなら、このような事態は回避できたのではないかと思ったりするが…?

 

それにしても、日産の戦術とは虎視眈々ですな!

 

 

鉄砲魚のごとく、上手く三菱を落としましたね!