先日は、お彼岸の墓参りのために、電車で岸和田まで出向きましたので、高架工事がたけなわのJR東岸和田駅をリポートしてみようと思います。


駅に入る直前の、運転席後ろからの撮影です。






右下に見えているのは、天王寺方面のホームです。



と言うことは、和歌山方面の片側だけ高架になっているので、ちょうど半分工事が完了しています。


さて、真新しいホームにすべり込みますと、待避線には 古豪103系 が停車中でした。






改札を出てみます。


しかし、駅舎だけはまだ古いモノを使用していて、ここが私鉄の頃に建てられたものが現役でした。


昭和初期の阪和電鉄時代には、 土生(はぶ)郷 と言う駅名であって、開業当初の特徴でもあった 小さな三角屋根の小さな駅舎 ですが、まもなく新駅舎にバトンタッチされるのです。





また、30年前には ネコの額 よりも小さく、乗用車が入るのがやっとだった駅前は、近年に拡張され見違えるほど綺麗になりました。(↓部分が現役の古い駅舎)





さて、ここで一般読者の方にもわかりやすいように、高架工事の進め方を図で解説してみます。


まずは、高架が決定しますとその大半は、高架の土台(基礎)工事をするため線路を一旦ずらし、その空きスペースで工事がはじまります。







で、今回のように まず片側だけを高架 にします。


駅近くの踏切から見た光景です。


右は天王寺方面のホームで、少し前まであった和歌山方面の線路は撤去が完了しています。




そして、撤去したスペースに新たに高架を付け足しせば、完成となるのです。


こんな感じです。





さて前述のように、私が高校生の頃に通学で利用していた当時の東岸和田駅は、快速は停まらず 日中は15分に1本の各駅停車 が細々と発着しているだけでした。(和歌山方面は30分に1本でした。)


ですから、いつもホームが閑散としていて、駅前にまともな店は一軒もありません…。



当時の写真です。


1番ホームは折り返しの天王寺行きで人影もまばらですし、まだ貨物が走っていました。






ただ、岸和田という街は、過去にお城を中心とした南海線沿いに人口が集中していたものの、近年は山手方面にも住宅が建ち並ぶようになり、にわかに 阪和線沿いが賑やか になってきました。


ですから、30年前には全く勝負にすらならなかった、南海岸和田駅と阪和東岸和田の乗降人員は、今や

23000人/日 vs 11000人/日 と、ほぼ半分にまで増えていますね!




と言うことで、あと数年で高架工事が完了しますが、その頃にはもっとお客が増える駅になっているでしょう…。