今日ですら余震が収まらない 熊本地震 は、1ヶ月近く前の4月14日の21時25分に発生した。
そして、未曾有の惨事を招いたのは言うまでも無く、今をもってしても多くの方々が、不自由な避難生活を送られていると言う…。
さて、その地震が発生した直後に、ほとんどのライフラインが停止し、インフラも壊滅な被害を被ってしまったが、この影響からいわゆる輸送手段もほぼ全てが停止しまった。
まず、肝心な高速道路が崩壊し…
新幹線も、熊本駅構内で 脱線事故 を起こしてしまったため、これまた全線運休せざるを得なくなったため、一般的な陸路で熊本に入ることも脱出することも出来なくなってしまった…。
(後の本震で空港も閉鎖されてしまう。)
なので、もはや熊本は「陸の孤島」と化してしまったのであるが…?
ここで、 JR九州が立ち上がった のだ!
実は、九州新幹線の鹿児島ルートが全線開通したのが、2011年の3月12日であるが、奇しくも 東日本大震災の翌日に開業した ため、目立った式典は行われず、いわば細々と開業を祝った歴史がある。
そして、この新幹線が開業したことで、元々博多~熊本~西鹿児島を結んでいた在来線の特急は、これと完全に平行するために、当然ながら 廃止 されてしまったのだ!
しかし、余震が続く中にあって、新幹線の熊本駅構内で脱線した車両がなかなか撤去できず、前述のように高速道路も通行止めが続いている…。
ならばと、JR九州はいち早く在来線を復旧させ、そこに 臨時特急を復活 さようとしたのであった!
ただし、立ちはだかる問題は山積みしていた…?
と言うのも、まず親方日の丸の国鉄では無いので、ここへ回す余分な車両を保有していないという現実があった。
そして、在来線の特急が廃止されてから5年も経過しているので、当然ながら新米運転士では役に立たず、当時の経験を持った乗務員を選抜しなければならなかった。
おまけに、5年も走っていなかったので、カーブでの速度制限はもちろん、駅に停車するための 停止位置目標 も、とっくの昔に撤去されてしまっていたのである。
それと、他にも増して当地では余震が続いていて、そんな所に高速で列車を走らせようとすること事態、一種の賭けに近い感覚だったのかも知れないし、「安全第一」をモットーとする鉄道の常識としてそれはタブーなのだ!
けれど、JR九州としてはどうしても 熊本県民を救出したかった のだと思う。
そう! 一人でも脱出を試みる命があるのなら、それを助けようと会社が一丸となったのである!
そして、その任務に当たる乗務員達も、さぞかし不安だったに違いない…。
自らの命を危険にさらすからである!
しかし、その使命感に燃えた闘志は、その不安を払拭したのである。
かくして、地震発生後の翌日から在来線特急が運行され、博多~熊本を高速で結び、多くの県民を救出しただけでなく、これまた多くの物資を届けることができたのだ!
おまけに、特急券は無料で運行されたことにも注目しよう!
かつては全国の鉄路が国鉄という組織で一本化され、その崇高な団結力から「国鉄魂」という言葉があった…。
しかし、これが民営化されて各々がバラバラに機能する以上に、民間=効率化 という名目から、どことなく 味気のない組織 に成り下がってしまった印象がしていた。
しかし、今回の行動を目の当たりにし、どっこい 古き良き鉄道魂 は生きていたのだであって、ハラハラと涙がこみ上げてきた!
多くの震災情報が飛び交う今日において、そのニュースにすらならなかった出来事だけれど、ひとつの会社が決断して実行したことにより、多くの命が救われた歴史が刻まれたのであった。