昨日の続きである…。

 

ブラウン管テレビが液晶に移行する2000年頃、そのタイミングの波に上手く乗ったシャープは、破竹の勢があって、それが世に送り出したのが AQUOSブランド であった。

 

おまけに、その高い品質に追随する他社は無く、もはや 液晶と言えばシャープ と言われるほどのブランド力を持っていた。




 

そして、それを製造する三重県の亀山工場は、その地域に活気を与えただけでなく、これだけでは生産が追いつかないことから、私の住む堺市にも同様の巨大工場が建設されることが決定した。

 

(元々、USJが来るはずであった臨海の埋立地に建設が決定された)




 

さて、かく言う私も、その工場の建設作業員として汗を流していた一人であったが、敷地内に駐車スペースが少ないという理由から、  通勤に車を使うことは厳禁 とされ、代わりに堺東駅などからバスを利用して向かわなければならなかった。

 

しかし、そのバスが連日超満員で身動きすらできず、現地に着く頃にはバテバテの毎日であったが、これとて金儲けなので仕方ないのである。


     

 

さて、正門でバスを下車すると、そこから現場詰所まで再びバスで移動するほど敷地は広大であった。



 

そして、この工場建設を請け負うゼネコンとシャープが結託して定めた シャープルール というものが存在し、それを遵守しなければ作業ができないと言う決まりがあったが、今までの現場のルールと比較すると、この「シャープルール」だけは特異であった。

 

まず、作業員はヘルメットに長袖…

 

そして、 安全帯の2丁掛け が基本であった。(普通は1丁掛け)


 


     


 

もちろん、高所だけではなく、地べたで作業する者も同様であった。

 

次に、ゴーグル。



     

 

で、安全靴は白のみが許可されたけれど、床のキズが目立つという理由から、 裏が白色 でないと入場すらできない有様であった。(ほとんど靴屋で販売していない)


     



 

まあ、仕方あるまい…?

 

それさえ守っていれば作業ができて、お金を稼ぐことができるので、文句は言わないのである。

 

ただ、実際にこれらを全て着用するとかなり重く、職人の間では まるでロボコップのようやな! と、揶揄していた。

 


     

 

さて、敷地内を循環するバスに乗車して10分ほど走ると、私達が作業をする詰所があり、ここに一旦集合する…。

 

で、朝礼を受けてから現場に向かうのだけれど、ここで初めてアクシデントに遭遇したのだ!





 

詰所から現場までは徒歩で約30分!

 

     

 

おまけに、トラックなどでの移動は禁止されていて、全て徒歩であった…  と言うか、手ぶらであればまだしも、看板などの資材や本体までも全て 徒歩で運べ と言うのである!

 

これは、まことに効率が悪い!

 

いや!  これこそがシャープルールだとのたまう始末であった。





 

そして、まだまだ…

 

現場はガラス工場の6階だったが、入口横にある エレベーターは使用禁止 で、ここまで運んできた荷物を、これまた外階段で6階まで運ばなければならなかった。

 


 

いやはや、戦前の女工哀史ほどではないにせよ、私が今まで経験してきたどの現場とも違う異様な空気と異様なルールにいささか閉口してしまった。

 

 

 

最後に、夏ともなると 水分補給 をしないと脱水症状を起こしてしまうのと、言っても現場作業なので大量に汗をかくので、出来れば水分を携帯したいところだけれど、これまた資材を持っての徒歩移動なので断念せざるを得なかった。

 

     

 

そこで、現場の要所要所に 簡易な休憩室 が設けられていたのだけれど、パイプ椅子が3脚と扇風機と 熱中飴が入った箱 が置いてあった。

 

     

 

しかし、それは表向きであって、数日間観察してみたものの一度も飴は補充されないばかりか、最初から何も入っていない箱だけが放置されているに過ぎなかった…。

 

すなわち、もしもの時はゼネコンとしても対策をしていますよ!というホポーズであって、実際 熱中症で倒れて亡くなった方 が数人居たにも関わらず、「それは現場で発生したものでは無い」とシラを切り通したのだから、もはや開いた口が塞がらないのであった!

 

 

 

まあ、これほど元請けのシャープも、それを請けたゼネコンも同罪であって、下々を虐げて完成した建物には多くの怨念などが必ず付きまとうので、この工場もいずれはしっぺ返しに遭うはずであろう…?